友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

誰もが何かのマイノリティ

2016年08月08日 16時59分57秒 | Weblog

 岩倉市民プラザで行われた『にじいろ家族会』に参加した。今年の3月に行った大和塾市民講座で性同一性障害について話してくれた結城愛さんが講師を務めた。初めにボランティアの方が絵本『わたしはあかねこ』を朗読してくれたので、『にじいろ家族会』の意味が分かった。

 黒猫の父と白猫の母の間に1匹だけ赤猫が生まれた。白くなるようにあるいは黒くなるようにと周りは進めるが赤猫は赤毛が好きだった。家を出て彷徨っていると青猫に出会い、意気投合して結婚、2匹の間に5匹の子猫が生まれ、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の「にじいろ家族」になった。見た目で差別しないで仲良くしようというメッセージだ。

 結城愛さんは女の子として生まれたが、女の子の格好をするのが嫌だった。制服、体育の時間、部活など、中学生になると性別が強調される。女の子と違うという思いは劣等感となり、それを克服するために勉強・運動・生徒会に全力で取り組んだ。トップクラスの彼女に先生が、「お前は明るくて運動も成績もいいが、もう少し女らしくしなくちゃーな」と言われた。「女らしくないと将来困るぞ」と先生が思いやりから言ったことが、彼女を絶望と孤独に追いやった。

 大学に入り、化粧をしようと試みたがやっぱり無理だった。先生になりたかったが教育実習では女子として扱われる。就職には性別がついて回る。孤独感がいっそう深くなり死を意識する。どうせ死ぬんだからと親友に自分の悩みを打ち明けたところ、「気が付かなくてごめんね」と言ってもらい、「背負い込んだものが取れた気がした」と話す。自分を隠し続けてきたがもう隠さなくていいと思うようになり家族に話した。「生きているだけで価値がある」「みんな、誰もが何かのマイノリティ(少数派)」と結んだ。

 『にじいろ家族会』の代表を務める高橋ななみさんは、男として生まれたけれど心は女で、好きになる相手は女性である。男性であるが故に凄まじいいじめに遭ってきた。彼はいじめられた事実を話し、そういう人間がいることを知ってもらうことの大切さを強調した。考えさせられる会だった。市民プラザの玄関のところに、9月24日の姜尚中先生の市民講座のポスターが貼ってあった。

 今晩は友だちの家で夏のご苦労さん会、牛スジのワイン煮を作っていきます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リオの開会式の演出がよかった

2016年08月07日 18時07分17秒 | Weblog

 リオ五輪の開会式をテレビで見た。余りに長時間だったので、眠ってしまった部分があるが、凄い演出だったと感心した。ブラジル経済の悪化のため予算を削ったというが、やっぱり予算だけじゃーない、アイディアが大事と分かる開会式だった。ブラジルは移民の国、その歴史をうまく表現していたし、8月6日午前8時15分の原爆投下に合わせた演出も行われ、平和であることが強調されていた。

 緑の国・ブラジルの環境保護を訴える演出も見事だった。選手団の入場の際、3輪自転車がその先導役を果たしたが、これはリオでよく見られる自転車という。リサイクル部品を集めて色を塗り直したものらしいが、自転車に乗る女性が美し過ぎてそっちに目がいってしまう。選手団の入場はさすがに音楽の国らしくカネやタイコが選手の後ろから追い立てた。東京オリンピックの時の日本選手団の入場はまるで軍隊の行進のようだったが、いつからか日本選手団も整列を止めた。

 あんなに陽気な音楽が会場いっぱいに溢れているのに軍隊式行進は似合わない。音楽に合わせて踊る選手がいてもおかしくなかった。リオ五輪には史上最多の205国と地域が参加したという。人口4万人という小さな国から来た選手もいれば、国の援助を受けずなのか国に金がないのか個人参加という選手もいた。また難民選手団もあって、国家間の競争ではないスポーツの祭典になっていた。それならいっそ、国旗の掲揚や国歌の演奏もなくてもいいような気がするが、そこはまだ譲れない感情があるようだ。

 各国の選手団には白人も黒人もアジア人いるし、猫さんのように他の国の代表になって出場している人も多い。夫婦なのに別々の国から出場している選手もいた。それだけもう国の境は微妙なものなのに、政治家はまだ国境に壁を造るとか、領域に侵入した船舶は許さないとか言っている。開会式での聖火の演出も感激的だった。会場に入れない人々の方が多いからと、市街に聖火が置かれたのもグッドアイディアである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝咲き午前中に閉じてしまうツユクサ

