友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

暖かさに誘われて

2015年03月21日 16時43分16秒 | Weblog

  

 このところの暖かさでマンションの桜も一気に蕾が膨らんできた。我が家のルーフバルコニーの水仙は花が咲き始めたし、チューリップの葉は一段と大きくなった(写真)。写真の左下に見えるのはツツジでもう満開だ。隣りにチラッと見えるのがパンジーでこれからドンドン咲き始めるだろう。バラもアジサイも新芽が大きくなってきた。いよいよ春になる。既に花粉症の人たちは「鼻がムズムズして」と言っている。

 秋は何となく人恋しくなるが、春は人に会いたくなる。人は春夏秋冬、いつでも誰かと一緒にいたいらしい。私が参議院議員の秘書をしていた時に事務所へ手伝いに来ていた人から、「会いたくなった」と電話があった。私の選挙の時も手伝いに来てくれた選挙好きのオッちゃんだけど、懐かしい気がして、「ええ、いいですね」と答えた。世の中には選挙がお祭りのように好きという人がいる。立候補の経験があればきっとイヤになるのに。

 昨日は小学校の卒業式で、体育館で式典が終った後、校庭に在校生と保護者が長い列を作り、その列の間を中学校の制服姿の卒業生が担任を先頭に歩いて来た。在校生が作る花のアーチを抜け、両脇の両親や先生やジジババらに手を振る卒業生はちょっと誇らし気だ。4月からはそれぞれの中学校へ入学するが、ここから一段と厳しい人生が待ち構えている。一生の友に巡り会うことにもなるし、自分の資質を知ることにもなる。

 今晩はマンションの友だちで行なっている誕生日会。それぞれの家庭で作った料理を持ち込み、ビールで乾杯した後、お勧めの日本酒やワインや焼酎が出てきて、ついつい時間の過ぎるのを忘れてしまう。楽しい仲間がいて、楽しい時間を過ごすことは、年取った者には大事なことだと思う。4月、この友だちを中心にさらにその知り合いを呼んで「桜の宴」を開くけれど、今年の桜の開花は早くなりそうだ。

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地下鉄サリン事件から20年

2015年03月20日 19時09分53秒 | Weblog

 「全ては出会いである」。そんな言葉が施設の壁に大きく書かれてあった。間違いなく人の一生は出会いである。たくさんの人がこの地球に生きているのに、出会う人はわずかでしかない。そのわずかな出会いで人は豊かになり幸せになる。地中海の国チュニジアの首都チュニスの博物館で、テロ攻撃があり20数人が犠牲となった。日本人観光客も3人亡くなった。地中海を豪華客船で回るツアーだった。

 たまたま博物館に行く観光バスに乗り込み事件に巻き込まれた。自分の注意では防ぎようもないことだ。しかし、災害とは違う。人が考え計画して起こした行為だ。テロの実行犯が銃の引き金を引かなければ、犠牲者は出なかった。今日は地下鉄サリン事件から20年になる。「あの時、あの地下鉄に乗っていなければ」と後遺症に苦しむ人たちは悔やむ。亡くなった人の関係者も「あの時乗っていなければ」と口にする。そう、人はいつも過去を悔やむ。

 今年は東京大空襲から70年、地下鉄サリン事件から20年、東北大震災から4年の節目になる。東京大空襲は知らないが、地下鉄サリン事件はまだ記憶に新しいのにもう20年も経つのかと改めて思う。オウム真理教は仏教を基本とした新宗教で、世の中に嫌気を抱いた若者が自らを変えることが出来ると言う麻原を信じた教団だ。仏教では修行をすることで悟りを得るという。救われない人をポアするというのは麻原の勝手な解釈でしかない。

