友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「気骨のある人」

2009年08月19日 20時31分36秒 | Weblog
 一日中、テレビの高校野球を見ていた。見ていたのに時々他のことを思っていた。「おー!」という声で画面に集中し直す。高校生はまだ幼いが、プレーは真剣だからプロ野球よりも惹きつけられる。カミさんが「やっぱり、投手の違いね」とにわかに評論家のようなことを言っていたけれど、確かによい投手を抱えているチームは強いが、順当に行かないのが高校野球だ。解説者はよく「気迫が勝りましたね」と言うけれど、そういうことなのだなと思う。

 別の言葉でいうならば、「気持ちがこもっていた」とか「集中力」という言い方でもいいだろう。運不運はあると思うけれど、それも「気迫」が呼ぶものなのかもしれない。あんなに頑張って練習を積み重ねてきたのだから、「気迫が漲る」のも無理はないけれど、それはまた相手にもいえることなので、結果については「運」なのだろう。みんながみんなプロ野球選手になるわけでもないのだろうから、選手たちにとっては一生の思い出の場面となるだろう。

 スポーツのさわやかさに比べると政治の世界はやはりどす黒い。先日、NHKテレビで『気骨の判決』というドラマを見てビックリした。第2次世界大戦の最中、東條内閣が誕生し、戦争に勝つためには「挙国一致」だと国民のほとんどが思っていた時代に、こんな裁判官がいたことを初めて知った。「挙国一致」のため、大政翼賛会の推薦者に投票することが「国民の証」であるような時代に、大政翼賛会以外の候補への妨害活動を「有罪」とした裁判官の物語だ。

 「卑しくも天皇陛下がお決めくださったことに逆らうことは許されることではない」と、証言台に立った翼賛会の人々は、「選挙妨害は正しい行為だ」と胸を張って言う。裁判官である彼にも当然圧力がかかる。もっとも論理的に組織的な選挙妨害と主張していた若い判事はシンガポールへ左遷される。家の玄関には首を絞められたハトが置かれ、刑事に四六時中見張られる。法務大臣に直接呼び出され、時局を考えて判決を出すように強要される。

 それでも彼は、裁判で「有罪」を下す。やり直し選挙は先回と同じ結果であった。「意味無かった」と刑事にイヤミを言われるけれど、「いや、そうではありません」と彼は答える。戦時下の「挙国一致」の中にありながら、「法律に忠実」であった人がいたことを後世の私たちは誇りに思うし、勇気をもらうことになったと思う。大半の人々が信じていることと違うことをすることは勇気がいる。彼は「法律」に依拠したけれど、自分の良心とか信条となるとそこまでの勇気が出せない人の方が多いだろう。

 太宰治を思い出した。彼は「結核」のためか、あるいは「結核」を理由に、従軍しなかった。多くの文筆家が戦場に出かけて戦意高揚の記事を書いたのに、それをしなかったばかりか、この時期には幾編かの「御伽草子」を書いている。子ども向けの御伽噺を題材にしているけれど、話の中身は全く大人向けだ。太宰は女性にばかり甘えた「ならずもの」だけれど、戦争には加担しないと心で決めていたのだろうか。意外に「気骨のある人」なのかも知れない。
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総選挙が公示された

2009年08月18日 19時57分42秒 | Weblog
 第45回衆議院議員選挙が公示された。やかましくなるかと思ったけれど、地方議会の市議や町議の選挙とは違って、やはり選挙区が大きいから選挙カーは滅多に来ないので静かな選挙だ。本当に政権交代選挙になるのか、一抹の不安はある。

 今日は早朝からお寺の井戸の整備で出かけた。古い井戸だが先日、さらに掘り進めてキレイな水が出るようになった。そこで、子どもがいたずらでもして古井戸に落ちたら大変だから埋めて欲しいと頼まれた。井戸掘りも今回のような井戸の整備も肉体労働である。麻生首相の言葉を借りれば、私たちのような定年退職者集団は「(肉体労働で)働くことしか能がない」。