2016年08月06日 16時46分04秒 | Weblog

 昨夜は遅くなっても部屋の温度は下がらなかった。それでも風があったので、「エアコンをつけるとのどが痛い」と言うカミさんの言い分に従って寝た。けれどいつの間にか風が止み、暑さで目が覚めた。扇風機を天井に向けて回して寝たのに、また暑さで目が覚めた。扇風機は止められている。「かなわんなあー」と思いながら寝たが、すぐまた目が覚めた。

 午前6時だったのでルーフバルコニーに出て、花たちに水を遣る。昨日の暑さのためなのか、ミミズが床でヨタヨタしている。鉢から出ればそこは地獄なのに、「どうしてわざわざ出てくるのだろう」とブツブツ言いながらミミズを塵取りで拾い上げ、一番大きなキンモクセイの鉢に入れてやる。きっと鉢の中が暑くていられなかったのだろう。「この鉢なら大丈夫だからもう出てくるんじゃーないよ」とまた独り言を言う。

 ミミズは全部で5匹もいた。どれも痩せていたから食べるものがなかったのかも知れない。毎朝、花に水を遣っていると、移動できない植物も生き残るために様々な工夫をしていることが分かる。居心地の悪いところに植えられた花は浪費しないためか大きくならないが、よい場所を得た植物は大きくなってより多くの子孫を増やそうとしている。苗を買った時に鉢に混じっていた1本のツユクサを捨てずに椿の鉢に植えておいたら、椿よりもツユクサの方が目立つほど成長した。

 「朝咲き夕べは消ぬるつきくさの 消ぬべき恋も我はするかも」(万葉集)。友だちが我が家に来た時ツユクサを見て、「父はこの花が好きでした」と言った。早朝に咲いた花は午前中には閉じてしまうので、朝露のように儚いものとして愛でられてきた。ほんのひと時のような恋でも、恋は恋と思うのは私で、友だちのお父さんは俳人だから、ツユクサに人生の哀れを見ていたのだろう。

 子どもの頃、ツユクサは木材置き場の排水路の傍に咲いていて、花を摘んで潰すと青色の汁が出てきた。父が「昔の人はこの花の汁で布を染めた」と教えてくれた。ツユクサの花は空の色よりも青い。花をよく見ると宇宙人のような顔をしている。今晩はマンションの夏祭り。ステージの方から音量調節のために、どこかの民謡が聞こえてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室温が33度ある

2016年08月05日 18時01分38秒 | Weblog

 リオ五輪サッカーで日本は、ナイジェリアと対戦し、4対5の初戦負けとなった。まずサッカーで1勝を挙げ、オリンピックでのメダル獲得の花道を作ると言われていたが逆になった。結果論だが、選手もマスコミも気負い過ぎている。試合まで数時間だというのに、まだナイジェリアチームは試合会場に到着していなかったから、コンディションが整わないと思い込んだと思う。ナイジェリアは優勝したこともある強豪チームなのに。

 今日は暑い。部屋の温度計は33度を示しているが、風があるのでエアコンをつけていない。ブラジルは冬季だが、昼間の温度はかなり暑いようだ。サッカーの試合が行われた場所は赤道に近い内陸だから相当暑かったのではないだろうか。それにしてもマスコミの話題はメダルの色と数ばかりで、国家間の競争を煽る報道にうんざりする。

 オリンピックの開会式に出席するため丸川五輪大臣は日本を飛び立った。閉会式で五輪旗を受け取る東京都の小池知事も出かけることになるから、ふたりはリオで握手することになる。マスコミはその様子を、火花が飛ぶのかにこやかな表情なのか、面白おかしく報道するだろう。私のカンは後者で、互いが仲良く前向きであることをアピールすると決まっている。

 テレビを見ていたら、都議会のドンと言われている内田議員が自民党都連の幹事長を降りるという。内田議員がどういう人か知らないが、安倍首相が都議選挙の時に「落選して議員でもないのに、幹事長を務めたのは後にも先にもない。そのくらい力のある人なのです」と、応援演説をしている姿があった。高い能力があるとか、優れた資質の持ち主とかではなく、「力がある」とはどういうことなのか、一目瞭然だ。