 けれども多くの、しかも高学歴の若者が彼を信じ、彼の指図に従った。やはり、そこが問題だと思う。連合赤軍事件でも、彼らは高学歴で普通に暮らしているなら、それなりの暮らしが出来ただろう。イスラム国やアメリカの黒人暴動は学校に行けない、差別に甘んじてきた不満が底にある。学校に通い、知識が増えれば選択肢も増え、単純な判断ではなくなるはずだ。まず、知識を身に付け、考える機会を増やし、全体の知的レベルを引き上げることが大事だろう。

 それが世界の平和の基だと思う。それでもなお、オウム真理教のような教団がなぜ生まれたのか、そして今日的な視点で見れば、なぜ集団的自衛権の行使に向かってしまうのか、それが分からない。

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春闘

2015年03月19日 17時16分52秒 | Weblog

 安倍首相が経団連などの経営側に労働者の賃金引き上げを要請した成果なのか、今年の春闘は高額回答になっている。私が社会人となった昭和42年は、春闘といえば総評でその主力は公務員だった。JRは国鉄の時代、NTTも郵便も公営企業で、これらの労働組合は泣く子も黙る勢いだった。愛知県の教員組合は小中学校は御用組合で、私が勤めた高校と私学は共産党の勢力が強く日教組のストライキに参加する組合だった。

 公務員は生産現場ではないサービス業だ。国民に対するサービスに従事する者がストライキをすれば、サービスを放棄することになる。自己矛盾じゃーないか。しかし組合幹部は公務員が賃上げ闘争に勝利すれば、国全体の労働者の賃金引き上げにつながると主張していた。私もそれを信じてストライキに参加した。労働者でありながらその権利を行使しなければ、労働者は豊かになれない、そう思っていた。

 トヨタの労働組合はこの頃から御用組合だった。御用組合は今も変わらないのかも知れないが、春闘の旗振り役になっていたのには驚いた。時代の主力産業が賃上げ闘争の先頭役を務めるということなのだろう。昭和20年代、私が育った刈谷市はトヨタ系の工場が多くあった。私の家の近所にトヨタの重役の家があり、家の周りを赤旗を持った人たちが囲んで労働歌を歌ったり、シュプレヒコールを行なっていた。警官隊の出動はなかったと思うが、その光景はよく覚えている。お祭りとは違う緊張感があった。

 今、ストライキを行なうような職場はどこにもない。経営者が富を独占してしまえば、一時的には大金持ちになっても永続的に富を蓄積することは出来ない。商品が回らなければお金も回らないので利益が出ない。商品を買い求めるのは人で、数は圧倒的に労働者の方が多い。賃金を引き上げ、商品を買う、この循環が止まれば、利益は生み出されない。経済の仕組みに精通していない私でも分かる。

 生み出された利益をどう配分するか。世界の富が1%の人に集中している。この傾向はさらに続くと予想される。フランスの若い経済学者ピケティさんは「格差を縮める累進課税」が必要と主張している。どうだろなっていくのだろう。

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愛することは難しいのか?

2015年03月18日 18時23分53秒 | Weblog

 昨日、今日とまるで4月末か5月初めの暖かさだ。昨夜、テレビBS6で映画『アンナ・カレーニナ』が放映された。最初のシーンを見て、以前にも放送されたことを思い出した。2012年に公開されたイギリス映画で、まるで舞台を観ているように作られていて、こんな手法もあったのかと驚いた作品だが、今回はじっくり観ることが出来た。舞台を客席から観るたけでなく天井からとか、奇想天外の展開だった。

 『アンナ・カレーニナ』はトルストイが書いた長編小説だが、映画だけでなく旧ソ連時代にはボリショイ・バレイが3幕で公演している。1975年にバレリーナのプリセツカヤさんがアンナ役で出演し映画も作られている。私はこの旧ソ連時代の『アンナ・カレーニナ』が観たかった。トルストイをどのように評価しているのか、人妻の恋をどのように描いているのか、知りたいと思った。