 古井戸に溜まっている水をポンプで汲み出し、せっせと土を運び込んで埋めていく。はじめは冗談が飛び出すが、そのうちに無口になる。これは疲れてきている証拠で、この限界を見極めずに働き続ければ、熱中症になりかねない。元気よく一輪車で土を運んでいた友人が、とうとう座り込んでしまった。メンバーの中では若い方の私は最後まで一輪車を担当したけれど、両腕と両足がパンパンである。

 用意していただいたお茶を飲み、ちょっと休憩にする。話題はどうしても今日公示された選挙のことになる。大方の見方は民主党が圧勝するだろうというものだった。私も政権交代はぜひ実現して欲しいと思っている。長すぎることはよくない。どうしても腐敗が生まれてくる。政権にいる人は誰もが真面目に一生懸命に勤めているのだろうが、恐ろしいことだが人は「慣れ」に気がつかない。前例どおりにやっていれば問題はないとして、異議を排除しようとする。やっていることを検証したり、見直したりすることも、外部からの要請や不祥事などの事態が生まれてから行なわれる。

 だから政権交代は現実のものである方がいい。それでも、先日何年かぶりにかけてきた選挙好きの70代の友人は「選挙は何が起きるかわからんから安心は禁物だ」と言っていたことが気にかかる。また、民主党がどこまで議席を伸ばすのか、社民党が議席を失うことはないか、そのことが心配である。民主党の議員でもまるで幸福実現党のような考えの人もいる。私の願いは、憲法第9条を守りさらにその精神を発展させてくれることだ。幸福実現党が小池百合子元防衛大臣を選挙で応援するという。小池候補は「北朝鮮のミサイル・核問題をしっかり訴えてこられた。この一点に焦点を当て、すごい政策をお持ち」と評価している。幸福実現党の姿を見たように思った。

 小池さんや麻生さんのような候補が当選することのないような選挙となれば、有権者のレベルも変わったといえるだろう。そうなって欲しいと思うけれど、私はただ見守るばかりだ。ところで、総選挙は告示ではなく、なぜ公示なのかと思っていたが、告示は選挙管理委員会が行なうが、公示は天皇の国事であると友人がブログに載せていた。なるほどそういうことだったのだと恥ずかしながら納得した。
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動物は育てられない

2009年08月17日 20時01分07秒 | Weblog
 カミさんの実家というか、義弟が建て直した家に昨日、叔母さんと妹も集まって仏壇にお参りした。15日が送り火だから、仏壇にはお父さんとお母さんの霊はいないわけだが、弟が言うように「こうしてみんなが集まれることがいいんだ」と、私たちも思っている。私の長女夫婦も「一緒に行って、挨拶したい」と希望していたが、孫娘は塾や習い事のピアノ教室があり、それに長女はまだ車椅子生活だから、「年末に集まる時まで待ったらどうか」ということで納得してもらった。

 長女のダンナは娘の「春駒」を皆さんに披露し、「家族の一員入り」したいと強く願っている。昨日は弟の子どもたちも、妹の子どももそれぞれに都合がつかなくて集まれなかった。だから逆に、次の機会にみんなが揃った方がいいように思う。なかなかいとこが全員揃うことがなくなった。もう皆一人前の大人なのだから仕方ない。私たちのように退職した人間と違ってバリバリの現役だ。それでもいつか、「親族が揃う機会を作りたい」と弟は言う。

