友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

東北大震災から4年

2015年03月11日 17時46分29秒 | Weblog

 昨日の雪が日陰に少し残っている。風がまた強くなってきた。3.11東北大震災から4年目になる。あの日が風の強い寒い日だったのか、覚えていないが、グラグラっときた瞬間はよく覚えている。自分がどこにいたのか、誰といたのか、覚えている人は多いという。人生でそんなに何度も体験できることはないので鮮明に記憶しているのだ。

 どこにいたのか、誰といたのか、そんなことで人生が大きく変わってしまうことがある。東北で生き延びた人と亡くなった人には、それぞれのドラマがある。良いとか悪いとかの問題ではなく、一瞬の判断がその後の人生を変えてしまった。言ってみれば、運命だったように思う。被災地を離れて愛知県のような遠いところへ避難して来た人もいれば、廃墟のような家に留まって暮らしている人もいる。悲しかったのは某市役所の壁に、「被災者は帰れ」と落書きがあったことだ。

 同じ被災者でありながらお金がもらえた人ともらえなかった人がいるため、こんな落書きが書かれたのだろうと言うが、情けないと言うよりも悲しい現実だ。人は他人を称えるよりも恨む方に傾く。水上勉原作の演劇『ブンナよ、木からおりてこい』でも、慰め合い助け合っていた者が、死を直前にすると自分だけ助かろうとしてしまった。死が迫っているわけでもないのに、なぜ「被災者は帰れ」と言うのだろう。

 ローンが残っていた家を流され、再びローンを組んで家を購入しなければならない。2重ローンは生活を圧迫するが、いつまでも仮設住宅にいることも出来ない。付き合いも大事だけれど働く場所がなければ暮らしていけないから、故郷を離れていくしかない人もいる。若い人なら働く場所もあるけれど、年寄りでは働きたくても雇用してもらえない。年寄りほど先が見えなくて心のバランスを失ってしまうそうだ。

 暖かなフトン、暖かな人肌、暖かな言葉、暖かなふれあい、人には欠かせない暖かさ、そんな暖かさを求めて人は生きている。竹下復興大臣は、来年度以降の復興予算について「全額国費で賄うのは難しく、地方にも負担を求める必要がある」と自助努力を口にするが、「被災者に寄り添う」という政府方針はただの言葉なのだろうか。安倍内閣は言葉と実体が違いすぎる。

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東京大空襲から70年

2015年03月10日 18時17分27秒 | Weblog

 子どもたちのはしゃぐ声がするので窓の外を見ると、ホワイトアウト状態になっていた。天気予報で東海地方でも雪になるとは聞いたけれど、午前中の様子から降ってもパラパラかと。風が強く、寒さは厳しいが、雪が積もることはないだろうと思っていた。北の空から黒い雲が流れ込んで来るが青い空も見える。ところが午後3時を過ぎた頃から、空が一面灰色に覆われ、相変わらず強い風に乗って霙が舞い始め、あっという間に銀世界へと変わっていった。

  雛祭り 過ぎても雪の 降るように あなたを求め 風舞い狂う

 東京大空襲から70年目の今日、墨田区の都慰霊堂で、秋篠宮ご夫妻、安倍首相も参加して追悼式典が行なわれた。来襲したB29は300機、投下された焼夷弾は2000トンという。「B29は目標の周囲にまず巨大な火の壁を作った後、逃げ惑う人々に狙いを定めて、無差別じゅうたん爆撃を加えた」(東京大空襲の記録)。亡くなった人は10万人、東京の4割が焼け野原となった。「原子爆弾を除く空襲では、世界最大の惨事」とノーベル賞受賞者のブラケット博士は指摘している。

 日本の各地が空襲を受けたことは、先日の民放テレビの企画『私の街も戦場だった』でも知るところだ。広島に続いて長崎にも原子爆弾が投下された。殺人事件の裁判ではよく、「何の落ち度もない人を殺した」と言うが、戦争では何の落ち度もない多くの人々が犠牲になった。戦争は兵士たちの戦いだけではなく、たとえ終結してもなお多くの後遺症が人々に残る。「イスラム国」への空爆も、ウクライナでの戦闘も全く同じだろう。

 日本はこんなに被害があったのだから、第2次世界大戦での犠牲者は世界のトップだろうと思ったが、最も死者が多かったのは2000万人のソ連、次が1000万人の中国、3番目がポーランドだった。日本は300万人、ドイツは600万人と中学の社会科の教科書にあった。無差別爆撃を受け、原子爆弾を落とされた日本はなぜアメリカに抗議しないのかと子どもの頃に思ったけれど、戦争は常に勝利した国が負けた国を支配してきたことを知り、戦争そのものを2度としないことが何よりも大事だと知った。

