友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

嵐の前の静けさなのだろうか

2017年10月21日 17時55分11秒 | Weblog

  雨がしとしと降っているが、風はない。嵐の前の静けさなのだろうか。大型の台風21号が近づいているというが、今はそんな気配はない。ルーフバルコニーの鉢たちが心配だが、倒れたなら仕方ないと諦め、排水溝の掃除だけはしておいた。

 台風が近づいているのに、それに明日は衆議院議員の選挙の投票日だというのに、不埒な話を聞いた。老人が友だちの娘に恋した話だ。別に老人だから恋とは無縁と誰も思ってはいないだろうが、実際に「老いらくの恋」となると途端に顔をしかめるのはどうしてだろう。

 「いい歳をして」とか「老人のくせに」とか、不潔なことのように決めつけられる。老人だから恋などしないのではなく、して欲しくないと思っているからだ。不倫が話題になったけれど、結婚したならもう他の人を好きにならないという訳ではなく、して欲しくないというのと同じだ。

 しかし、彼の話を聞いていると、恋というより勝手な妄想という気がした。友だちの娘といっても家庭の主婦で、夫と大きな子どもが3人いる。たまたま、一緒になる機会があって話をしたというに過ぎない。色白で足がきれいというだけでのぼせ上っている。娘さんが彼を気に入っているかどうかではなく、一方的に「好き」になっているのだ。

 「ガンバってください」と言ってしまったが、大丈夫だろうか。選挙で投票する相手を選ぶ時、候補者の写真を見て、「真面目そうじゃーない」とか「いい男ね」とか「このメガネ男よりこっちのメガネ男が男前」とか、人は意外に外観で決めている。長く付き合ってみなければどんな人か分からないし、長く付き合っても理解できない場合もある。「好き」ならそれでいいのかも知れない。

 嵐の前になるのだろうか。友だちが「日本も一遍に代わってもいいのに」と言うが、そんなことにはなりそうにない。どんな結果であれ、それは人々が選んだこと。いい歳をしても変わらないこととはちょっと違うが、人間なかなか思うようにはならないものだ。

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言葉が逆転している

2017年10月20日 18時19分26秒 | Weblog

  レストランでなかなかメニューの決まらない人がいる。買い物に出かけても、買うはずだった服が決められず迷い続けて買わずに帰る人がいる。買わずに帰ればよいが、勧められて買ったのに、本当にこれでよかったのかと悩み続ける人がいる。衆議院議員選挙の投票日まであと2日、まだ迷い続けている人もいる。迷っても、投票に出かけてくれればいいが、「分からないから」と投票しない人がいるから、25%の得票で65%の議席を占めることになる。

 小6の子を持つ母親の話。「運動会の打ち上げを焼き肉屋で、3000円会費でやるの。子どもだけで」。打ち上げは大学生から高校生へと年齢が下がってきたが、今は小学生でも行うのか。昼間に喫茶店ではなく、夜間に焼き肉屋で行うのも大人と同じだ。母親は言う。「政治で世の中が変わるのではなく、人の意識が世の中を変えるのね」と。社会の習慣や価値観が変わることで政治も変わってきたから、おそらく小6の子が大人になる頃は様変わりしているのかも知れない。各政党の演説を聞いていて、言葉が様変わりしていると思った。

 自民党は「改革」を主張する。「働き方改革」「規制改革」「意識改革」とまるで急進的なイメージがする。選挙公報を見ていたら「生産性革命」とか「人づくり革命」という言葉まで散らばっている。「革命」は「改革」よりも既存のものを打ち壊して新しいものを創り出す言葉だ。そして、安倍さんは「愚直に」「まっすぐに」「しっかりと」「実績をつくりあげ」「未来に責任を持つ確かな政策」」と力説する。言葉の選び方はどの政党よりも、誠実で革新的な印象がする。

 野党の演説は力強さに欠ける。今や野党第1党に躍り出そうな立憲民主党は「まっとうな政治」と主張し、民主主義は多数で決めることではないと言う。多数で決めないってどうするの?小学生でも疑問に思うだろう。「右でも左でもなく、前へ」と中立を強調しているつもりでいるが、そんなどっちつかずの立場でいいのかと老人には疑問だ。対立軸をはっきり示さないから大きく伸びることはないだろう。投票日まであと2日、天候も悪いようだ。

