友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「分かっている」は幻想でしかない

2016年08月19日 18時06分53秒 | Weblog

 昨夜のテレビドラマ『はじめまして、愛しています』を見ていて、エッ?と思うことがあった。いよいよ里子が尾野さんたちの家庭に馴染んできて、幼稚園に通うようになる。そこでいじめが発生すると考えるのが普通だが、ドラマでは里子の「はじめ」君がいじめを目撃し、助けたい気持ちからいじめている子に暴力をふるってしまう。「暴力はダメでしょう」と親はきつく叱る。この時、「はじめ」君は「僕はどうしたらいいの?」と聞く。

 いじめられたら、どうしたらいいのだろう。いじめた奴をぶん殴って、力を見せるべきなのか。いじめられないようにへつらうのか。先生に「あの子がいじめる」と告げ口するべきなのか。もし、ドラマのようにいじめられているところを見たならどうするべきなのだろう。ドラマの両親の答えは私の想像を超えていて、エッ?と思った。

 尾野さんたち夫婦は「はじめ」君に、「あなたが決めなさい。お父さんもお母さんもあなたを絶対に守ってあげるから」と言う。5歳の子にそれは無理だろう。お父さんはこう思うよ、お母さんはこう思うよと、二人が同じでなくてもいいから親の考え・価値観を子どもに伝えるべきではないのだろうか。

 ドラマは思いもよらない方法で解決したように見えた。それは尾野さんが扮する女性の父親である世界的な指揮者が口癖のように言う「音楽には人を変える力がある」ことを証明する。音楽に不思議な力があると私も思うけれど、それでもこれは出来過ぎではないだろうか。昨夜のドラマのテーマは「いじめ」のようで、尾野さんの夫の妹の子が家出してくる。母親が連れ戻しに来るが娘は「帰らない」と言う。

 「お母さんはあなたのことを思うから言うのよ」と母親が言うと、「お母さんは私の何を知っているの?」と娘は反論する。母親は聞く耳を持たずに「勝手にしなさい」と言い放ってしまうが、ここで「ごめんなさいね」と聞く気になれば母と娘は一歩近づくことができただろう。親子だから分かっているというのは幻想でしかない。分かり合うためには譲歩が必要だが、親子といえどもそれはなかなか難しい。

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ドラマ「はじめまして、愛しています」とSMAPの解散

2016年08月18日 18時48分45秒 | Weblog

 先日、大学生の孫娘が泊まっていった時、私がテレビを見ていると、「面白いね」と言って一緒に見入っていた。それは尾野真千子さんが主演しているドラマ『はじめまして、愛しています』で、親から虐待されて施設に預けられた男の子の里親になろうとする物語だ。孫娘は母親と同じ看護師になろうとしているくらい世話好きだから、里親になろうとする夫婦に関心があるとともに、小児科に勤めたいと希望しているように、里子のことが心配だったのだろう。

 尾野さんは美人ではないけれど、非常に個性的な女優だと思う。女優になるきっかけとなった映画『萌の朱雀』は、まだ彼女が中学3年生の時の作品だ。地元中学校で靴箱の掃除をしている際に映画監督河瀬直美さんの目にとまったという。NHKテレビの朝ドラにも出ていたし、真木よう子と共演した民放のドラマも印象深い。最近、結婚したばかりだからまだ子どもはいないと思うが、彼女の演技から親になろうとする必死さが伝わってくる。

 『はじめまして、愛しています』は今晩9時の放映だが、リオ五輪の中継もあるからカミさんとチャンネル争いで勝たないと見られない。カミさんはスポーツ好きであるばかりか、最近では芸能にも関心があるようだ。もちろんその中心はSMAPの解散である。そういうものの私たちの年代ではテレビでSMAPを見ていた記憶はあまりない。SMAPが結成された1988年は既に40代半ばだから、我が子よりも若い男の子のグループなど目に入らなかった。

 SMAPの歌で大ヒットした『世界にひとつだけの花』はとてもいい歌だと思う。先輩は「競争を否定する日教組の歌だ」と批判するが、日教組など無かった時代に詩人の金子みすゞは「みんなちがって みんないい」(『私と小鳥と鈴と』)と歌っている。人間はみんなそれぞれに違う。だからこそ愛し合うことも憎み合うこともあるが、理解しようともする。SMAPが解散するのはある意味で当然だ。彼らも既に40代、いつまでも子どもではいられない。それぞれが自分の道を歩きたいと思うのは必然なことだ。