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医者も神様ではない

2015年03月09日 18時47分13秒 | Weblog

 中学からの友だちが「肺炎球菌の予防接種を受ける」と言う。この予防接種は昨年から始まったもので、65歳、70歳、75歳‥の年齢で、5年毎に接種しなさいというものだ。肺炎は死亡の第3位とテレビや新聞で盛んに宣伝している。子どもが予防接種を受けるのは意味があるけれど、高齢者に接種させて死亡率が下がったとしても、それにどれほどの意味があるのだろう。

 国の補助を受けられるから自己負担は少なくてすむとも広報している。要するに国としては、該当する高齢者を接種させたいわけだ。するとますます高齢者が長生きすることになる。高齢者は健康であることに敏感であるし、費用が少ないことはありがたいから、進んで接種するだろう。本人はわずかなお金しか払っていないと思っているが、医者や薬剤メーカーには国が支払っている。

 定期健診と定期接種とか、まるで義務のようであるが、それは医療機関と医薬品業界を潤すためとさえ思えてくる。私が通っている医者は良心的で、私の話しも聞いてくれるし、検査を押し付けることもない。私は医療費負担がゼロの人間だから、「あなたのためですよ」と検査されてもお金は払わなくてもいい。そこで医療機関によっては「医療費負担はないのだから」と検査ばかり行なうところもあるそうだ。

 患者にとって医者は絶対的な存在だから、医者の言葉に異議を唱えることはまずない。群馬大学付属病院で医療ミスが相次いだ。他の医師から見てもその執刀医は技術が稚拙だと言われている。しかし大学病院で先生の診察を受けて、「手術しかないが、開腹手術よりも早く退院できるから腹腔鏡手術で」と説明されれば、「よろしくお願いします」としか患者は言えないだろう。地域の大病院で胃カメラ検査を受けた時、待合室で並んでいると、隣の男性に「アンタは運がいい。今日は院長先生でなくて」と言われたことがあった。

 医者も神様ではないから、得手不得手があるだろう。みんながみんな誠実な人柄であるはずもない。私は高齢者のための予防接種を進んで受ける気持ちにはなれない。来る時がくれば仕方ないと思うし、医師を信じて託す他ないと思っている。ハズレなら運が悪かったと思うしかない。「そんなことを言っているとバチが当たるわよ」とカミさんは言うが、それもまた運命であろう。

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この世は全て舞台である

2015年03月08日 19時05分57秒 | Weblog

 暖かな一日で、心なしか我が家のチューリップも伸びてきたような気がする。街では水仙が咲いているのに、我が家の鉢植えの水仙は葉だけはよく育っているが花はまだ咲かない。どうしたのかと覗き込むと、根元で花芽が膨らんできていた。もう直ぐ咲き出すのだろうが、人は勝手で自分の気持ちを優先してしまう。

 街の演劇グループが水上勉原作の『ブンナよ、木からおりてこい』を上演した。演劇好きの友だちが出演しているがみんな演技に熱がこもっていた。演出は朗読クラブで指導を受けた舟木淳先生で、市の少年少女合唱団に出演協力してもらったというが、実に効果的でいっそう演劇を盛り上げていた。

 昨夜、テレビで東北大震災からの復興が進まないと報じていた。そんな中で女川町の復興が注目されていた。地元の人々も「女川町は復興していると実感できる」と話していた。復興の中心となっている男性は「還暦以上の者は口を出すなを合い言葉に進めてきた」と話す。番組を全て見ることは出来なかったが、女川町の町長は40代だったと記憶している。

 最近いろんなところで私たちの子ども世代が活躍するのを目にする。おそらく以前から活躍していたのに、私自身が気付いていなかったのだろう。私の周りでは私よりも年長の人たちが、仕事こそ退職しているが、地域やもっと広い範囲で活動している。ボランティアの人もいれば趣味の人もいるし、「知らないことを知ることの喜びを知った」と勉強中の人もいる。

 今日の演劇ではないけれど、希望を持つことは活き活きとさせる、しなければならないものがある人は元気だ。私よりも5つか6つ年上の先輩は今年、ブルガリアを基点に東ヨーロッパを車で旅する計画だと言う。古くからの友だち夫婦は今頃、ナポリを出て青の洞窟を見ているのではないだろうか。

 旅行も日々の生活も、今の時点から見れば、この先はすべてが未来である。シェイクスピアは「この世は全て舞台である。男も女も役者にすぎない」と言っていたが、役者だけでなく脚本も自分で作らなければならない。どんな芝居にするかは自分次第ともいえる。まだまだ先が楽しみだ。

