友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

3歳の孫娘が大人のような口をきく

2017年10月11日 17時13分52秒 | Weblog

  次女が3歳の孫娘と出かけたので、静かな部屋でパソコンに向かっている。「お仕事(ブログのこと)、早くやっておいてね」と孫娘に言われているからだ。どういう訳か、3歳の孫娘は男性が好きだ。七五三参りに行った時も、ダンナの父親と駆けっこしたり、「抱っこ」と甘えたりして、翌日に「腕が痛い」と次女のところにメールが来ている。

 我が家には今日で1週間の滞在となるが、孫娘を見ていると、子どもがどんな風に知恵を付けていくかがよくわかる。次女は40歳直前に娘を授かった。私は「この夫婦は子どもがいらないのか」と思っていたが、子どもを授かるために努力をしていたと後で知った。やっとできた子どもなので愛おしくて仕方ないのだろう。だから当然だが、手放して見ることはできない。

 「ママとお出かけできていいね?」と孫娘に言うと、「ウウン、ぜんぜん面白くない」と大人のような口をきく。「どうして?」と聞くと、「いつも怒ってばっかり」と答える。なるほどママは大好きで、そばにいないと不安で仕方ないのに、二人でいるといろいろと注意されてしまう。「ママはあなたのことが好きなのよ」と言えば、「わかってる」と大人口調だ。

 子どもが男性が好きなのは一緒に遊んでくれるからだろう。73歳の私も3歳の孫娘に「パパちゃん、あそぼう」とせがまれる。1時間でも2時間でも、彼女の気が変わるまで付き合う。主導権は3歳の孫娘にあるから、「あなたはお医者さんね」と言われれば医者に、「あなたはドーナツ屋さんの店員さんよ」と言われれば店員になるが、すぐ、患者や客に代わることも素直に受け入れる。

 小2の孫娘が来てくれた時は、もちろん3歳の孫娘はうれしくてたまらない。しかし、主導権は当然年上の小2の孫娘にあるから、これがなかなか難しい。だから見ていると面白い。子ども同士でも思いやりがあるし、我も存在する。駆け引きもある。長女のダンナが小2の孫娘がまだ3歳くらいの頃、「子どもでも駆け引きをする」と驚いていたことを思い出す。

 人と人とのつながりの中で、言葉を学び、しぐさを覚え、子どもは大人になっていく。孫娘を見ていると、その成長が楽しくなる。今晩は看護師となった孫娘が我が家にやって来るという。

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世代の差が大きく存在する

2017年10月10日 20時22分10秒 | Weblog

  衆議院議員選挙の公示日だが、意外なほど選挙カーは回って来ない。昨日は共産党の街宣車が「野党共闘こそが安倍強権政治を倒す力」と主張していたが、その間を縫うように「選挙区は〇〇(立憲民主党の候補名)、比例は共産党」と連呼していた。まだ、公示前だから選挙運動はできないから、違反承知で行っているようだ。

 今回は政権選択選挙と自民・公明が言い、希望の党は安倍政権に終止符を打つと勢いづく。護憲3党の立憲民主、社民、共産は政権交代を唱えることもできず、ただ、安倍政権を倒すとしか主張できない。安倍自民党は議席を減らすだろうが、自民・公明政権は継続するだろうと私は見ている。

 憲法を読んで、「素晴らしいことが書いてある」と感激したのは私たちの世代までのようだ。今の若い人たちは「理想はいいが、現実的ではない。そんなことより、若い世代の負担を減らせ」と言う。「理想と思うなら、理想を現実のものにする努力が政治だろう」と私は思うけれど、「それはあなたたちの時代の責任」と言い返されてしまう。

 考えてみればいつもそうだ。世代の差は大きく存在する。私が子どもの頃、戦争でたくさんの人が亡くなったのに、なぜ責任があいまいにされているのか不思議だった。中学・高校に進み、生徒会の役員となったが、「生徒会は生徒のためにある」と言われながら、結局は教師が生徒を支配するための道具でしかないことが分かった。

 私が大学生の頃はまだ紛争の時代ではなく、社会人になってしばらくすると「全共闘」が闊歩するようになった。労働組合の中にも戦闘化する組織もあったが、それは一時のことで、景気の高揚とともに収束していった。理想より現実が先行していく。人間はいつも理想よりも現実に屈してしまう。キリストの言葉をもう一度噛み締める時だと思うが…。

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ともに食べ、飲み、歌う

2017年10月09日 19時39分42秒 | Weblog

  雨降りの七五三参りは勘弁して欲しいとの願いが通じたのか、一時はパラっとなった時もあったが、傘が必要なほどの雨ではなかった。7日の熱田神宮はたくさんの家族で賑わっていた。かつて私の娘たちも晴れ着で参拝したけれど、平和で豊かな時代でなければ、下々の者まで着飾ることは出来ない。こうした風習はいつから盛んになったのだろう。