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甲子園とリオ五輪と内藤ルネ展

2016年08月17日 18時22分25秒 | Weblog

 東邦に再び奇跡は起きなかった。攻めていたのに最後に逆転されたり、ノーヒットピッチングだったのに最後に打たれてしまったり、高校野球にはいろんなことが起きる。東邦は前の試合で9回ウラに4点差をひっくり返したから、今回もと願うものだが、先行して点を取られのは投手に弱点があるからで、本当にすごい投手はなかなか打てない。

 こうして勝ち上がってくるチームを見ると、確かに野球は打たなければ点は取れないから、打撃力は大事な要素だけれど、打撃力のあるチームでも好投手からはなかなか点が取れない。それでも絶体絶命の時に好プレイが飛び出してピンチを救ったりすることがある。それはおそらく日頃の練習の結果だが、運命でもある。

 「甲子園には魔物がいる」とよく聞くが、「オリンピックでは何が起きるか分からない」とも聞く。大きな舞台では得体の知れない底力が出ることもあれば、逆に重圧にへし折れてしまうこともあるということだ。奇跡も実力のうちかも知れないが、失敗もまた実力なのかも知れない。スポーツを見ているとホントにそう思う。

 三越で行われている『内藤ルネ』展を見てきた。作品は見たことがあっても作家は知らなかった。岡崎市の出身で昭和7年生まれの男性だったので驚いた。じゃあ、ルネって何だろうと思ったが、私が20歳の時に32歳の人を思い浮かべて、ひっよっとすると映画『太陽がいっぱい』の監督ルネ・クレマンではと思って名前の由来を探すとその通りだった。

 内藤ルネさんは10歳の時、中原淳一の絵を見て憧れ、上京して中原の下で働いた。少女雑誌や女性雑誌にイラストを描き、展覧会のサブタイトルにあった「Roots of Kawaii」を創り出した。アートの世界も時代の流れやその時の環境などで、大逆転もあれば全く日の目を見ないこともある。それでも何もしなければ、打者が打たなければ点が入らないのと同じこと。人はやるしかない定めなのだ。

 

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「遺言のため、お骨は拾いません」

2016年08月16日 18時19分11秒 | Weblog

 お盆だというのに暑い日が続いている。カミさんの実家へのお参りに続いて、私の家の墓にもみんなが集まってくれた。銀杏の樹は切り倒されて根の成長は止まっているが、墓石は傾いたままだ。兄のふたりの息子に「このままでは周りに迷惑をかけることになるので、最善の方法とその金額を相談できる地元の業者を探してみる」と相談する。

 「お兄さん(私のこと)に全面的委任です」と言われるとますます責任が大きい。兄の息子たちはあまり覚えていない父親の家の墓を守るという意識は強くないし、我が家は女の子ばかりなので、嫁ぎ先の家の墓を守ることになる。カミさんはどう思っているか確かめたことはないが、私は自分の墓はいらない。しかし、今ある傾いた墓をこのまま放置すればいずれは周りの墓に迷惑がかかるから、それだけは許されない。

 長女のダンナは「チェーンブロックで持ち上げて、墓石の傾きを直しましょうか。男が3人もいれば出来ますよ」とありがたいことを言ってくれるが、もし万が一怪我でもされたら困るので、やはり業者にまず相談してみようと思う。久しぶりに中学の同級生に石屋を知らないか聞いてみよう。我が家のように年に何回しか墓参りに来ない墓もあるが、全く無縁になってしまった墓もあり、そうした墓は何年か経つと更地になっている。

 世帯毎にそれぞれが墓地を持つ時代は確実に変わりつつあるようだ。「墓地売ります」のチラシが今も時々あるけれど、葬儀が縮小されてきたように、墓地を持たない人も増えてきている。墓地や墓碑がなくても、身内が集まり談笑する機会があれば、死者の生前を偲んで話もできるだろう。生まれた時もきっとわずかな家族に迎えられたはずだから、逝く時も死者の身内で送ればいいし、時々集まって死者の話で盛り上がるならそれでいいと思う。