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中学2の男子生徒はなぜ死を選んだのか

2017年10月19日 19時20分56秒 | Weblog

  福井県池田町の中学2年の男子が、校舎から飛び降り自殺した。事故調査書には担任と副担任からの強い叱責があったと報道されている。校長も教頭も、それを目撃していながら何も手を打たなかった。「しっかりと上げるよう(報告・相談するの意味)に指導していなかったことが、自殺した生徒の問題を共有することができなかった原因だと思う」と教頭は言う。

 福井県は全国学力テストで、国語も数学も1位だったから、かなり成績向上に努めているはずだ。上から下への関係も徹底されていると思う。教頭の言葉からそんな感じがする。生徒たちの前で、聞いている他の生徒が身震いするほどの大声で、男子生徒は叱られ、説明しようとしても「言い訳は止めなさい」と聞いてもらえない。過呼吸になるほどの状態に追い込まれた男子生徒は死を選んでしまった。

 こうした事故の時、いつも教育委員会が謝罪と説明をするが、どうして担任や副担任が出てきて、「私はこういうつもりで、こう指導した」と述べないのだろう。子どもを自殺にまで追い詰めてしまったことをどう考えているのか、私は本人から聞きたいと思う。私の知り合いの子も中学生の時、女性担任からしつこく指導されて学校が嫌になっていた。担任は成績の良い彼がクラスのまとめ役になって欲しいとの思いから強く求めたのだろうと私は思っている。

 人の思いはそれぞれで、素直に受け止められる人もいれば重荷に感じる人もいる。親が子どもに習い事をさせるのは、大方が自分が出来なかったことだという。私も自分は出来なかったので、子どもにヴァイオリンを習わせたが、何も教えることが出来ない。英会話を子どもに習わせる親もそうした類いが多いらしい。

 自分が出来ないのに、子どもに習わせるなら過分であってはならないだろう。好きならきっと続けるだろうから、好きなことを見つけさせることが親の務めだ。母親が父親を「ダメな人」とバカにしていれば、子どもは父親の言うことなど聞かなくなる。親なら子どもが普通に成長してしてくれればそれで充分だ。それが学校で、過剰な「指導」を受けることになるとは…。どこにいったい原因があるのだろう。

 

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期日前投票に行ってきた

2017年10月18日 18時00分28秒 | Weblog

  歴史好きの先輩から、月に1度は電話がかかって来る。近くの喫茶店で会って、歴史の話をする。先輩は大正時代に編纂された郷土史を持って来て、この地域の名所の説明文があるが、それが「あまりにも美辞麗句を並べてあるがどうしてなのだろう」と切り出した。読んでみると確かに大げさな表現だ。「紺碧の大空を背景にして白色玲龍天空に聳ゆるもの」と御嶽山を紹介し、「春日の斜陽、残雪を照し清月一痕淡く山嶺に懸る時」が最も美しいとある。

 戦前の教育を受けた先輩たちは漢詩や漢文に精通していて、詩のような文章が書けるから私には羨ましい。たまたま先輩よりも10歳ほども年上の女性が隣の席に座ったので、歴史話よりも、幼い時の子どもの話になってしまった。高齢の女性の相方の女性は政治好きで、今度の選挙に市会議員の誰それがどうしたと言う。「20日に行われる立憲民主党の演説会に市長は参加するが、私は絶対行かない」と力説していた。

 私が初めて首長選挙に立候補した時、この女性には引っ掻き回された。コーヒー代を払って出ようとすると、「久しぶりに会ったから」と彼女がレシートを取り上げたので、私は躊躇することなく「ありがとう」と言った。コーヒー代くらいではすまないが、もう遠い昔のこと、こだわる必要もない。先輩のいとこの息子は東京の選挙区で立憲民主党から立候補しているそうで、同じ地元の出身でも大きく分かれていて面白い。

 政治に関心のある所では議論に火花が飛んでいるが、街宣車はそんなに回って来ない。今日は施設にいる姉の見舞いに出かけたが、1台の選挙カーにも遇わなかった。施設に行くには自動車専用の高速道路を使う方が、私は最近、見にくいので運転は気が進まない。しかも最近、自動車のいやがらせ事故が、続けて報道されたから余計憂鬱だったが、何とか無事に行って来ることができた。

