朝早く、電話がかかってきた。昭和11年生まれの先輩が、「清水寺の森清範・貫主の講演会をDVDにしたからあげる」と言う。午前9時に、いつもの喫茶店で落ち合うことにする。私が喫茶店に向かっていると、前から来た車がフラッシュする。先輩が「休みだったから、乗って」と言うので、近くの別の喫茶店に行く。
82歳の運転は結構怖い。急な右折・左折は平気でするし、狭い道なのに180度の方向転換もやってのける。腰が悪いから歩く時は杖を突いているが、「車が無くてはどこにも行けない」と車を乗りこなしている。高齢者の運転が事故につながっていると問題になるが、車が無いと動けないのは山間部ばかりではないのだ。
「花まつり」である釈迦の生誕記念が、江南市で開かれた時にビデオ撮影したもので、江南市仏教会が主催し、ココ壱番屋の合唱団「COCORONI」が「茶摘み」や「からたちの花」なども抒情歌を歌った。中心になって森貫主を招いた永正寺は、愛知県立芸術大名誉教授の水谷たき先生の生家で、乾漆彫刻像が展示されているし、見る人の方を見ているようにみえる釈迦像もあるから一度出かけたいと思う。
82歳の先輩と話していると不思議に元気になる。物知りだがエラブラナイからかも知れないし、考え方や価値観が違っても非難したり見下げたりしないからかも知れない。相手を思いやるのは日本人の美徳なのだが、そこに上下関係があると「忖度」になってしまう。安倍首相も言っていたが、「忖度される側はわかりません」ということのようだ。日大アメフット部の監督の言葉を聞いても下の者への思いやりはどこにもなかった。
釈迦は自分が何者なのかを悟ることに全力を尽くした。上の者が謙虚でないと、「忖度」は度を越していく。それが人の常だと思う。