 弟も歳を重ねて随分丸くなった。人一倍気を遣い、思いやりの強い男がより優しくなった。顔つきもまるで義父そっくりである。義父は警察官だった。だから、現職の頃は厳しい顔をしていた。私たちが結婚し、やがて退職して学校の事務をしながら陶芸に打ち込むようになって、どんどん柔和になった。孫たちへの愛情は溺愛と言っても良いほどだった。一緒にお酒を飲む機会も次第に増えた。酒豪の義父にはとてもかなわなかったけれど、逆に義父は弱い私に気を遣ってくれた。私は母と父を高校生の時に亡くしているので、義父とお酒を飲むのは嬉しかった。若い時にいかに苦労をしてきたか、義父の話の多くは自分史だったが、私は義父の話を聞くことで「家族の一員入り」した思いだった。

 弟にまだ孫はいないけれど、弟の娘たちが退職したら寂しがるのではと犬を買ってきた。弟の毎日はこの犬パグの世話で明け暮れている。リビングにはパグの写真やパグと一緒の写真があちらこちらに飾ってある。私たちが食事をしているとパグは弟の隣のイスに座り込み、まるっきり家族の一員である。ガンチの目玉をギョロギョロさせて、食べ物を待っている。弟の嫁や叔母が「下に降りなさい」と言うけれど、パグは尻尾を振って弟から目を離さない。弟がキュウリやスイカをやると大喜びで食べる。

 犬がキュウリやスイカを食べるなどとは私は知らなかった。だいたい犬を人間と同じ座敷で飼うことすら考えられなかった。私の知っている犬はいつも土間にいて、エサはご飯の残りに味噌汁をかけたものだった。我が家は材木屋で人の出入りも多かったせいか、犬はいなかった。私が子どもの頃に飼ったことのある動物はニワトリとハト、金魚くらいだったと思う。ニワトリは祖母が飼っていたので、エサやりなどの世話をした。ハトは自分で小屋まで作った。小屋は屋根近くの高い場所だったのに、ヘビやネコに襲われたことがあって、余りにも惨い現場を見て飼うのを止めた。

 草花を育てるのはいいけれど、生き物はなぜかダメだ。「死」を素直に受け止められない。悲しさや寂しさが強すぎる。
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お墓参り

2009年08月15日 11時44分45秒 | Weblog
 今日は私の家のお墓参り、明日はカミさんの家の仏壇にお参りする。『千の風になって』ではないけれど、お盆だからといって先祖の霊が帰ってきているとは全く思っていない。魂とか霊が存在するなどと考えたこともない。ないけれど、毎年お墓や仏壇にお参りする。自分自身のあるいは家族のセレモニーだと思っているからだ。

 お墓参りの後も仏壇にお参りした後も、集まった親族で会食をする。それが大事なことだと思っているし、できる限り自分の記憶にある亡くなった人たちの思い出を話すようにしている。子どもたちやましてや孫になると、全く会ったことのない人が多くなる。「おじいちゃんは、(あるいはおばあちゃんは)こういう人だったんだよ」と伝えておきたい。

 血のつながりというものも、そんなにたいしたものではないと思う。私には父と母の血は2分の1ずつでも、私の子どもにとっては4分の1、孫には8分の1だ。後天的な影響も自分にとっては父と母の存在は大きいけれど、私の子どもは母方の祖父母しか知らない。私は3男だが、今は上に男は誰もいなくなってしまったので、総領を務めているけれど、姉や私が亡くなれば次の世代の子どもたちは違う形で集うことになるだろう。

 親族の結束を固めることは封建時代までは重要であった。農作業をはじめとする産業は親族の結束が必要であったし、戦いともなれば最も基礎となる戦力であった。資本主義の世界では個人の能力が求められ、親族の結束は後退した。家族の形も変わりつつある。空気や水や資源の共有化が人類の最終地点であるならば、人もまた共有財産となるのかもしれない。

 今の時点では、血のつながりがどのようなものであれ、私たちはまだ自分の先祖にとらわれているし、その思いを子どもや孫にも伝えようとしているに過ぎない。子どもや孫がどのように考え伝えていくかは、子どもたちや孫たちが考え作り出していくだろう。