 それならついでにと、期日前投票にも行ってきた。

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酒席でする政治の話、盛り上がる

2017年10月17日 17時21分44秒 | Weblog

  昨夜、立憲民主党候補の個人演説会が知り合いの家で行われたので出かけた。候補の演説に先立ち一言挨拶をしてくれと言われたので、昨日書いたようなことを話した。昨日の記事の中では書かなかったが、私が市長選挙への出馬を決めた時、この立憲民主党の候補に推薦を願い出たが断られたことを話した。「だから何の恩も義理もない。ただ、改憲だけは阻止しなければとの思いで、候補を応援することにした」と結んだ。

 あの時、応援してくれた人たちから、「市長選は11となるから、民主党の推薦はもらった方がいい」と言われ、民主党の国会議員の事務所へ出かけたが、民主党は自民党が推薦している本命候補を推薦することになっていると断られた。政策とか主義主張を比べるものと思っていたが、あくまでも政治的な判断だった。皆さんに断られたことを報告すると、「金を持って行かなかったのか」と言われ、「ただでは推薦してくれんだろう」とまで言われた。

 そういう政治から「決別した市政を目指す」と主張していたのだから、私としては「これでよかった」が、「選挙は勝たなければ意味がない」と思う人には不甲斐ない男だったろう。私は思っていることと口で言うことが違って、平然としておられるほどの大人物ではないので、当選することよりも信念が貫けてホッとした。「清濁併せ呑む」ことが出来なければ政治家にはなれないとも指摘されたが、逆に政治家になれなくてよかったと思う。

 声をかけてくれた知り合いの顔を立てるためだけに参加してくれた友だちが、「この後、みんなで一杯やろう」と言うので、我が家に急遽集まり、仙台の次女からもらった日本酒で酒盛りをした。酒のつまみは、男友だちが栽培したシシトウを焼き醤油をかけたものと、女友だちが「冷蔵庫に焼きそばの麺がある」と言うので持って来てもらって作った焼きそば、そんな簡単なものだったが、話は大いに盛り上がった。

 いつもは発言の少ないカミさんが「はい!はい!」と手を挙げて話出す。こうなると私はもっぱら台所に立つ人になる。

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衆議院議員選挙まであと6日

2017年10月16日 17時30分19秒 | Weblog

  運動会の頃になると金木犀が咲く。この頃は、運動会が春になったり、9月に行われたりで、運動会と金木犀が結びつかないが、私は金木犀の甘い香りを嗅ぐと運動会を思い出す。今年も10月11日に満開となったのに、あいにく天候も悪く写真を撮る機会がなかった。それにしても花は開花する時期を忘れない。律儀だと思う。

 衆議院議員選挙の投票日まで6日となった。若い頃の私は、誰に投票したって変わらない、と白票を投じていた。棄権するのは無関心と同じだが、白票は不信任の表明だと勝手に解釈していた。そんな私が首長選挙に出馬することになり、敗れて、「選挙なんてこんなもの。もう政治にはかかわることはない」と思った。

 応援してくれた人たちから、「あなたはそれでいいかも知れないが、私たちの気持ちを無視するつもりなのか」「無責任だ」と言われた。選挙の時に「議員もやっていないのに、首長が務まるか!」とヤジられたこともあって、町議会議員の選挙に立候補した。2期目の時、隣の町と合併し新しく市になる機会が訪れたので、これが最後と首長選挙を戦った。

 私は自治体の首長も議員も無党派であるべきだと考えてきた。無党派ではあるが、市民が主役の行政でなければならないので、市民派を提起した。無党派・市民派の議員の勉強会も立ち上げ、情報の収集と市民派の中身の研鑽に努めた。市民派の考え方も様々だったので、合宿して論議することもあった。

 今回の衆議院議員選挙は政権交代になるような雰囲気だったが、そんな空気は一気に萎んでしまった。小池百合子さんの『希望の党』の結成で、民進党は分裂し、自民に代わる保守の『希望の党』もゴタゴタ続きで、結局は自民・公明の政権が続きそうだ。私の願いはただひとつ、改憲勢力が伸びないようにしたい、それだけだ。

 

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3歳の女の子でも恍惚とした表情になる

2017年10月15日 16時42分40秒 | Weblog

  仙台の次女が3歳の孫娘と帰っていったので、再びふたりだけの生活になった。カミさんはテレビでゴルフ中継を見て、私はフトンんに入り眠ってしまった。「孫は来てよし、帰ってよし」というとおりである。次女も仙台では娘とふたりでいる時間が長いから、実家に帰って来た時くらいは解放されたいだろう。

