昨日の雪が日陰に少し残っている。風がまた強くなってきた。3.11東北大震災から4年目になる。あの日が風の強い寒い日だったのか、覚えていないが、グラグラっときた瞬間はよく覚えている。自分がどこにいたのか、誰といたのか、覚えている人は多いという。人生でそんなに何度も体験できることはないので鮮明に記憶しているのだ。
どこにいたのか、誰といたのか、そんなことで人生が大きく変わってしまうことがある。東北で生き延びた人と亡くなった人には、それぞれのドラマがある。良いとか悪いとかの問題ではなく、一瞬の判断がその後の人生を変えてしまった。言ってみれば、運命だったように思う。被災地を離れて愛知県のような遠いところへ避難して来た人もいれば、廃墟のような家に留まって暮らしている人もいる。悲しかったのは某市役所の壁に、「被災者は帰れ」と落書きがあったことだ。
同じ被災者でありながらお金がもらえた人ともらえなかった人がいるため、こんな落書きが書かれたのだろうと言うが、情けないと言うよりも悲しい現実だ。人は他人を称えるよりも恨む方に傾く。水上勉原作の演劇『ブンナよ、木からおりてこい』でも、慰め合い助け合っていた者が、死を直前にすると自分だけ助かろうとしてしまった。死が迫っているわけでもないのに、なぜ「被災者は帰れ」と言うのだろう。
ローンが残っていた家を流され、再びローンを組んで家を購入しなければならない。2重ローンは生活を圧迫するが、いつまでも仮設住宅にいることも出来ない。付き合いも大事だけれど働く場所がなければ暮らしていけないから、故郷を離れていくしかない人もいる。若い人なら働く場所もあるけれど、年寄りでは働きたくても雇用してもらえない。年寄りほど先が見えなくて心のバランスを失ってしまうそうだ。
暖かなフトン、暖かな人肌、暖かな言葉、暖かなふれあい、人には欠かせない暖かさ、そんな暖かさを求めて人は生きている。竹下復興大臣は、来年度以降の復興予算について「全額国費で賄うのは難しく、地方にも負担を求める必要がある」と自助努力を口にするが、「被災者に寄り添う」という政府方針はただの言葉なのだろうか。安倍内閣は言葉と実体が違いすぎる。