 父や母がどんな思いで生きてきたのか、知りたくても知りようがないし、知ったところで生きた時代の違いはどうしようもない。それぞれに、その時代その時代を皆精一杯に生きてきたのだと思う。「お前はどうしようもないね」と母は嘆き、父は「好きにするんだな」と呟くだろう。もし仮に、死んだら先祖の霊に出会えるなどということがあるなら、私は出会いたくないな。そのためには長生きした方がいいな。

 さあ、午後には出発する。えっ、午後にお墓参りとビックリする人が多いだろう。ホント!いい加減なのだ!
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党首討論は見なかったけれど

2009年08月14日 21時52分44秒 | Weblog
 やっぱり腰が痛くて昨夜は眠れなかった。寝返りをしようとすると痛くて目が覚めてしまう。それでもまあ、どこでもいつでも眠れる私は「イタイ!」と思いながら、いつの間にか眠りに落ちてしまう。けれど、実際によく眠れなかった。それで、今日もテレビの高校野球を見ながらぐだぐだと一日を過ごした。

 昨日、久しぶりに友人から電話がかかってきて、「中日新聞の夕刊は見たかね」と言う。大和塾の第1回市民講座の講師を務めてくださった淑徳大学の初谷先生が載っているというのだ。夕刊はとっていないので販売店へ出かけて行き、分けてもらってきた。先生が収集家であることは知っていたし、集められた資料が貴重なものであることは先生からよく聞いていたが、こうして新聞に大きく取り上げられると、改めて先生の苦労が伝わってくる。

 新聞の記事は、先生が集めた昭和初期の絵本や童話から、「既に軍隊を美化したものが目立ち、戦争に向けた地ならしが、子供も対象にしていたことが浮ぶ」とあった。また、「多くの作家が戦争協力していたことが分る」とし、最後に先生の「収集品を整理して、研究を進め『将来は博物館か資料館を造って、広く知ってもらいたい』」との談話で結んであった。協力を要請されている私としては、心を新たにして取り組まなくてはならないなと思った。

 テレビで高校野球は見ていたけれど、麻生自民党総裁と鳩山民主党代表の党首討論は見損なってしまった。見たいという関心が今ひとつなかったためだ。国会での党首討論を一度見たけれど、何だか面白くなかったので、選挙前の大事な時期での党首討論なのに心が動かなかったのだ。それで、新聞に報じられた党首討論を見てみた。朝日新聞は両者を対等に扱おうとする割付になっていたが、中日新聞はニュースとして扱う姿勢をとっていた。

 新聞報道やテレビの報道を見ると、麻生さんは民主党の政策批判に躍起になっていたし、鳩山さんは防戦一方で頼りなく思えた。麻生さんが民主党の政策はバラマキだと批判し、財源が明らかでないと言っていた。本当にこの人は楽天的で底というものがない。だって普通の人なら、批判するからには自分たちはどうかと考えるからだ。自民党の政策はバラマキではないとする根拠を示し、また財源についてはこう考えると示すのが論戦というものだ。鳩山さんも自民党の政策について批判すべきだろうが、論戦ではうしろ向きの印象を受ける。確かに鳩山さんが言うように、財源は確保できるだろう。それよりも自民党政治は放漫財政にしかならないことを明らかにすべきであった。

 とやかく言うよりも民主党に政権を担わせて欲しいと国民に訴える方がいい。自民党政権ではダメだけれど、本当に民主党でやっていけるのかと誰もが思っている。だからこそ民主党の意気込みを示すべきだろう。私はそんなに大きな期待を民主党に持っていないけれど、とにかく一度、民主党にやらせて見ればいいのではないかと思う。それで気に食わなければ、再度、政界再編となるであろう。そうしながら、少しずつ前進できればいい、そんな思いでいる。
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快適な生活のツケ?