 だから、火葬場の人には「遺言のため、お骨は拾いませんが、よろしくお願いします」と丁重に頼んで欲しい。

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奇跡の大逆転を夢見て

2016年08月14日 17時34分39秒 | Weblog

 信じられない展開だった。今日の甲子園の第3試合、東邦と八戸光星の試合は1回に八戸が1点を取ったが2回には東邦が1点を取ったものの、初戦のような強さは感じられなかった。案の定3回には3点を取られ5回にも2点追加され6対2と差をつけられた。さらに7回に3点を取られ9対2となったので東邦もここまでかと思ったが、この回2点を取ったので同じ負けでも1点でも詰めて欲しいと願ったが、まさか大逆転となるとは想像も出来なかった。

 9回ウラの東邦の攻撃で頼りの4番打者が打ち取られ、追い上げもここまでかと思われたが、下位打線が奮闘し奇跡の大逆転となった。こういうことが起るから高校野球は面白い。全てが順調であったならあまりにも先が見えてしまう。何が起きるか分からないから必死に努力する。大逆転とならなくても、必死になってやったことは自分に満足感を与えてくれるはずだ。

 昨日はカミさんの実家の仏壇にお参りした後、叔母と息子、義弟夫婦、義妹と私たち夫婦の7人の恒例となった食事会。義妹はお酒を飲むといつも「兄弟の中で、私だけ愛されていなかった」と言い出す。「お父さんはお姉さんとお兄さんが好きだったけど、私は嫌われていた」とも言う。それは事実と違うけれど、それを納得させるのは難しい。義妹が有名な女子高に合格していたならきっと彼女の考えも変わっていたことだろう。

 女性のことは分からないが、男性である私たち3人はどこかで父親の威厳のような縛りを受けている。父親を乗り越えなければという思いがある。父親を乗り越えることがどういう形なのか、どういう意味なのか、分からないままもがいている。社会的な地位なのか、経済力なのか、子どもの数なのか、どんなことでもいいから「オヤジ」を乗り越えたと思う確証が欲しいのだ。父親を乗り越えることは、男子に課せられた宿命なのだろうか。

 明日は私の祖先のお墓参りに出かけるのでブログは休みます。明日は16人ほど集まるようだ。

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オジサンたちの公平なジャッジ

2016年08月12日 18時54分08秒 | Weblog

 イチローが3000安打を達成した次の試合で打席に向かおうとした時、スタンドから大きな拍手が沸き起こり鳴りやまなかった。相手チームの捕手はすぐにプレイに入らず、イチローがスタンドに向かってヘルメットを脱いで応えるのを4歩か5歩下がって見守った。このヤンキースの捕手はイチローのファンだった。

 リオ五輪の体操男子個人総合で、内村航平選手が最後の鉄棒で高得点を出し奇跡の大逆転を成し遂げて2連覇した。その後の記者会見で、どこの記者か知らないが、「審判員に好かれているのか?」と心無い質問が向けられた。内村選手は「どんな選手にも公平にジャッジされている」と答えた。逆転されて2位となったウクライナの選手は、内村選手を体操界の伝説の人だと評価し、「今の質問は無駄だと思う」と切り返した。

 ヤンキースの捕手の行為も、ウクライナの選手の記者に対する切り返しも、スポーツ選手の爽やかな思いやりが出ていて心打たれた。高校野球では負けたチームに勝ったチームの応援団が惜しみない拍手を送る。一生懸命で頑張ったのだから称えてあげるのがスポーツの心だ。相手チームを罵ったり、挙句の果てに乱闘騒ぎを起こすようなファンは本当のファンではない。

 NHKテレビの気象予報のお嬢さんが、全国も東海地方も4月から変わった。ふたりとも目が異常に大きくて頭もでかく、背が低そうで田舎っぽい雰囲気がある。助平なオジサンたちは気象予報士のお嬢さんが短いスカートで解説してくれるのを楽しみにしているのだ。「イマイチだ」と言っていた人が、「最近、きれいになってきていないか」と言うようになった。カミさんが「女性は見られていると思うときれいになるものよ」と教えてくれた。

 テレビにこういう見方があったのかと感心するが、オジサンたちの公平(?)なジャッジはコロコロ変わるから当てにならないものの、私も「きれいになってきた」と思う。さて、明日はカミさんの実家へお参りに行くのでブログは休みます。