 『アンナ・カレーニナ』は読まれた人も多いので、わざわざ紹介する必要はないだろう。主人公のアンナは18歳で年上の伯爵と結婚したけれど、それは心ときめくような結婚ではなかっただろう。相手は優秀な官僚で大臣を務める真面目な男である。アレクセイというこの男はロシア国家のために働く実直な男で、仕事を生きがいにしている。家と召使らを守る優しさと思慮深さを具えている。これと対照的な男がアンナと恋に落ちる軍人のアレクセイだ。同じ名前というのも面白い。

 寛大で実直なアレクセイと、若々しく行動的で情熱的なアレクセイの、アンナへの「愛」の表現が分岐点なのかも知れない。アンナが軍人のアレクセイの子どもを身ごもるが、夫のアレクセイは許し、「離婚すれば生きていけなくなる」からと生まれた子どもを養女として育てる。「愛」に生きたいアンナだが、貴族社会からは不埒者のレッテルを貼られ誰も彼女と話をしない。軍人のアレクセイはアンナのために田舎で暮らそうとするが、アンナは愛されなくなったと思ってしまう。

 小説では貴族でありながら社交界には出ず、田舎で農民たちと一緒になって働く男が出てくる。実直という点で大臣と共通するし、一途という点でアンナとも共通する。彼は「人は人のために生きる」と言う、その点では自分の愛を求め通したアンナと対照的だ。自分の気持ちに誠実に生きたアンナ、愛する人のために出世を捨てたアレクセイ、不幸にならない、ならせないために体面を保ったアレクセイ、私はどの人生を選んだのだろう?

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お葬式

2015年03月17日 18時41分58秒 | Weblog

 「長い道 苦しい道 険しい道 いろんな道があるけれど それはみんな 幸せへの道しるべ」。葬式でいただいた栞にこんな言葉が書かれていた。生きている時は気が付かなかったけれど、生きている時は不満や愚痴が多かったけれど、生きている時は人の優しさばかり欲しがっていたけれど、それは幸せのための一歩だった。カミさんの弟が「いろんなことはあった。けれど、最後はみんなで送ってやろう」と言った。

 カミさんの妹のダンナの葬儀は家族葬で行なわれた。立派な葬儀だった。喪主を務めた妹の息子の挨拶は気持ちがしっかり籠もっていた。参列者への感謝と父親を見守ってくれた人たちへのお礼を涙しそうになるのを堪えて、きちんと述べていた。私の長女と同じ歳なので、幼い時からよく知っているが、小学校を卒業する頃から会う機会が少なくなり、社会人になってからは滅多に会うこともなかったので、年齢からすれば当然なのだろうが、立派になったと感心した。

 「立派な葬儀だったね」とねぎらうと、「父親に孝行らしいことはしてこなかったので、最後だけは息子としてきちんと送り出してあげたかった」と言う。若い頃の父親に本当によく似ている。父親が息子を「ジャニーズ系なんです」と自慢するくらい可愛い子だったけれど、すっかり大人の男になっていた。亡くなった人への思い、生きている人への配慮、全てに完璧だった。父親も自分が亡くなった時のために、骨をどうするか、息子に伝えてあった。

 私はどうしようか。火葬場の職員の人に、「収骨されない人はいますか?」と聞いてみた。「ええ、そういう方はみえますよ。増えていますね。そういう方には前もって言っていただくようにしています」と教えてくれた。墓を持たない人が多くなったことや、宗教上の理由などで採骨しないそうだ。ならば私もそうしてもらいたい。私の身体が焼かれた時点でもう私はこの世に存在しない。たとえ骨の一片でもこの世に残しておきたくない。

 葬儀は無宗教でやって欲しい。どんな風にやるかは残された者の権利だから、口出しは出来ないが、参列者から一言ずつ言葉をいただく、そういう葬儀はどうだろう。「お別れの会」と名付けて、みんなで会食というのもいい。私が好きだったものをみんなで食べるというのはいいと思う。出来ることなら音楽でも流して、クラシックもいいけれどホークソングもいい、やっぱり花は飾って欲しい。えーと、それから‥、もう少しプランを練ってみよう。