2009年08月13日 21時18分06秒 | Weblog
 今日も蒸し暑い。朝食をすませて、床屋へ行った。馴染みの床屋で、ダンナとは同じ歳だった。通りはいつもとは違って静かだ。車の往来が随分少なくなっているように思う。床屋にお客は一人もいなかった。「おかげさまで、昨日まではとても忙しかったんですよ」と床屋のカミさんは言う。暑い時に涼しいお店で、どうってことのない世間話など聞きながら髪を切ってもらうのはいい。あのイスに座っているといつの間にか眠くなるのも不思議だ。

 同郷ではないけれど、同じ歳であったことから、昔のことや子どものことなど結構話ができた。私が地域新聞を作っていた時は貴重な情報の提供者でもあった。オヤジはガンで亡くなったけれど、なかなか豪快な人だった。酒も強いし、話もうまかった。急に頬がこけてきたと思っていたら、ガンで手術をしなくてはならないと言った。どこの病院にいい医者がいるとか、健康や病気のことには随分気を遣っているのだなと思ったものだった。

 私は65歳を4ヶ月も過ぎて、ここまで生きてこられたのだからそれだけでもありがたいと思っている。お酒も飲むし、美味しいものも食べる。今日は暑いからと、午前中からクーラーのある生活である。涼しい部屋で何をするという訳でもなく、テレビで高校野球を見たり、新聞を読んだりとすっかり夏休みの生活スタイルだ。これが本当はよくなかった。昼食の後、眠くなった。涼しいし、ちょっと横になるかと思ったらすっかり眠り込んでしまった。

 午後3時に目が覚め、「そうだ。涼しいうちに掃除をしておこう」などと、普段なら考えもしないことを実行した。掃除機を動かし、食卓の下を掃除しようとイスを引いて屈み込んだその瞬間、左側のお尻の上、骨盤の上の辺りから左足太ももの左側をビリビリッと電気が走った。一瞬だけれど動けなくなった。しまった!やってしまった。ぎっくり腰だと思った。けれど、いや、そうではなく筋違いではないかと考え直した。ぎっくり腰なら立っていられないが、痛いところをもんでやると楽になる。

 普段からあまり身体を動かさない。子どもの頃なら、よく走ったし、瞬発力には自信があった。高校生の時は体力テストでAであったし、懸垂はクラスで一番だった。31歳の時に、鉄パイプで滅多打ちにあってから、走ることはできなくなった。手も足も骨折しスポーツは何もできなくなった。だから、身体を鍛えることはしたことがない。鉢植えの花を楽しむようになって、屈み込んで作業をして、腰を傷めてしまった。ぎっくり腰はその時以来だが、今回はその時とは違っているように感じた。

 クーラーのある快適な生活などと、「楽」をしているとやはりこんな風にツケが来るのだろうか。高校野球の選手たちがあの暑さの中で、必死なプレーを繰り広げているのに、涼しい部屋の中にいながら、気迫が足りないとか試合の読みができていないとか、勝手なことを言っていた罰なのかも知れないなと感じている。
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無精に過ごす

2009年08月12日 19時30分18秒 | Weblog
 カミさんは朝早くからゴルフに出かけた。孫娘は昨夜から母親の所に行ったきりだ。だんだん妹が可愛くなってきたのか、動けない母親を助けなくてはとの思いが強いのか、ジジババのことはすっかり忘れ去られている。それが本来の姿であるし、いずれは時間がそうするだろうと思っていた。さて、ひとりで一日中家に居ると全く無精になる。誰にも会わないのだからいいやと、顔は洗っても髭も剃らず、ボタボタのTシャツ姿で平気でいる。

 テレビで高校野球を見たり、買ってきた小説雑誌を読んだり、パソコンに向かったり、時々横になって寝転んだりと誠にだらしない。それでも朝食も昼ご飯も自分で用意して食べた。食事の後にはコーヒーを入れ、10時と3時には日本茶も飲んだ。寝転んで雑誌を読んでいると睡魔がやってきて、30分ほど眠ってしまった以外は比較的だらだらしながらもやるべきことはやった。洗濯物は取り入れてたたみ、食器やナベ釜は洗い、台所はきれいに片付けた。