 評論家たちが言う。「よい政治家は先が見える。過去に何があったとしても、切り替えられる能力がなければ生きていけない」と。先が見るというのは、国の10年先、20年先のことではなくて、互いの力関係を読むということのようだ。国でも都でも地方でも、そういう政治家が生き抜いていくようだが、流されないために有権者はどうかかわればよいのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お墓のこと、お願いね」

2016年08月04日 17時29分31秒 | Weblog

 叔母から始めて電話をもらった。母の兄弟姉妹で生きている人は誰もいないが、父の方は叔母がふたり健在だ。そう言っても上の叔母は施設に入っているようで、電話をくれたのは私の姉と歳の差がそんなにない下の叔母である。電話の内容はお墓のことだった。祖父が建てたお墓は隣りに銀杏の木が植えてあり、子どもの頃はそれが目印で分かりやすかったのに、銀杏の木は大きく成長しその根がお墓を傾かせる結果となった。

 今では銀杏の木は切られて株しか残っていないが、お墓は傾いたままなのでいつか必ず隣りのお墓に崩れ込むだろう。そのことを叔母は心配して、「お墓を無くすならその費用の一部くらいは出せるからね」と言うものだったが、まず、私がお墓参りをしているかを質し、現状を知っていることに安心し、「あなたがお墓参りをしていてくれてありがとう。相談できる人はあなたしかいないから」と言う。「今度、兄の息子も一緒に墓参りに行くので、そのことは相談しておきます」と答えた。

 兄の息子はふたりいるが、上の息子は家庭を持ったが母親と暮らし、下の息子は別に家庭を構えている。兄と嫁の姉は離婚したから兄の子に我が家の墓を維持する義務はない。むしろ母親の面倒をみる必要が生まれてくる。私は自分が生きている限りお墓参りは続けるつもりだが、わが家の子はふたりとも女だから、やはり嫁ぎ先のお墓を優先して欲しい。

 元々私はお墓に特別な感情はない。毎年お墓参りをするのは、子どもたちに先祖のつながりを意識させるためで、大人になった今は血のつながった家族で年に2回会うための行事に過ぎない。我が家のお墓が隣のお墓の迷惑になる前に壊して更地にすべきかも知れないが、そうなるとお墓参りという口実を失うことになりそれは淋しい気がする。いずれにしてもみんなの納得いく解決法を探らなければならない時期に来たことは確かだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢を追わない若者たち

2016年08月03日 18時25分55秒 | Weblog

 先日、今年で首長を退任するという友人と話した。「辞めた後はどうするの?」と聞くと、「考えるとワクワクする」と言いながら、自分が立ち上げた会社の「営業種目を広げるつもりだ」と言う。いつも何かを追っている男だが、やっぱり大きな仕事をやり遂げてもなお自分ができることを夢見ている。

 今は、私たちが若い頃のように何をやっても成功できる時代ではない。人口は必ず減少するから購買力の低下は必然である。そして金融経済はいずれ破たんするだろう。資本主義社会は形を変えるだろうが、それは人々の生活スタイルが変化するからだが、すでにその兆候は表れてきている。

 成功することが人生の到達点だったアメリカンドリーム。先に観た演劇『セールスマンの死』はそんなアメリカを象徴していた。ところが今、アメリカの若者たちはアメリカンドリームにそっぽを向いている。車を買い、女の子を乗せ、恋して家を買う。そうしたアメリカの青年の夢は消えてしまった。車も家も持たない青年が増えているのだ。

 彼らは車を持たないから郊外の広い土地に家を求めない。そうなると大型ショッピングモールではなく、歩いていけるスーパーで必要な物しか買わない。成人していながら親と暮らすことを恥ずかしく思っていたのに、最近では親と同居するブーメラン現象が起きている。親と同居しなくても、都会の中古の家やアパートをリホームして共同で住む生活スタイルになってきている。

 この現象は日本でも見られる。そこで友人が考えている新しい仕事は不動産業のようだ。「リノベーション」という言葉をよく聞くが、中古の物件を若者の好みに合わせてリホームして売り出す不動産業らしい。

 正社員なのに勤続10年になっても手取りは13万円の若者がいる。「残業代はない、有給休暇もない。あるのはミスした時の罰金だけ」というブラック企業である。先の見通しが立たなければ生活を切り詰めるしかない。生活を切り詰めれば、物は買わない。物を買わなければ経済は落ち込む。なのに、どうして「アベノミックスで経済はどんどん良くなる」と言えるのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏休みの宿題