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市民が主催する市民講座

2015年03月07日 18時17分21秒 | Weblog

 市民が集まって、次の講師に誰を呼ぼうなどと話し合って、市民に無料で参加してもらう、市民講座を行なっている市はまずないだろう。講師を呼ぶにはお金がかかるし、市民に呼びかけるためにもチラシを作らなければならないから、お金がかかる。それじゃー、自治体で開催してもらえばいいかと言えば、講師の選定が難しくなる。私的な集まりだから、「それ、面白いよ」と気楽に決められるけれど、自治体が主催となると「その講師は思想的に大丈夫か?」とか「人が集まらなかったらどうする」とか、必ずゴチャゴチャ言う人がいる。

 大和塾は塾生が15人しかいないので、話し合うにも行動するにもちょうどよい人数だ。「平均年齢は?」と聞かれると、かなり高いけれど、考え方はかなり自由で知識も豊富、好奇心も強い。学徒動員で軍需工場へ行っていた人もいれば、防空壕掘りを手伝った人もいるし、幼いながらも戦争を見た人もいるから、戦争を語り継ぐことを大事に思っている。「政治家も40代50代になると、憲法を変えないと自衛隊を派遣できないと平気で言うから困ったものだ」と嘆いている。

 戦争に反対するのは日本国憲法の基本的立場だと私は思うけれど、自治体では「偏りがあってはならないので政治問題は扱わない」。しかし、君が代を歌わない・日の丸に敬礼しない教師や自治体職員を「公務員としてあってはならない」と処罰する。そして今や、憲法を変えなくても、「新事態があった場合は、武力攻撃を受けていなくても自衛隊は攻撃できる」と防衛省設置法を改めるという。「政治の話はご法度」と国民が思っているうちに事態はドンドンと進んでいる。

 先輩たちは嘆くだろうがこれが現実だ。私たちは先にこの世を旅立つが、子どもたちや孫・ひ孫たちが苦しまないですむように、出来ることをしていきたい。桜見物に出かけたり、芝居見物に出かけたり、おいしいものを食べに出かけたり、ジジババは遊んでばかりいたけれど、人生のこと社会のこと世界のことも、考えていたと知らせておきたい。遊ぶ文化がなくなっては、人は幸せになれないと伝えておきたい。

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心の疲れをなくすには

2015年03月06日 18時42分00秒 | Weblog

 心療内科の医師が「身体を緩めると心も緩められる」と言っていた。何かをやろうとすると、何もかもうまくいって当然で、出来なければ落ち込むことになる。真面目な人ほどその傾向は強い。完璧なんてあり得ないと思っていても、いや、完璧に出来なくてどうするとムチ打ってしまう。「完璧を目指すのはいいけれど、出来なくてもいいと、体験を重ねると分かるようになります」と医師は話していたが、なかなかそう思えないところが辛い。

 社会のテンポは速く、学校でも職場でも、緊張感を強いられる。「そこそこで」などは許されない。「心が疲れている人は多い」と医師は言うけれど、じゃー、どうしたらいいのだろう。まずは小手先だけれど、「身体を緩める体操をする」ことだと言う。緊張は同じ筋肉を使っているので、ゆっくりと身体を動かして筋肉を伸ばしてやるといいそうだ。運動選手がよくやっているストレッチは効果があるのだ。

 「同じ空間、同じ環境に閉じこもるより、気分転換が必要」とも言う。日常から離れた非日常の世界を持つことは「心を緩める」ことになる。旅行や観劇や音楽、それに恋愛はもっと心を開放してくれる。「異なる世界を持つことは活力になる」からだ。真面目過ぎる人はなかなか恋愛など出来ないのかも知れない。全てを背負い込み、そこから抜け出せない。ウジウジと考え込むより思い切って外に出る方がよいことが待っている。

 学校に行けない、会社に行けない、そういう人に助けはないのだろうか。学校に行けないあるいは行かない子どもがいる。学校は何をしているのだろう。私の中学の担任だった先生は、学校が荒れていた時、夜中に子どもたちが居そうな場所へ出かけて行って話し込んだと言っていた。今、そういう先生はいるのだろうか。学校に不登校の子について尋ねても、「それは家庭の問題」とか「プライバシーだから」とか言うばかりで、責任逃れをしているように見える。

 「弱い人間はどうしようもない」とでも言うのだろうか。川崎市の事件もそうだけれど、子どもが孤立しているのを大人たちは気遣うことが出来ないでいる。この寂しさを克服する手だてはないのだろうか。