 こんなに時間が自由にあるのに、誰からの誘いもないのが悔しいけれど、一度だけかかってきた建材屋さんが「明日からは盆休みになりますが、17日に運ぶ土はどこへ降ろしましょう」と言ってきた。そうか、みんな盆休みに入り、それぞれに忙しいのだ。隣の小学校の運動場でも、早朝と夕方には親子でキャッチボールやサッカーをする姿が見られる。私はそんな親子を見ながら、花たちに水をやる。今年は鉢の数が昨年までの5分の1くらいしかないから、アッという間に終わってしまう。

 長雨で鉢の花の1つひとつに気配りができていなかったことに気がついた。数少ないバラをよく見ると1ミリくらいしかないゾウのような形の虫が新芽という新芽を食べてしまっている。一体どこからやって来たのだろう。先日もピンクのバラに幼虫が1匹くっついていた。花ごと切って花瓶に挿しておいたけれど、誰も虫がいることに気がつかない。そのうちに花びらがどんどん食われて惨めな姿になり、「何、これ!」と気がついてくれた。この幼虫もバラの天敵である。

 花も必死だけれど虫も必死だ。だから少しは虫に花や葉を食べさせてやろうと思っている。昨年はたくさんのアゲハチョウの幼虫を育てたミカンの木に、今年はまだ1匹しか見ていない。それも大きくなってきたなと思っていたら翌日には見なかった。いつものようにサナギに変身するにはまだ小さすぎる。いや、何かの都合でサナギになったのかも知れないと辺りを探したけれど、その痕跡は見当たらなかった。それ以来、気をつけているけれど、葉に産み付けられた卵を見つけることもない。この位置が悪いのだろうかと考えている。

 自然の営みは面白い。高校野球も思わぬ展開になって面白い。太宰治のウソに比べると、山崎富江は純粋だ。太宰を心底敬愛している。太宰は卑劣な奴だと思うが、自分もまた太宰に似たところがあるから、嫌だなと思う。
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自分でも不思議だな

2009年08月11日 18時56分10秒 | Weblog
 午前5時過ぎ、グラグラッと来た時はビックリした。とうとう地震、東海沖地震か南海沖地震かわからないが、大きな地震が襲ってきたと思った。揺れはさらに大きくなるだろうと覚悟をして、家具の下敷きにならない位置に身を置いた。揺れは続いたけれどそれで収まっていった。テレビをつけると震源地は駿河湾の沖と報じていた。津波がすでに来ている地域もあるとか、長雨が続いているので土砂崩れにも注意するようにとか、同じ内容を繰り返しアナウンスしていた。

 午前7時過ぎに、一人暮らしをしている姉が心配になって電話を入れた。「ああ、もしもし」と寝ぼけたような声が聞こえた。何事もないようだと安心した。「地震があったけれど、大丈夫だったかなと思って‥」と言うと、「えっ、地震があったの?」とまた素っ頓狂なことを言う。「結構、大きな地震だったけれど、知らずに寝ていられたなんて幸せな人だよ。テレビつけてみて、地震のことをやっているよ」。それからいろいろ、長女のことや9月に行く秋川雅史さんのコンサートのことなど話した。

 朝食を済ませると、誕生日会で行く「小瀬鵜飼」の計画を詰めておきたいから、「お邪魔していいか?」と電話があった。打ち合わせを済ませて、NPO「おたすけ」の理事会に行く。今日は作業を中止し、盆休み明けからの計画などを話し合った。会議の後、私は参加できなかった7日に掘った現場を見せてもらう。屋敷の一角に掘ったこの井戸は豊富な水量で、依頼主からは喜ばれていると聞いた。

