ジャスミンの白い花が咲き始めた。バラも次々と咲き、クレマチスも咲こうとしている。アジサイはまだ先だろうが、それでも準備が出来ている。チューリップが終わった我が家のルーフバルコニーは、緑深いガーデンへと移りつつある。夏の花を植えるために、土作りをしているが、この際だからと鉢を4個処分した。チューリップを抜いたなら、あと10鉢を処分しようと思っている。
花たちは正直だ。愛情を注げば応えてくれる。それでも同じように育てているつもりでも、よく育つものとうまくいかないものがあるのはどうしてなのだろう。「誰でも陽の当たる人生ではない。それでも懸命に生きるしかない」とは何かのドラマのセリフだった。人も植物も動物も、生まれたからには皆、懸命に生きている。親は子のために、私は花たちのために、過保護にならないように注意しながら、出来ることをする。
根気強くなった。焦らないし、結果については「仕方ない」と受け止められるようになった。若い時はストイックな求道者で、絶対的なものにあこがれていた。いい加減なことしか出来ないのに、中途半端さを嫌っていた。けれど、74年目にしてハッキリと、人間とはそういうもの、人間の社会とはそういうもと理解するようになった。だからいい加減でいいということではない。マズイと感じる人間がそれを口にしなければ、歪みはもっとひどくなる。
武力で政権を奪取すれば、政権を維持するために反対勢力を弾圧する。選挙で政権を得ても、その維持のために躍起になる。国家もそうだが地方自治体も同じだ。いや、組織自体がそういう運命にある。バカバカしいと思いながらも、それが人間社会の宿命であるなら、「懸命に生きる」しかない。緑豊かな初夏、そして猛暑の夏、台風と秋風の季節へと移りゆくが、決して同じ日は来ない。