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オジサンたちの公平なジャッジ

2016年08月12日 18時54分08秒 | Weblog

 イチローが3000安打を達成した次の試合で打席に向かおうとした時、スタンドから大きな拍手が沸き起こり鳴りやまなかった。相手チームの捕手はすぐにプレイに入らず、イチローがスタンドに向かってヘルメットを脱いで応えるのを4歩か5歩下がって見守った。このヤンキースの捕手はイチローのファンだった。

 リオ五輪の体操男子個人総合で、内村航平選手が最後の鉄棒で高得点を出し奇跡の大逆転を成し遂げて2連覇した。その後の記者会見で、どこの記者か知らないが、「審判員に好かれているのか?」と心無い質問が向けられた。内村選手は「どんな選手にも公平にジャッジされている」と答えた。逆転されて2位となったウクライナの選手は、内村選手を体操界の伝説の人だと評価し、「今の質問は無駄だと思う」と切り返した。

 ヤンキースの捕手の行為も、ウクライナの選手の記者に対する切り返しも、スポーツ選手の爽やかな思いやりが出ていて心打たれた。高校野球では負けたチームに勝ったチームの応援団が惜しみない拍手を送る。一生懸命で頑張ったのだから称えてあげるのがスポーツの心だ。相手チームを罵ったり、挙句の果てに乱闘騒ぎを起こすようなファンは本当のファンではない。

 NHKテレビの気象予報のお嬢さんが、全国も東海地方も4月から変わった。ふたりとも目が異常に大きくて頭もでかく、背が低そうで田舎っぽい雰囲気がある。助平なオジサンたちは気象予報士のお嬢さんが短いスカートで解説してくれるのを楽しみにしているのだ。「イマイチだ」と言っていた人が、「最近、きれいになってきていないか」と言うようになった。カミさんが「女性は見られていると思うときれいになるものよ」と教えてくれた。

 テレビにこういう見方があったのかと感心するが、オジサンたちの公平(?)なジャッジはコロコロ変わるから当てにならないものの、私も「きれいになってきた」と思う。さて、明日はカミさんの実家へお参りに行くのでブログは休みます。

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思い出は楽しいことばかり

2016年08月11日 17時48分41秒 | Weblog

 今朝は台風一過のような爽やかな風が吹いていた。ルーフバルコニーで水遣りをしていると寒いとさえ感じた。それなのにドンドン夏の暑さが戻り、午後4時半の室温は33度近くある。風はなくべっとりとした重い暑さだ。カミさんは早朝からリオのオリンピック中継を見ていたが、私はもっぱら高校野球を観ている。それもジッと座り込んで集中しているのではなく、他事をしながらの怠慢な観戦である。

 オリンピックではどうしても勝者にスポットが当てられるが、私は敗者を思って胸が熱くなる。悔しいだろう、情けないだろう、でも精いっぱいやったじゃーないか、そう呼びかけたくなる。アリスの『チャンピオン』が好きなのも、敗者の悲哀を歌っているからだ。「立たないで もうそれで充分だ」と神様がささやき、彼は「帰れるんだ これでただの男に」と納得する。

 多分、人生は悲哀の連続なのだろうが、苦しかったことや悲しかったことは忘れてしまい、楽しかったことばかりが思い出となっていく。そうでなければやりきれない。そうでなければとっくの昔にこの世にオサラバしている。明日はきっともっといいことがあると思うから生きていける。0対0のまま9回の裏まで野球は進んだ。1アウトを取り、ここまで1人の打者も出していないのに、あと2人というところで長打を浴びサヨナラ負けになった。人生はいつもこんなものだ。そう思えば、よしまたいつかと思えてくる。

 先日、友だちの家で飲み会をした。友だちが家を新築した時、大勢の家族が集まり麻雀をしたり、言葉遊びをしたりして集まった。子どもたちが大きくなってそういう機会も無くなっていたが復活である。互いに手料理を持ち寄ったので、日頃は食べないものが食べられたし、酒好きの友だちは次から次へといろんなお酒を出してきて、飲んだことのないお酒を味合うことも出来た。

 友だちは大学の名誉教授になっているし、今も研究者を続けているから、人生の成功者であることは間違いない。先輩も孫や曾孫に囲まれ、周りの人たちに慕われ、人生に満足しているだろう。それでもきっと嫌なこともたくさんあったはずだ。今、笑って、食べたり飲んだり出来る。それでいいじゃーないか。