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梅の香に誘われて

2015年03月05日 19時06分09秒 | Weblog

    梅の香の 暖かき春の 訪れに 君の手を取り ウグイスを追う

   梅の花 甘き香りの 漂うは 君の匂いに 似て麗し 

 好きになった女性の手に触れたり、うなじから漂ってくる甘い匂いに口付けしたくなる、そういうことをする若者がいなくなったと、テレビが報じていた。私は早熟だったのか、中学1年の時から好きな女の子がいた。れけども、好きな女性と手をつなぐことが出来たのは結婚してからで、そのことを子どもたちに告白した時、「バカみたい」と笑われてしまった。だから、キスしたもの結婚後である。

 女性に触って見たいという気持ちは強くあった。女性の裸を見たいという欲望もあった。友だちに誘われて、ストリップを見に行ったこともブルーフィルムを見に行ったこともある。恋しているのに、年上の女性に抱かれる夢を抱いて、自分の中にもうひとりの自分がいることに気付き、不純な自分を卑下した。キリスト教に憧れながら、自分の罪深さに悩み、キリスト者にはなれないと思った。

 今の若者たちは理性が強いのだろうか。一緒のフトンに寝ていても何もしないなど私には考えられない。肌が触れ合うことの悦楽を知らないのだろうか。若者たちは「めんどくさい」と口にしていた。「制約を受けたくない」とか「責任が発生する」とか「時間をとられるのがイヤ」とか、ビックリするような理由を挙げていた。恋することの喜びよりも、モラルを壊すとどうなるか、余りに社会が話題にし過ぎている。

 理想の恋愛があるわけではない。理想の結婚があるわけではない。好きになるのに理由などいらない。若者が恋愛や結婚に消極的なのは、大人の側に問題があると思う。希望がないのだ、欲望を抱くことは悪なのだ、だから何もしない方が安全だと考えるのか。愛することは罪でもあるが喜びでもあるに。

 昨日、ブログを書き出したら急に呼び出しを喰らった。「大和塾で落語の会を開けないか?」と言う。どういうことなのか、会場は確保できるのか、そんなことで、てんやわんやになってしまった。しかも夜は男女共同参画連絡会があり、ブログを仕上げる時間がなかった。だから今日は2日分。ごめんなさい。

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雛祭りとはだか祭り

2015年03月03日 18時33分00秒 | Weblog

 次女のところはどんな風に初節句を祝ったのだろう。最近、次女が送ってくれる写真メールを見ると、もう直ぐ10ヶ月になる孫娘は随分と大きくなった。物につかまれば立ち上がることが出来るので、興味を持ったものを片っ端から引っ張り出してしまい、母親は大忙しらしい。音楽を聞かせたり、分からなくても本を読んでやったり、一緒に遊んでやることで赤子は脳を動かしていく。子どもは大人を見て学ぶ。大変だけど頑張るしかない。

 頑張ると言っても、普通のことをすればいい。ひな祭りらしいことであればいい。年中行事が大切なのは、家族が揃うことだと思う。意味付けや内容はもっと大きくなれば理解してくれるだろうから、行なうことが大事だ。仙台の気候はどうなのだろう。こちらはうす曇りだったけれど、風はなく寒い感じはしなかった。稲沢市の国府宮神社のはだか祭りは寒い日が多いけれど、今日は天気には恵まれた。

 今朝、長女から長女のダンナがはだか祭りに参加する姿がメールで送られてきた。すっかり清須市の人になっている。新川の浄化運動に参加したり、河川敷でのライブに出演したり、彼の持ち味が存分に発揮されている。いいところに引っ越したと私は思うけれど、安城の両親にすれば、跡取り息子が嫁の家の近くに行って寂しい気持ちだろう。再来年には5歳の孫娘が小学校へ通うことになる。ダンナの両親はただひとりの孫のことがとても気になるようだ。

 ダンナの父親は、「学校の送り迎えをしなくては」と意気込んでいる。ダンナの母親は図書館で働いていたこともあり、5歳の孫娘に読ませたい本をプレゼントする。ジジババに可愛がられ大切にされ、あの子は幸せだ。父親に似て音楽が好きで才能もある。母親に似て運動もできる。負けず嫌いなところはどちらに似たのだろう。20歳の孫娘もガンバリ屋だったから、姉にも似ているのかも知れない。

 はだか祭りは寒さのために酒を飲むからケガ人も出る。裸になるのは生まれたままの姿で神と向き合い、厄を落として新たに生まれ変わるためだという。長女のダンナがさらに飛躍するきっかけとなるのだろう。今年中には家を買うと言うから、清須の人なるのは確かなようだ。天下統一はこの地から始まった、彼にとっても縁起のよい地なのかも知れない。

