名古屋市美術館で開催中の、『モネ それからの100年』を見て来た。「すべてはモネからはじまった」と副題にある通り、モネの時代から絵画は変わった。それは社会変化の表れで、自我の独立と言える。近代までは芸術家は存在しない。依頼者に求められて作品を作る職人であり、絵描きだけでなく、音楽に携わる人も、舞台の人も、今、芸術家と呼ばれている分野は皆、その道の職人であった。職人と芸術家はどこが違うのか、それは自分の意思を作品に現わしているかにある。
この企画展は学芸員の思い入れが強い。モネの作品を紹介すると共に、現代アートが並べられ、その飛躍に圧倒される。絵画に興味のない人は、「エッ、なあーに?」と度肝を抜かれる。確かにモネらの印象派から近代絵画が生まれ、現代アートへと展開してきた。だから、現代の作品もモネから出発していると指摘されればその通りだけれど、かなり強引な展示のように私は思った。ただ、現代アートの中にはどのようにして作られたのか、謎解きのような凄い作品があり、大変興味深かった。
「モヤモヤとしてよく分からないのが現代」と言われれば反論はない。昨日、関学大の選手に反則行為をしてケガを負わせた日大アメフットの選手が、ひとりで記者たちの前で謝罪していたことをが頭に浮かぶ。彼は自分が犯した過ちを公の場で謝罪しなければならないと決意したと言う。自分の中のモヤモヤした気持ちを振り切らなければ、これから先、どうやって生きて行けるのかと悩んだのだろう。記者の質問に素直に答えていたが、監督やコーチを悪く言うことはなかった。
何だかよく分からない「ウソばかり」が目につくこの頃、涙が出そうになった。「監督と選手の間に乖離があった」とか、「記録が残っていない」とか、「会っていない」とか、「そういうことは一切ない」とか、聞けば聞くほどモヤモヤが募り、憂鬱な気分になってしまうこの頃だ。今日の天気のように重苦しい。これから梅雨入りになるそうだから、もっと滅入ることになるのだろうか。「恋の季節」は訪れそうにない。