2016年08月02日 17時40分48秒 | Weblog

 大学生の孫娘が小学校1年の妹の夏休みの宿題を見て驚いた。宿題の量が自分の時よりも圧倒的に多い。それに毎日積み重ねないと「絶対に提出は無理」という量のようだ。だからだろうが、先生は毎日取り組むように日誌とは別に宿題ファイルを作って渡してくれている。妹はコツコツやるタイプではないので「悪戦苦闘している」と言う。

 大学生の孫娘は「ゆとり教育」世代で、主体的に学ぶことに重点が置かれていた。与えるよりも自分でつかむことだったから、コツコツタイプの孫娘には自由過ぎたのかも知れない。「ゆとり教育」が学力の低下を招いたと批判されたので、この世代の孫娘は「私たちはアホなの?」と自虐的に言うがそういうことでは決してない。

 「ゆとり教育」を提唱した文部官僚は文部科学省から追い出されてしまったが、私は素晴らしい教育方針だと思った。けれども日本の教育は国が決めてその通りに先生たちが教える制度が定着している。あるものを教えることには長けていても、「主体的」とか「創造性」とか見えないものはどうしていいのか分からない。「個々に自由にやってみて」と言われても、「見本を示してくれない」と出来ない現場になっている。

 この姉妹の母親である長女は面白いことを言う。「ゆとり世代の子の親は何もしなくてもよかったけれど、この子(下の娘)たちの親は親が頑張らないといけないわねえ」。今朝の中日新聞は中央教育審議会が次期学習指導要領を示したと報じていた。「教育は国家の基礎」と明治政府は全国一律の体制を作り上げてきた。それは確かに日本の近代化の原動力となったが‥。

 でも、これからの時代は個々の先生が自由に教育できる方がよいと私は思う。先生たちがお互いに教育の内容や方法について話し合い作り上げていくことだと思う。自治体の首長に教育への権限を移行させたらいいという意見もあるが、やはり首長は不介入であるべきだろう。先ほどから雷鳴が地面を揺らすほど響いている。神様の怒りなのかと思えてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何かが変わりつつあるように思う

2016年08月01日 17時26分57秒 | Weblog

 やっぱり疲れたね。リーダーの先輩は疲れのためか、78歳という歳のせいか、指示がメチャクチャになっている。それでも10代と20代の若い人たちが頑張ってくれたので、準備も後片付けも短時間で終わった。祭りの方は、昨日はちょうど人が出てくる時間に雷が鳴り雨が小降りながらあったので心配したがすぐに降り止み、土曜日ほどではないがまあまあの人出になった。

 今年は子どもが多かった。小学校の高学年から中学生や高校生がグループで来ていた。男の子や女の子だけのグループが多かったけれど、中学生や高校生になると男女のグループがいる。さらに高校生になると男女ふたりで来ている。ここが彼らの「ふるさと夏祭り」なんだと痛感した。何があるわけではないが、ステージで繰り広げられる踊りを見て、屋台でものを買って、会場内をブラブラする。ただそれだけの夏祭りだけれど、それがいつか思い出の夏物語になるのだろう。

 高校生らしい男女が3回も鮎の塩焼きを買いに来た。「うまかった」と男の子は言い、お金は浴衣姿の色の白い女の子が払った。1回目の時は天然鮎を買い求め、小ぶりだからと売り手のオジさんが2本を半額で手渡した。2回目は「養殖鮎も食べてみる」と1本買い、この時は彼の方がお金を支払った。なんとも仲睦ましいカップルだった。思わず「仲良くな」と声をかけたくなった。

 昨日は東京都知事選挙で、予想通り小池百合子さんの圧勝だった。「あの人はイヤ」と言っていた私の友人は「まだ、増田の方がマシよ」と言っていたが、どんな思いでこの結果を見たのだろう。「選挙民が変わらなければ、トップは変わらない」と卒業生がフェイスブックで呟いていたが正解だ。それでも選挙の方法は確実に変わってきた。候補者がどれだけ多く街頭で政策を訴えるか、その内容も大事だが、候補者の情熱と姿勢も選択の大きな要素だ。

 小池さんのが言うように、「組織が決めていいのですか、政党が決めていいのですか」は都民の共感を得ただろう。小池さんに本心を語らせたなら、「学校では国旗を揚げ、君が代を歌わせなさい」となっただろうが、そうした彼女の右寄りな保守面が隠れた選挙った。夕方、西の空は黒い雲で覆われてきた。どこかで雷鳴が鳴っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする