友々素敵

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指導者の責任の取り方

2018年05月18日 19時53分39秒 | Weblog

  日大の対応は、今の日本そのものだ。日大と関西学院大とのアメリフットの定期戦で、誰が見ても悪質な反則行為があった。日大の選手が、ボールを投げ終えた無防備な関学大の司令塔の選手に、まっしぐらに突入してタックルした。その後も明らかにケンカを売るような、ぶつかり合いと言うより、殴り合いのような行為をし、3度目の行為で退場処分となった。

 テレビで見る限りでは、最初の激しいタックルで関学大の選手が動けなくなると、日大チームはよくやったと言った雰囲気だったし、退場処分を受けて選手が戻って来ると、チームメートが肩や背中に手を回し、ねぎらっている様子だった。倒された関学大の選手は第2・第3腰椎棘間靱帯損傷と診断された

 関学大は日大に抗議し、なぜこのような行為が行われたのかと回答を求めたが、日大は「乱暴行為を行うことなどを選手へ教えることは全くございません」と、意図的な反則行為ではないとし、「厳しさを選手に求める際に、指導者による指導と選手の受け散り方に乖離が起きていた」と説明している。監督やコーチが「つぶせ」「壊せ」と指導したら、選手が本気でしてしまったという解釈である。

 ちょっと待て。関学大の選手が倒された時、日大のコーチは手をたたいていたし、もし、選手が勝手に違反行為を行ったのなら、なぜ、選手を戻して厳重に注意し無かったのかと思う。その後2度も悪質な行為を見過ごしたのも納得できない。それでいて、選手の受け止め方が間違っていたとは全く呆れる。どこかの国の大臣や首相にもみられるこの無責任さはどうしたことだろう。

 戦国時代の武将は敗戦が分かると、自分の首と引き換えに部下の助命を乞うた。それが指導者の立場、武士道であったのに、最近は部下に責任を負わせて自分は涼しい顔をしている。日大の監督は自分の指導のまずさを認めなくてはならない。国の指導者たちも、国民のために命を差し出す覚悟を見せて欲しい。でも、あの人たちは見せるだけになってしまうかな?

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