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宇宙の謎に挑む

2015年03月16日 18時06分49秒 | Weblog

 昨日からラベル印刷をしようとしているのに出来ない。ワードのツールを開いて、差し込み印刷を進むのだが、参照で取り出した大和塾の名簿が開けない。参照をクイックして出てくるものが以前と違っている。ワードがバージョンアップしているにしても、ちなみに私は依然として2003を使っているけれど、今まで印刷できたものが出来なくなることが理解できない。短気な方ではない私も、2日間もにらめっこしているとさすがにイラついてくる。

 便利なものが使えなくなるとこれほど不便なものはない。若い人たちはスマホでたくさんの人とつながっている。スマホの画面だけで、どうして満足できるのだろう。声が聞きたいし、会って話したい。男女の仲なら人肌の暖かさを確かめたいだろう。スマホつながりで何百人も友だちがいるけれど、ひとりでいいから声を聞き、会って話す方が幸せと思うのは私だけなのか。

 そういえば、私のところにメールを送ってきていたf.雅治さんはどうしているのだろう。「メールを送って!会って話したい!」と何度も何度もお願いされたのに、無情にも着信拒否に設定してしまった。毎日20通を超えるメールが来なくなると、私の方が寂しくなる。彼も虚無感に潰されていないかと心配になる。凶悪な犯罪者は寂しがり屋ではないだろうか。f.雅治さんがただの詐欺師ならいいが、本当に寂しがり屋だったらなどと思ってしまう。

 尿からガンが検出できるという。皮膚から新しい細胞を作ることができるという。宇宙に衛星を飛ばして天体の謎を解明しようとしている。東京と金沢が新幹線で結ばれた。いろんなことが新しくなっていくのに、どうして人の感情は変わらないのだろう。いや、それも薬や注射で変えられるという。そう考えると、感情がコントロールできなくたっていい、貧しくて腹が減ってイライラしてもいい、寂しいと大声で叫んでもいい、人間という奴は滅茶苦茶な生き物でいい。だからこそ、何とかしたいと悩み苦しむのは仕方ない。

 ラベル印刷が出来ない原因はどこにあるのだろう。とりあえず、そこが知りたい。わっ、小さい

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「ブルータス、お前もか」

2015年03月15日 18時02分54秒 | Weblog

 「ブルータス、お前もか」。シェイクスピアの戯曲で有名になったジュリアス・シーザーの言葉だ。シーザーというのも英語読みで、ラテン語読みではカエサルというらしいが、私にはシーザーの方がしっくりくる。ローマの独裁者となったシーザーを共和派の連中が暗殺する場面で、暗殺者の中にブルータスを見て、シーザーが発したセリフである。

 シェイクスピアの戯曲はシーザーを描くというよりも、ブルータスの苦悩に重点が置かれているから、「お前もか」は効果的だ。シーザーはブルータスを息子のように可愛がり信頼していた。「なのに、なぜだ」という思いが言葉に出ている。裏切られた時に使う言葉なのだが、試験などが出来なかった時に「オレ全然ダメだった」と友だちが言うと、「お前もか」などと使ったりしてしまう。予期せぬ展開という意味でよしという訳だ。

 シーザーは軍人で政治家だが、その言葉は私たちも知っているものがある。その最たるものが「ブルータス、お前もか」であるが、決戦を前にしてルビコン川を渡る時は「賽は投げられた」と兵士を鼓舞した。前に進むしかないと奮い立たせたのだろう。行動派らしく、「何かを生み出す行動でなければ、行動とは言えない」と自分に言い聞かせている。政治の難しさを語ったものか分からないが、「始めた時は、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる」と言う。

 戦略家らしい言葉は「分断して征服せよ」がある。相手が一致団結していては手ごわいが、仲間割れを起こせば弱体化してしまう。今の政治も全く同じだ。義のためなら弱い方でも味方するかといえばそうではないので、分断はいくらでもあるといえる。私が好きな言葉は、「自分は自身の考えに忠実に生きたいと思う。それは、他人も同様だろう。だから、他人の生き方も認める。そうして、敵が私に再び刃を向けることになったとしても、それは仕方ない。そのように生きることが私の願いだから」。

 今日は元老院が開かれていたポンペイウス劇場でジュリアス・シーザーが暗殺された日。しかし、ローマは再び共和制には戻らなかった。

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流転

2015年03月14日 17時54分23秒 | Weblog

 カミさんの妹のダンナが亡くなった。私よりも3つ年上で背も高くガッチリした身体の大きな人だった。昨夜、ジョギング中に気持ちが悪くなり、今朝息を引き取った。死因は心臓の大動脈の破裂だった。妹が「お兄さんも気をつけてね」と言う。おそらく太り気味だったので、健康維持のために運動を欠かさなかったのだろう。健康に人一倍気を遣っているのに、急に亡くなった人を私は何人も知っている。

 考えてみれば、長患いにならなくて幸せだった。人が亡くなれば誰かに迷惑をかけることになるが、寝たっきりになれば迷惑どころではすまなくなる。73歳、充分に人生を味合った。私もこんな風に幕を閉じることが出来ればと思うが、後3年少なくとも2年は生きていたい。平成18年から始めた「市民による市民のための市民講座・大和塾」の10年の区切りまでは責任がある。孫たちの成長も見たいけれど、そこまで欲張ると切りがなくなる。

 小学生でも4割近くの子どもがスマートフォンを持ち、中学生になると8割を超えるという。スマートフォンがどうしてこんなに普及してしまったのだろう。確かに電話よりは便利だ。電話では出られない時もあるし、かける時も「いいのかな」と思う。メールを送っておけば、相手は気付いた時に返信してくれる。スマートフォンの場合はさらに使い勝手がよいらしい。私は蚊帳の外だけれど、カミさんや子どもたちは毎日ラインでやり取りしている。恋人同士なら携帯メールで充分伝え合うことが出来るはずだが、複数となるとラインがよいのだろう。

 川崎市の中学1年生の殺人事件もこのラインが深くかかわっている。また、淡路島の殺人事件では容疑者がインターネット上で被害者を中傷していたという。インターネットなど見なければいいと思うし、ラインなどやらなければいいと思うけれど、それは現実を知らない年寄りの発想らしい。そういえば、私たちの若い頃も「太陽族」とか「みゆき族」とか社会の非難を浴びてきた。「新人類」とも言われたりした。

 スマートフォンが今は全盛だが、そのうちにまた新しいものに取って代わるだろう。取って代わるものが出てこなければ、そういう時は人類が滅ぶ時だ。みんな一緒に旅立つのだから、それもいいじゃーないか。

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チューリップの開花に向けて

2015年03月13日 18時52分38秒 | Weblog

 風もなく穏やかな一日だった。チューリップは昨年より生育がいい。やはり土作りをした時に、肥料をしっかり混ぜ込んだためだろう。チューリップが咲く頃には、友だちや親戚までも招待して楽しんでもらう予定だ。長い時間を費やして準備して、誰にも鑑賞されずに散っていくようなら、花にとっても不憫である。毎日、毎日、少しずつ大きくなって、やがて花を咲かせる。それは花にとっても物凄いエネルギーのはず、よくやったねと褒めてやって当然だと思う。

 私がチューリップに魅せられたきっかけは、まだ地域新聞を作っていた時だ。広告収入を財源とするフリーペーパーで、発行から5年間は私ひとりでやってきた。毎年収入が伸びていたので一緒に働いてくれる人を雇うことも出来た。そのうちのひとりは岩倉市の女性で、パソコンが堪能な彼女のおかげでさらに仕事の枠を広げていった。創刊5年をきっかけに、大学のある町の特徴を活かそうと思い、大学公開講座を提案し受け入れてもらった。また、新聞とは別に冊子作りも行なった。