 昼は名古屋駅前の高層階にある和食の店で、祝いの食事をした。家族が集まって飲み食いする口実に過ぎないが、孫娘は3歳ながら、自分が主役であることが分かっているかのように振舞う。姫路から次女のダンナの両親もやって来て、みんなが何度も「カンパイ」をするのがうれしくてたまらない様子だ。それは私たちジジババも同じで、孫娘の振舞いが楽しくて仕方ない。

3歳くらいから、子どもはびっくりするくらい成長する。それまでは幼児言葉だったのに、急に思わぬところで、そうびっくりするくらいのタイミングで、絶妙な言葉を発する。思わず、この子は天才ではないか、孫を含めて5人の子どもを見てきてそう思う。孫を得て、初めて子どもの成長がこんなにも素晴らしいものだと気付くとは、私もうかつだった。

 前日の夜は、名古屋駅前でホテルをとったダンなの両親に私の住む街まで出て来てもらい、私が好きな居酒屋に案内した。店主の計らいでみんなが満足してもらえる食事が出来た。ダンナも彼の+父親も営業畑なので、お酒が好きとばかり思っていたが、それほどでもないこともよく分かった。酒はあくまで触媒のようなもの、みんなが愉快に話ができればいいのだ。

 それならと「カラオケに行きませんか」と誘ってみた。3歳の孫娘も一緒にみんなでカラオケに出かけた。孫娘も一人前にマイクを持つが、「ここはお父さんたちの懇親会だから」とちょっと遠慮してもらう。ともに食事をし、ともに酒を飲み、ともに歌う。人にはこうした交わりが、人の間を和やかにするようだ。3歳の孫娘が大きくなるころは、どんな社会になっていることだろう。

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7日は熱田神宮で七五三参り

2017年10月04日 17時48分20秒 | Weblog

  明日、仙台の次女夫婦が我が家にやって来る。3歳の孫娘の七五三の祝いをするためだ。次女のダンナの実家は姫路なので、初参りは仙台と姫路の中間の名古屋の熱田神宮に、3家族がそろって出かけた。家が近ければ頻繁に会うこともできるが、これだけ離れているとそういう機会を度々作るわけにもいかない。3家族が集まれる貴重な行事である。

 明日は次女夫婦を歓迎して、長女夫婦も我が家にやって来る。長女のところの小2の孫娘が何よりも楽しみにしている。長女のダンナには姉がふたりいるが子どもはいないので、次女の娘が唯一のいとこである。しかも相手は3歳なので、生まれた時から姉さん気取りで世話をしていた。長女の話ではすでに遊ぶ道具まで用意して待っているらしい。

 私は子どもの頃、父方のいとこが5人、母方のいとこが6人いた。私と年齢の近い子が何人かいて、我が家に親戚が集まる時はそんな子どもたちの遊び相手を務めたし、母の実家へ行く時は叔母のところの5つ年上のいとこが相手をしてくれた。高校1年の時、東京の大学に行っていたいとこは「東京の大学においで。世の中は変わるよ」と、60年安保闘争の様子を話してくれた。

 まだ、祖母が健在だった時だから、私が小5か小4の頃、父の妹の娘が「お兄ちゃん(私のこと)と一緒にお風呂に入る」と言い出して祖母を困らせたことがあった。あの子は私よりもいくつ年下だったのだろう。おませな子だったのか、そういう年頃だったのか、大学を卒業して高校の国語教師になったと聞いた。

 祖母が亡くなると、叔母たちが家に来る機会は減り、我が家が倒産して一家が離散した後はいとこたちと会う機会は無くなった。母の妹の葬儀の時、「いとこ会をやろう」という話も出たが、結局、音頭取りをする人がなかったから立ち消えになった。我が家の長女と次女のふたり、これからどんな風に付き合っていくのだろう。血でつながった人数は少ないが、それでもつながりを大切に生きて欲しいと思う。

 6日は姫路からダンナの両親が名古屋に来てくださるので、私が好きな店で懇親するつもりだ。そして7日は熱田神宮にお参りし、初参りの時に利用した名古屋駅前の店でお祝いの席を設ける。8日の夜は次女のダンナが翌日帰宅するので、我が家で一杯やる。その時のお酒も用意してある。

 そんな訳でしばらくブログを休みます。

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そう思うのは私だけの感覚なのか?

2017年10月03日 18時16分23秒 | Weblog

  今日から『二科展』が、県美術館で開催される。二科には知り合いも多く、招待状を送ってもらったからには出かけない訳にはいかない。最近は県美術館の一般使用がずいぶん制限されてきていると聞く。同程度の展示面積のある施設が他にないので、取り合いになるし、できるだけ多くの団体が使用できるようにすれば、展示スペースを狭くしたり、期間を短くしたりしなくてはならない。

 私が勤めていた高校の卒業展も、県立なのに県美術館から名古屋市博物館に変わった。多くの人が美術に関心があり、制作団体も増えているようだ。それはよい傾向だと思う。特殊な人たちの特殊な遊びではなく、広く多くの人々が美術や文学や音楽や芸能など、自己表現することに関心があるのは平和の証でもある。