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家族は疎遠になった

2015年03月02日 18時39分54秒 | Weblog

 川崎市で中学1年の男子が首を切られて殺害された事件で、18歳の少年が逮捕された。こうした少年や少女の犯行と報じられると、必ず「どういう家庭なのか」「親は何をしていたのか」と話題になる。親であった者なら誰でも「ウチの子どもでなくてよかった」と思うだろう。核家族になって、家族間が疎遠になってしまった。親子でも夫婦でも同じことで、相手の悩みを共有することがない。

 フェスティバルで子どもたちが描いた絵を見ていて、絵よりも名前が気になった。「海翔」「織里」「暖愛」「優愛」「美耶」「風翔」「透矢」「彩人」「蒼晴」「蒼依」「涼葉」「元斗」「周斗」「咲人」「彩音」「紳」「来美」「紗良咲」「真愛」「麻唯」など、まだまだ他にもこれは何と読むのだろうという名前が多い。大学生の孫娘に聞くと、「光宙」はぴかちゅう、「姫星」はきてい、「陽翔」ははると、「心桜」はこころ、こういう名前をキラキラネームというと教えてくれた。

 高校の国語の先生は読めなかった。小学校の先生に聞くと、「親は世界でひとつしかない名前にしたがるの。それが個性だと思っている」と困惑していた。なるほど、世界にひとつしかない名前なのか。私たちの頃は「名は体を表す」というので、使う漢字の意味を考えたけれど、名前の付け方も変わってきたのか。そういえば昔、我が子に「悪魔」と名前を付けた親がいたが、子どもは自分の名前を誇りに思うとでも考えただろうか。

 昨夜で終ったドラマだが、NHKBSで『だから荒野』はそんな最近の家庭を描いていた。鈴木京香さんが演じる主婦は、家に自分の居場所がないことに気付いて家出し、長崎で原爆の語り部をしている家に住み込むことになる。夫婦は他人同士だけれど、親子や兄弟は血がつながっているから、似たところがある。そんな微妙な心の動きを描いていたし、人は誰もが心に傷を負っていること、それを吐露することで分かり合えるとも描いていた。

 私たちの頃は、「青年は荒野をめざす」だったけれど、「だから荒野」とは何だろう。荒野は沃野でもあるというセリフもあったけれど、人次第ということなのだろうか。原爆で亡くなった人も、災害で亡くなった人も、事故や病気で亡くなった人も、それぞれに人生がある。人の死に差別はない。個性は誰にも備わったもの、磨いていくのは自分自身である。

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ドキュメンタリー映画『ファルージャ』

2015年03月01日 18時35分58秒 | Weblog

 ドキュメンタリー映画『ファルージャ』は100人を超す人が観てくれた。劣化ウラン爆弾による後遺症は今も続いている。戦場となったイラクはもとより兵士としてイラクで戦ったアメリカ兵やイギリス兵にもその後遺症は現れている。けれども、それを政府は公にしない。戦場からの帰還兵が精神を患い、多くの自殺者を生み、社会への不適応者になっていることも大きく取り上げられることがない。

 「『ファルージャ』には目を覆いたくなる場面があるので、上映するのはどうかと思う」という意見があったけれど、私が観た限りでは問題にするような残虐な場面はなかった。たしかに、劣化ウランによる先天性の奇形児が映っていたけれど、それは残虐ではなく悲しい悲劇だった。人間の争いがこのような悲劇を生み出している、紛れもないこの事実をむしろしっかりと受け止めるべきだろう。

 イスラム国は敵対する者は殺すというけれど、神はそんなにも愚かだろうか。絶対的な神ならもっと大きな存在ではないのか。イスラム国という戦闘集団が支持を広げているのは、彼らが凶暴なため恐怖で支配していると共に、自分たちが虐げられているあるいは不平等だと感じさせる現実があるからだろう。富める者と貧しい者との格差の広がりは、先進国でも不満を蓄積しているが、国や地域や民族でもそれは同じだろう。

 高校生の時にイクラ戦争が始まり、戦争反対のデモに参加した女性が、社会人となって映像の世界で働くことになり、もう一度イラク戦争を振り返ってまとめたドキュメンタリー映画である。若い女性監督が作品を通した自己検証でもある。私たちは、どこに生きているのか、なぜ生きているのか、何をしなくてはならないのか、映画を観ている私たちもまた問い直すべきだろう。かかわりたくないと他人事にしてしまう気持ちこそ、克服しなければならないことなのだろう。

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