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スポーツは相手の弱点探しなのでは‥

2016年08月10日 17時55分17秒 | Weblog

 リオ五輪の中継やニュースがよくテレビで流される。スポーツは真剣勝負だから面白いと言うが、私はそう思えない。例えば、体操の団体競技で日本は悲願の金メダルを獲得した。「あれっ、予選では4位だったのに」と思ったが、予選で4位であることが大事だった。決勝戦では得意種目の床が最後になるからだ。白井で稼いで内村で仕上げる作戦通りの展開だったから勝利できた。

 スポーツに作戦は付きものだから「ゴチャゴチャ言わないで」と叱られるが、テニスだって卓球だって柔道だって、相手の弱点を見つけて攻める。高校野球もピッチャーとバッターの勝負だが、投げてはいけない球を投げたり、打たなければいけない球を見逃したり、弱点の克服が練習である。身体を鍛える、精神を鍛える、スポーツの勝負とはそのためであり、「だから共感を呼ぶのよ」とテレビに釘付けのスポーツファンに教えられる。

 広島・長崎の原爆記念日の式典を見る度に、2度と戦争を起こしてはならないと思う。それは私だけでなく、原爆資料館を訪れた若者も被爆者の話を聞いた小学生もみんな思うことだ。「戦争はあってはならない」と言う人が、「尖閣諸島での中国の動きは我が国の主権を侵す行為だ」と非難する。非難だけで終わればいいが、「主権が侵されているのに黙って見過ごすことは出来ない。自衛隊を派遣しけん制すべきだ」と主張し出したらどうなることだろう。

 外交も相手の弱点探しである。互いに「こう出たら相手はどう出るか」の読み合いだ。そしてそれが戦争になってしまうのは、国民の後押しがある時だ。後押しなんかしていないつもりでも、相手の卑劣さや卑怯さを見せられると国民は必ず火がついてしまう。事実にないことでもでっち上げることは簡単だ。マスコミを押さえていれば出来るだろう。スマホやiPadのような通信は双方にとっても武器になる。

 国際紛争も正々堂々とスポーツで決めるというなら、相手の弱点の探り合いも許せる範囲に入れてもいい。なんて、暑さの中でリオ五輪を見ていてそう思ったが、そんなことを考えるのは、私の頭が暑さでおかしくなっているのかと、ワケが分からなくなっている。

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暑い日の熱い思い

2016年08月09日 19時02分14秒 | Weblog

 暑いはずだ。多治見市で昨日は39.7度あった。何もしなくても汗が出てくる。イチローがとうとう大リーグ通算3000安打を達成した。今年6月、日米通算でメジャー記録の4256安打を上回ったのに、アメリカの野球ファンは偉業と認めなかった。「それなら認めさせてやる」とやり遂げてしまうところがイチローの凄いところだ。3000安打まであと2本となって長く足踏みしたけれど、「ボクはやる」という目をしていた。

 初めからアメリカでプレイをしていたらもっと早く達成していたかも知れないが、「出来ないと言うなら、やって見せる」という負けず嫌いな彼は逆境にあった方がよいのかも知れない。イチローは私の下の娘と同じ42歳だから、もう少し大リーグで活躍する時間はあるだろう。彼の意地がどこまで通用するのかも興味深い。ストイックに身体を鍛え、精神を統一しようと努める姿は異常だが、だからこそ達成できる力を持つのだろう。

 そして昨日は、午後3時から天皇の思いがビデオメッセージで流された。生前退位という言葉こそなかったけれど、「象徴天皇の務めが途切れることなく安定的に続くことを考えて欲しい」というものだった。昨日のテレビも今日の新聞も、多くの人が天皇の思いに対し理解を示していた。生前退位がどのような形になるのか分からないが、憲法第9条とのセットで出されるのはイヤだなと私は思う。

 皇室も人としては変わらないから、皇室を降りたいとお考えならそうされてもいいと思う。天皇は国民の象徴として長く存在してきたのに、その伝統を無くすのかと考える人はいる。そう願う人たちの勝手な思いのために、人として人らしく生きたいと望まれる人を縛り付けてよいのだろうか。象徴天皇はすっかり国民の間に定着している。天皇皇后の優しさは国民の抱く敬愛の表れでもある。天皇の思いは息子を念じる親の思いである。

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