 午前中は穏やかな台風一過の夏空であったが、お昼からはまるで気が狂ったように、西から強い風が吹き続けている。一定のリズムで吹き続けるのではなく、強くなったり弱くなったり、そうかと思うと突然に強烈な風となる。窓を開けたいのに、開けられない。西側のベランダに置いてある小鉢が強風のためにひっくり返っている。

 夕方になって、夜になると目が痒くなるので眼科に行ってきた。やはりアレルギーとの診断であったけれど、この眼科で昔、マンションの自治会の役員を一緒にやったことのある人に出会った。「終わったら飲みに行こう」と言うので、一緒に飲んできた。「いい人生だった」と繰り返すその言葉に間違いはないだろう。昭和一桁の男性たちは日本の高度経済成長を支えてきたから、文字通り楽しかったであろうし遣り甲斐があったであろう。その後の、団塊の世代の先駆けである私たちはただ楽しかっただけではすまないように思う。

 世界のリーダーはもう確実に次の世代に移った。私たちは自分が生きてきた時代について整理できるかどうかに過ぎない。小説の雑誌など買ったことはなかったのに、今読んでみようかなと思っている。太宰治と山崎富栄の心中にそれほどの関心はなかったのに、この事件を小説にならばどう表現するのかと思っている。自分でも不思議だなと思う。
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攻撃よりも降伏の方が命を救う

2009年08月10日 21時47分45秒 | Weblog
 台風が近づいてきているというが、雨も風もなく穏やかだ。昨夜は今年になって始めてクーラーをつけたままで寝た。昼間は暑くて耐えられずクーラーをつけることはあっても、夜は涼しくなるから滅多につけることはない。夏の間で、熱帯夜となるのは5日間くらいではないだろうか。昨夜は暑いというよりも蒸し風呂のようにベットリとしていて、これでは寝られないとクーラーをつけた。
 
 今朝方は雨が降っていたのに、午前9時くらいからは全く雨が降らない。それでもかなりの湿度だと思う。通路でコガネムシが仰向けになってバタバタしていた。時々こんな風にひっくり返って慌てて手足をバタつかせている昆虫を見かけることがある。コガネムシを拾い上げて手のひらに載せ、「さあ、飛んでいけ」と声をかけるがなかなか飛ばない。そればかりか、真っ直ぐではなく円を描くように進む。おやっと思ってよく見ると、左側は3本なのに、右側は2本しか足がない。右側の一番大きな足がないのだ。奇形なのか天敵に食べられたのかわからないが、これでは物に掴まるに不便かも知れない。そう思って草むらに返してやる。

 夏祭りの準備をしていた時の雑談を思い出した。夏休みに行なわれているNHKのラジオ番組で、子どもが「セミはなぜ仰向けになって死んでいるのですか」と質問していたのには感心したと話してくれた友人がいた。それで、「どういう答えだった?」と聞くと、「えっ、覚えていないな」と言う。子どもの質問が余りに面白かったので、そのことに感心してしまい、答えの方には気が回らなかったのだ。

 子どもの感性には驚かされることがしばしばある。大人になるとどうしてあの純粋さがなくなってしまうのだろう。昨日の朝日新聞に自民党が「日本を守る責任力」、幸福実現党が「今のままでは、愛する人も守れない」とする全面広告を出していた。そして今日の新聞では、長崎原爆の日に、長崎市を訪れた麻生首相と鳩山民主党代表の発言が載っていた。麻生首相は政府の『安全保障と防衛力に関する懇談会』の報告書を受け、敵基地攻撃能力の可能性も含めて検討するというものであり、鳩山代表は非核3原則の法制化を検討することを約束したいというものであった。

