誘われて日野原重明先生の講演を聞きに行ってきた。104歳の日野原先生はさすがにお元気とは思えなかったが、先生の原点がどこにあるのかはよく分かった。日野原先生はたまたま「よど号」乗っ取り事件の飛行機に乗り合わせていた。だからあの時、命は無くなっていたかも知れないという思いが、「人のために命をつかう」運動へと駆り立てたのだ。
日野原さんが提唱している「新老人の会」は、3つのモットー1)愛し愛されること、2)創めること、3)耐えること、そして1つの使命「子どもたちに平和と愛の大切さを伝えること」を掲げ、①自立、②世界平和、③健康、④会員の交流、⑤自然への感謝の5つを行動目標としている。この日は東海地区の集まりだったが、800人ほどのお年寄りが3時間も講演に聴き、音楽療法の先生の指導で歌ったりした。
「もうすぐお迎えの来る人も、ハイ、大きく気を吸って、ハイ、吐いて。いいですか、ながーく息すれば長生きできますよ。息ができなくなったら長生きできません」と音楽療法の先生は笑わせながら、どんどん歌わせていく。人間は「60兆の素晴らしいバランスでいきている」という名大病院院長だった祖父江逸郎先生の講演も示唆に富んでいた。「バランスが崩れると病気になるが、病気への対処の前、健康の時こそ大事」と言い、最良の方法は睡眠をとることと説く。
皆さん、「ウン、ウン」とうなずいていたから、ここに集まった老人たちはよく眠っているのだろう。確かに長生きするなら元気でありたい。そうすれば人に迷惑をかけることもない。でも、多くの税金を使っていることは事実だから、年金生活者が長生きすれば働き盛りの人や子どもたちには気の毒だ。余りに健康志向が強いと老人ばかりになってしまいそうだ。きっとその時は、元気な老人は再び汗を流して働くことになるだろうが‥。
中日新聞の日曜版のコラム『おじさん図鑑』を愛読しているが、18日の題は「選良」とあった。「選挙で選ばれた議員のことをいう。しかし地方議会の議員から国会議員まで、『選良』の名にふさわしい人がいったい何人いるのだろう」と嘆く。議員になると「人としての誇りも謙虚さも失い、権力的で卑しい人間になり果ててしまう」、その例として、年下の議員から「おまえ」と呼ばれたとあった。
年老いても人に謙虚でありたいし、「まだ生きてるのか」と言われない老人でありたい。