 孫娘だって同じで、母親と一緒にいれば「安心」が保証されるが、絶えず「しつけ」を受けていれば解放されたいと願うだろう。幸いなことに、3歳の孫娘はどこにいればよいかを感覚で測ったのか、絶えず「パパちゃん、いっしょにあそぼう」と私を呼びつける。長女のところの小2の孫娘から借りた人形あそびの相手をする。

 3歳の孫娘はリカちゃん人形で、「わたしはエルザよ」といい、「パパちゃんはアナ」というのに、人形は子熊のモフッル(?)をあてがわれる。そして延々と人形あそびが続くが、決して私にリカちゃんが渡ることはない。主導権はあくまでも3歳の孫娘が握っている。女性は子どもを産み、育ててきた長い歴史から「あらそい」を好まないのだ。

 人類がこの世界に誕生しても、「家族」はまだ誕生していない。女性はその間も子どもを産み育ててきたが、男性が仲間になることはなかったと思われる。男性が集団で食べ物を確保してもまだ「家族」は作られなかっただろう。女性の子育ての歴史から比べれば、男性の「家族」の歴史は短い。男女平等はもっと短くて、フランス革命以後になる。

 3歳の孫娘は「パパちゃんとお風呂に入る」と言いながら、男性性器を奇怪なもののように見る。人類誕生の話を聞かせてやらないといけないと思う。旧約聖書も日本の古事記も、神様は男と女をつくられ、さらに古事記には男の凸ているもので女の凹んだものを埋めて子どもが生まれたとある。情交で女性が大きな快感を与えられるのは、産みの苦しみよりも大きくする必要からという。

 3歳の女の子でもハグする時はものすごく力が入り、恍惚とした表情になる。なんと女は美しいかと孫娘でも感心する。

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小2の孫娘は熱が出てしまう

2017年10月14日 16時41分10秒 | Weblog

  小2の孫娘は3歳のいとこと、土曜日は一日中遊び、一緒にお風呂に入り、一緒に寝るのを楽しみにしていた。楽しみが高じたからか、昨日から熱が出て、今日は喉が痛くなり鼻血も出た。両親は共働きなので、学校を休ませることもできず、昨日は学校へ行かせた。共働き夫婦の子どもが熱を出した時、どういう対処があるのだろう。

 我が家も共働きだったが、比較的近くにカミさんの実家があり助けてもらったが、実家が遠い家庭はどうしていたのだろう。マンションの友だちは知り合いに預かってもらう関係を築いていたが、近くにそれらしい人が見つからない場合はどうしたらよいのだろう。共働きの家庭のために、学童保育は拡充してきているが、病気の子の受け入れはしていない。

 片方の親が休んで子の面倒をみるのが当然と考える人が多いが、親は仕事が休めない場合もある。北欧では誰かが休んでも仕事が回るような仕組みができていると聞く。「休む奴は仕事に責任感がない」という考えが残っている日本とは事情が違うようだ。日本も昔は「会社は家族」とか、「職場はファミリー」という仲間意識が強かった。

 能力主義が定着し、「出来の悪いもの」を蔑む傾向が生まれた。「働きが悪いのだから賃金は低くて当然」と言われ、「働きの悪い者のために、どうして自分が稼いだ分を分けなければならないのか」と邪魔者扱いにされる。どんなに優秀な人でも病気になることもあれば、事故に遇うこともある。トップで働いていたのに、突然木偶の坊になってしまう。

 みんなで支え合う社会になれば、人は安心して働くことができる。我が子が病気になった時くらいは子どものそばにいられる社会の方がいい。衆議院議員選挙の投票日は22日の日曜日だ。戦争のない世界を目指し、みんなが信頼と協力で結ばれる、そんな普通のことが実現されることを願って投票したい。

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白雪姫とままごと遊び

2017年10月13日 18時22分51秒 | Weblog

 朝から絶不調。クシャミと鼻水が止まらない。今朝、まだ暗い時間、部屋の空気が冷たいと感じた。鼻水が出たのでテッシュで鼻をかむ。以来、ずーと鼻水が止まらない。3歳の孫娘が体温計を持って来て、熱を測れと言う。36.8度で平温だ。孫娘も真似をして体温計を脇に挟んで20まで数える。

