朝から雨降りだったので、届けられた市の広報を見ていた。市の夏祭りについて、驚く内容が掲載されていた。市で行なわれる夏祭りは、実行委員会形式で行われ、市が前面に出ない。それはこの形の発案者であった前町長が、市民が企画し市民が運営する夏祭りにすることで、より多くの市民の参加を期待したからである。
だから町長は、町内のあらゆる団体がそれぞれに工夫を凝らして何を売ってもいいし、値段もそれぞれの団体に任せ、売り上げは団体の活動費に充てればいいと提案した。祭りに付きものの露天商を排除し、市民団体が食べ物や飲み物、あるいは手芸品、採集してきた昆虫などを販売する夜店を開き、素人の活動でより多くの市民を呼び込むことに努めてきた。
舞台も盆踊りだけでなく、様々に工夫され、より多くの出演者が生まれた。私たちの夜店でも、まだ幼い子どもが、「冷たいラムネはいかがですか」と声をかけて売った。そんな幼い子も大きくなるにしたがい、売った商品をタオルで拭いて渡す思いやりを考えるようになった。巣立っていった子どもたちも夏祭りには帰って来て、夜店を手伝うまでに成長した。夏祭りの会場に足を運ぶ人たちも、今ではもうすっかり「故郷の夏祭り」を楽しみにしている。
ところが実行委員会は、各部門の応募者に「協力金を出してもらう」「雨で中止になっても返金しないことを了承して」とまでいう。各部門の人たちは皆、夏祭りを盛り上げたい、故郷の夏祭りを大切にしたい、そう思って時間と労力を投入してきた。それなのに、「協力金を出せ」とは何という発想なのだろう。もっともっと夏祭りを市民の祭りにするために、何をすべきかとは考えなかったのか。
「協力金」を集めても大した金額にはならないだろう。そんなことよりもなぜ市長に掛け合わなかったのか、なぜ市民と協議もせずに一方的に決めてしまったのか、残念でならない。長い間、実行委員の座に就いていると、上からの目線になってしまい「権力の暴走」に気付かないのだろう。酒の販売は禁止、店内での飲酒もダメ、そして今度は「協力金」である。もう、やってられないよ。