友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

亡くなったダンナへの義理と思って

2018年05月07日 17時22分45秒 | Weblog

  朝、出かけようとしていたら、ひとりの女性が訪ねて来た。「どなたですか?」と聞くと、名前を言われた。以前、私の選挙を応援してくれた人の奥さんだ。いよいよ来たかと、要件を聞く前に分かった。夫は人の好い性格で、何でもやってくれた。ただ酒を飲むと飲まれてしまう傾向があった。大晦日に除夜の鐘をみんなで突きに出かけた時も、酔っ払って溝にはまり大けがをしたり、酒の席ではみんなに迷惑をかける人だった。

 出勤途中に交通事故に遇い、亡くなられた。まだ、若かったから奥さんは苦労されたと聞いた。生きていた時は酒癖の悪さで、亡くなってその苦労から解放されたのに、生活は苦しかったようだ。友人から「金を借りに来るから、絶対に貸さないように」と聞いていた。「どうされました?」と尋ねると、「お恥ずかしい話ですが」と言う。間違いなく金の無心である。「どうしても5万円がいるので、必ず明日には返しますから、今日だけ貸してもらえませんか」と話す。

 カミさんは即座に、「うちはカードで買っているので、現金は置いていないの」と言う。私は急いで3万円を封筒に入れ、「とりあえずはこれで」と渡す。「2万円足りない。どうしよう。他に頼る人がいなくて」と言う。「とにかく3万円払って、残りは明日に伸ばしてもらったら」と言うと、シブシブ引き揚げていった。「貸したらダメと言われていたじゃないの」とカミさんは呆れた顔で私を見る。「返しに来ないわよ」と畳みかける。おそらくそうだろう、分かっている。

 議員だった時も幾人かが金の無心に来た。世話になった人には恩義もあり300万円貸した。ひとり暮らしの老婆は「正月を迎える用意も出来ない」「電気を止められる」などと理由をつけ、「年金が入ったら必ず返す」と借用書まで書いてあった。1度金を借りた人はまた借りる。治らない病気である。兄が保証人になって材木屋を潰したので、絶対に保証人にはならないと誓った。金の貸し借りは人間関係を壊す。分かっていたが、亡くなったダンナへの義理と思って渡した。

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