 鼻水が止まらないから嫌だなと思いながら、孫娘と約束していた図書館へ出かける。さすがに図書館は児童図書が充実している。孫娘は興味津々で、絵本を探してあちこちと探し回る。児童図書のコーナーには絵本を広げて読める場所がある。「白雪姫はどうして倒れたの?」が口癖の孫娘は、絵本『白雪姫』を読んで欲しいとせがむ。

 白雪姫の物語は、継母が本当は魔女で、鏡が「世界で一番美しいのは白雪姫」と答えたことから白雪姫の暗殺を企む。魔女はおばあさんになって毒リンゴを白雪姫に食べさせる。嫉妬に狂った悪女というイメージなのに、「魔女はほんとうはいい人だったんだよね」と孫娘が言う。彼女がどうしてそう思ったのか分からないが、「世の中に悪い人はいないからね」と母親から聞かされているのだろう。

 午後は市の子育て支援施設へ出かけた。子育て中の若いお母さんが子どもを連れて遊びに来ている。いろいろな遊び道具があり、子どもたちは自由に遊ぶことができる。3歳未満の子どもが圧倒的に多い。保育園や幼稚園に通う前の子どもたちだからなのか、ひとり遊びはするが隣の子と一緒に遊ぶことはない。

 昨日、モンキーセンターへ出かけた時、幼稚園の園児がたくさん来ていたが、みんな手をつないで互いを気遣っていた。私が幼稚園の先生と話していると、私の周りにやって来て話しかけてくる。中には私と手をつないだり、身体によじ登ろうとする子もいた。わずか1年ほどの差で人はこんなにも違うのかと今日、子どもたちを見ていてそう思った。

 3歳の孫娘は料理のままごと遊びに夢中になっている。私は図書コーナーで、スティーヴ・ピダムフ著『子どもを叱らずにすむ方法 おしえます』(草思社)を読む。孫娘が「パパちゃん、カレーライスを召し上がれ」とテーブルまで運んで来てくれた。

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日本モンキーセンターへ行く

2017年10月12日 17時25分59秒 | Weblog

  3歳の孫娘とモンキーセンターに出かけた。サルに興味があるというより、ここに友だちの娘さんが働いているので、一度は会いたいと気持ちがあった。私が入り口で、「チーちゃんに会えるといいね」と3歳の孫娘に話しかけたので、なぜだか孫娘は「チーちゃん、チーちゃん」と声を上げる。

 職員の方が「ご家族の方ですか?」と言われる。「彼女が生まれる前からの知り合いです」と答えたが、私たち夫婦とチーちゃんの両親が友だちだと分かってもらえたのだろうかと思いながら、教えてもらった方へ向かう。アフリカ館の屋根の上で、エサを与えている女性職員が目に留まった。

 「チーちゃん、チーちゃん」と声をかけてみるが反応がない。けれど、わざわざ近くまで来て、「Waoランドにいますよ」と教えてくれた。Waoランドに向かうと、むこうから一人の女性職員がやってきた。チーちゃんだった。20歳の時の晴れ着姿の写真が我が家に飾られている。昔はか細い女の子だったが、ずいぶんたくましくなった気がする。

 動物好きが高じて、大学を出て動物園に勤め、サルに絞ってこのモンキーセンターに移ってきた。アフリカはもちろんマダガスカル島へも出かけたと聞いていたが、キツネザルの研究に没頭しているようだ。チーちゃんの姉と私の次女が同年で、保育園からずーと一緒だったから長い付き合いになる。

 「ナポレオン、よくやりましたよね」とチーちゃんが言う。そう、子どもを交えてトランプで遊んだ。チーちゃんの両親が持っている蓼科高原の別荘で、2家族が真剣にナポレオンや大富豪に興じた。一緒に行った長女の上の娘を見て、「(長女に)そっくりですね」と言う。長女のことを覚えていてくれたことがうれしかった。

 「サルのお尻はどうして赤いの?」、「Waoランドでキツネザルがあんなに近くで見られるのは訓練してあるから?」、「マンドリルの顔はなぜあんな色なの?」と矢継ぎ早に質問していたが、さすがに研究者の彼女は的確に丁寧に答えてくれた。「お母さんに話しておくね」と話して別れた。

 

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