友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人はひとりとして同じ人はいない

2016年09月11日 17時37分13秒 | Weblog

 高畑敦子さんの息子が釈放された。おそらく被害者との間で示談が成立したのだろう。それより私は、福山雅治さんのマンションに合鍵で忍び込んだ女性に対して、福山さんが「厳罰を求める」と言ったことの方がショックだった。確かに誰もいないはずの部屋に見知らぬ人がいれば、心臓が止まるほど恐ろしいとは思う。容疑者の女性は「福山さんのギターが見たかった」と言っているそうで、盗まれたものなどはないようだ。

 そんな程度の「出来心」なのに、「厳罰」を求める福山さんの気持ちが分からない。私のケイタイに何百通ものメールを一方的に送り続けてきた「フクヤママサハル」とは同一人物ではないかも知れないが、自分のことしか考えられない自己中心だなと思う。加害者と被害者の違いは大きいとは思うけれど、この程度のことなら「許す」と言ってもいいように思う。

 高畑敦子さんの息子は「発達障害」というラベルまで貼られているが、私はこういう分類が気に入らない。医学の進歩か知らないが、何でも診断名を付けたがる。そもそも「発達障害」と分類することにどんな意義があるのか。人間は「十人十色」ということを証明したいのであれば、私はその通りだと思うけれど、だったら「障害」などと付け加える必要はない。

 人はひとりとして同じ人はいない。外形が違うだけでなく、感じ方も考え方もそれぞれ違う。同じ赤色を見ているようでも、緑色がかった赤であったり、青色がかった赤であったりする。同じ音を聞いても心地よいと思う人もいれば不愉快に思う人もいる。微妙に違っているのに、無理やり同じ尺度に当て嵌めようとしたがるのは、異質であることを怖れるからだろうか。

 違いを認めることでしか、人は他人と仲良くなれない。なんとなく相性のいい人もいれば、この人とはウマが合わないと感じる人もいる。それでも嫌いにならないことが大事だ。そのためには自分から相手を受け入れることだろう。「みんな違って、みんないい」と認めるだけでなく、何かがあっても「許す」気持ちを失わないことだと思う。さて、私自身は出来ているのかと今日も自問してみる。

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