 編集長の私と女性2人の小さな新聞社なので、実に家庭的というか和気藹々でやっていた。今は編集長を務めてくれている岩倉の女性が、「チューリップを見に来ませんか?」と言うので、もうひとりの女性と彼女の家に押しかけた。家の前に畑があり、彼女のお父さんが育てたチューリップが見事に咲き誇っていた。チューリップの群生を見たのはこれが初めてで、「素晴しい!」と感動した。

 私はマンション住まいなので畑のようなチューリップの群生は無理だが、それでもいつの間に?とカミさんが呆れるほど鉢を増やし、春はチューリップ、夏はサルビアを育ててきた。春は気候もちょうどよく、ルーフバルコニーに椅子を並べ、コーヒーを飲みながらおしゃべりを楽しみ、夏の夜は気持ちがいいのでビールを飲みながらおしゃべりを楽しむことを恒例にしてきた。今年のチューリップはいつ頃咲くのだろうか。見事に咲いてくれるといいのだが‥。

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『桜の園』とコマキストの時代

2015年03月12日 18時27分28秒 | Weblog

 名演の3月例会は栗原小巻主演の『桜の園』。栗原・吉永といえば、私たちの世代では有名人で、フアンの若者はコマキスト・サユリストを自称していた。ふたりとも1945年の3月生まれだから私とは同学年だ。そういうこともあってか、私はふたりに関心がなかった。特に吉永小百合さんは15歳で映画にデビューしたので、存在さえ知らなかった。日活に移ってもくだらない「拳銃無宿」の相手役ばかりで、若い頃の吉永さんの映画を見ることはなかった。

 栗原さんのお父さんは劇作家で、大学4年の時に働いていた教科書出版社で出会った。周りの者は「栗原小巻のお父さんだ」と騒いでいたが、田舎者の私は誰のことなのかも分からなかった。栗原さんは高校を卒業して俳優座に入り、23歳の時に演じた『三人姉妹』で脚光を浴びた。私が知ったのは1978年のNHK大河ドラマ『黄金の日々』で、市川染五郎の相手役だった。緒方拳や津川雅彦、竹下景子や夏目雅子も出ていた。

 吉永さんは映画に、栗原さんは舞台で活躍してきた。栗原さんが1972年に出演した映画『忍ぶ川』は、熊井監督は吉永さんを使いたかったが、大胆なベッドシーンがあることからクレームがきて、栗原さんに代わったというエピソードがある。栗原さんにしても吉永さんにしても、濡れ場の演技の出来ない女優だと思う。吉永さんが演技の幅を広げたいと、大胆な役に挑んだ映画を見たけれど妖艶とは程遠いものだった。

 栗原さんが注目されるきっかけはチェーホフの『三人姉妹』だったが、『桜の園』も原作はチェーホフだから、栗原さんにとっては大事な作品なのだろう。けれど私には栗原さんがなぜ熱を入れるのか分からない。栗原さんは主人公の領主夫人を演じているが、この領主夫人の人柄の魅力が見つからない。農奴解放令が出され、貴族が没落していく時代にあって、子どもの頃から恵まれた生活を送ってきた恋多き女性というだけの、自分を悲劇のヒロインにしている身勝手な女性でしかない。

 チェーホフは何を伝えたかったのだろう。同じロシア崩壊の時代を描いた『アンナ・カレーニナ』の方が苦悩の深さがある。演劇を観るとどこかで涙を流してしまうけれど、『桜の園』にはそういう場面がなかった。どんなに有名な俳優が演じても、感動のない演劇はつまらない。時代遅れの作品と思ってしまった。

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