もちろん今日は、天気もよく風もなかったし、カミさんの応援もいただいたから、一日中ルーフバルコニーで作業をした。昨日の疲れが残っていたが、「よいお天気じゃない」と、励まされてはサボるわけにはいかない。カミさんは「じゃーガンバってね」と言って、スポーツジムへ出かけて行った。ひとりで黙々と作業をしながら、倉橋由美子さんの『大人のための残酷童話』に倣って、ストーリーを考えてみるがまだまとまらない。
学校の運動場からは、元気な野球少年たちの声が聞こえてくる。いつも思うことだが、野球をしているのになぜ、「ワーショイ」と掛け声をかけるのだろう。子どもたちが黙々とプレーしていると、コーチが「声が出ていないぞ」と注意する。チームプレ―の競技だから、一丸となるためにもみんなで声を出すのは理解できるが、どうして「ワーショイ」なのだろう。
「ワーショイ」はお神輿を担ぐ時に、バラバラにならないように発する掛け声だ。「和して背負う」からの掛け声だと言われている。いかにも本当らしい説明だが、きっとそうなのだろう。韓国語の「ワッソ(来たの意味)」が語源という説や、ヘブライ語が語源という説まであるそうだ。「元祖はうち」と誰でも言いたがるが、そんなことは言語学者か言語の歴史学者に任せておけばいい。
野球少年たちがなぜ「ワーショイ」と言うのか、コーチは何故黙認しているのか、その方が興味深い。インターネットでのニュースは今や、いろんな会社というか個人というか、発信元も様々なようだ。そんな中に、「安倍首相が不在なのに官邸前でデモをしている」と報じたものがあった。どうもこの発信者はどこかの記者らしいが、「どうせマスコミ受けを狙ったデモで、『安倍やめろ』と叫ぶ連中なのだ」と見下げていた。この記者はデモをした経験がないばかりか、デモを敵視していることがよく分かる。
「ワーショイ」の語源は興味深いが、デモをこんな風に見る記者の存在は情けない。