 幸福実現党が主張する「攻撃される前に攻撃せよ」が、戦争の歴史であった。民主党の非核3原則の法制化については、党内で一致できるかどうかも危ぶまれるけれど、敵基地攻撃よりは具体的で現実的だと私は思う。オバマ大統領は核兵器を本気でなくすつもりなら、まずアメリカの核兵器を廃絶すべきだ。そうすれば核保有国を説得できるし、他の多くの国が支持するだろう。私は以前にも書いたけれど、攻撃される前に降伏するほうがいいと思っている。国民の命を守ることが政治であれば、白旗を掲げた方がたくさんの命を守ることができるだろう。

 政治の力を信じるなら、まず戦争をなくすために何をするかだと思う。攻撃されるぞと宣伝する前に、相手国が何を求めているかを知ることであろう。お互いが傷つけ合うことなく解決する方法は何か、探すことが政治であろう。子どもたちの未来は大人の責任である。これは人類が誕生した時からの定めである。
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暑い日になって

2009年08月09日 08時02分32秒 | Weblog
 暑い日になった。これまで一度もクーラーを使っていなかったけれど、どうにも我慢できなくてスイッチを入れた。夕方、外に出るとまだ焼け付くような暑さだった。夏はいつもこんな暑さだったと思い出した。空を見上げると、入道雲が夕日を受けて輝いていた。昨日もそうだったけれど、雨雲のような低い雲と一方に、青い空に聳え立つような入道雲が目に入る。これから本格的な夏になるのだろうか。

 午後、炎天下の運動場で小学生の野球チームが練習をしていた。こんな暑い中でよく頑張るなあと感心した。日が沈みかけるとたくさんのグループがどこからともなくやってきて、運動場は華やかになった。昼間の練習の時は必死な掛け声だったけれど、涼しさが漂うこの時は楽しそうな声があちらこちらから聞こえてきた。夏休みの夕暮れ時の長閑な風景が今日も見られた。

 「今日までに一番楽しかったことはなぁーに?」と問われたら、人は何と答えるだろう。もっとも時間的に近くで起きたことだろうか、それとも時間的には大昔になる古い時代のことだろうか。流れ去った昔のことは取り返すことは出来ない。かといって、今のこの現時点は余りにも複雑で自分のことなのに整理がつかないことが多い。

 楽しかったことはいくらでもあるし、羅列したなら相反しているために、ボツにしなければならないこともあるだろう。自分が良しと思うことでも他の人から見れば許せないということだってある。人はとても矛盾した存在だと思う。何度も取り上げてしまうけれど、夏目漱石の『こころ』では、友人が恋する人を奪い結婚してしまう「先生」は最後には自殺してしまうが、先生に恋されて結婚した女性を夏目漱石はどう考えていたのだろう。

 昔、私と一緒に無党派・市民派で活動していた友人が、もちろん彼は自分では進歩的と思っていたとしても保守的であったと私も思うけれど、ジェンダーを標榜する友の家に電話をして、「ご主人はみえますか?」と尋ねた。するとカミさんは「つれあいならいますが、主人はいません」と答えた。それで友人は「私はついていけないので会を脱退する」と言った。この回答に間違いはないし、彼女は進歩的と称している人間も実は保守的なのだと思い知らせたかったのだろうこともよくわかる。

 しかし、私は悲しかった。そう言わなければ、自分の間違いに気がつかない人が多いことは事実だろう。けれども、もっと大きな気持ちにはなれなかったのかと思う。理論的に正しいからといって、絶対ではないと私は思っている。相手の弱点ばかりを挙げ、批判したところで、それで批判された人間が本当に大きくなれるだろうか。批判している人間は本当に完璧な人間なのだろうか。自分もまた非難されるべき人間であるというならば、人は平等な関係だと思うけれど、そうではなく完全無欠であれば平等とは遠いものになってしまう。

 炎天下で子どもたちに教えていたリーダーはどうなのだろう。子どもではなく大人同士の場合はどうなのだろう。まだまだ熱い夏は続くのだろうか。(昨夜、ブログは立ち上げたはずだったのに、今朝見て送っていないことに気がついた。ああ、情けない。それで今晩はブログ休みます。)
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