 誰もが皆、それぞれに自己表現の手段を持っている。うまく歌わなくても、うまく書けなくても、その人が着る物やしぐさ、あるいはちょっとした話し方や笑い方などで、素敵だなと思うことはいくらでもある。気づかいや優しさもまたその人の貴重な表現だ。私はまだ人生の結論は出せないが、一生懸命であることが、自ずと自分を磨き輝かせ、よい表現者にしてくれるように思う。

 小2の孫娘は、自分ができないことに涙を流した。母親と一緒に食事ができない時も涙が溢れた。3歳の孫娘はまだ、そこまでの自己表現はできない。ふたりが以前、我が家で遊び半分に描いた絵は、残念ながら褒めるところがなかった。次に遊びに来た時、もう一度絵を描かせてみるつもりでいるが、大きく成長していることを祈りたい。

 何か夢中になるものがあれば、見守って伸ばしてやる。それが大人の努めだ。先日の木版画展でも、今日の二科展でも、私の心をとらえたのは「空間の表現」だった。友だちはよく「女房なんて空気のようなものだ」と言うけれど、空間には絶妙な何かがある。そう思うのは私だけの感覚なのか。

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行き過ぎにはブレーキがかかる

2017年10月02日 18時03分22秒 | Weblog

  穏やかな秋雨を眺めていたら、すっかり暗くなってきた。秋はもの悲しい。にぎやかに大声が飛び交っていた運動会や体育大会が嘘のようだ。道路脇に咲いていたヒガンバナも枯れ落ちている。冷たいものに右の奥歯がキーンと沁みるので、近所の歯科へ行ってきた。右で噛むのを避けていたら、左の奥歯が痛む。最近、歯科へ通うたびにますますどこかが悪くなる。

 中学1年の時はクラスの「歯の優良児」だったのに、家がゴタゴタして顔を洗う場所もない時があったりして、歯を大事出来ない期間があった。そんなツケが今頃になって出てきたのだろうか。秋はイネ科の花粉で、目はショボショボするし、クシャミと鼻水に悩まされて憂鬱になる。ところが不思議なことに、誰かに会うとかどこかへ出かけるとか、気持ちが浮き浮きした時はアレルギー症状は出ない。

 自分勝手というか、貪欲な体質である。小2の孫娘が百人一首を口ずさむので、昔は関心なかったのに、最近になって孫娘に負けないようにと読み返すようになった。孫娘の父親が「こんなにえげつない恋の歌を小学生に読ませていいのか」と疑問を投げかけていたが、結論から言えば、私は「いい」と思う。

 歌の情景までは分からなくてもいい。百人一首は言葉遊びだから。そしてこの言葉遊びは日本人の情感の源でもある。「陸奥の しのぶもぢずり 誰故に 乱れ初めにし われならなくに」は、恋しい人を思って心が乱れ始めたのはあなたのせいよと詠っている。そんな恋の歌が圧倒的に多い。儒教的な規範が入り込んでいないから、恋愛を謳歌していた。

 資本主義は儒教的な道徳を嫌う。自由でなければ富は蓄えられない。しかしどんな時も行き過ぎにはブレーキがかかる。キリスト教的な価値観で歯止めをかけようとする。人間は貪欲だが、これで本当にいいのかと考える人たちが現れる。今も、混とんとした世界の中で、そういう人たちが必ずいる、と私は思う。

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脇目もふらず、一途に

2017年10月01日 18時07分35秒 | Weblog

 「オオー」とか「ワアー」とか、テレビのゴルフ中継を見ているカミさんが大声を上げている。長女が結婚式に出席するための長じゅばんの襟を取り換えているから、「着物縫いながらよくテレビ見ていられるね?」と感心すると、「見なくてもいい時に針を動かしているよ」と言う。いくら直線縫いでも、画面を見ながら縫うのは高等技術がいるだろうに。

 私の母はラジオを聴きながら縫物をしていた。ラジオなら耳だけ向けておけばいいが、テレビを見ながらとなると、画面と手元の両方に注意を向けなければならない。気持ちも分断されるようで、私は落ち着かなくてなかなかできることではない。私はどちらかと言えば、1点集中の傾向が強く、好きになると一途に求めてしまう。

 久しぶりに電話があり、「市民が主人公の市政を目指すとあなたは言っていたけど、崇高な理念を掲げていたのね。ようやく気が付いたわ」と、私を応援してくれた年配の女性が言う。あんなに熱心に応援してくれたのに、スローガンや政策は二の次だったのだ。選挙で身を粉にして応援してくれる人には、政策とか理念とかよりも「人柄が好き」というタイプが多い。

 名古屋市長の河村さんが「希望の党」から出馬しないと決めた。河村市長は「税金は市民のもの。市民のために使って当たり前」と主張するが、どんな市長でも口では「市民のため」と言う。河村市長の政策は、あおなみ線にSL列車を走らせるとか、名古屋城の本丸を木造で建て直すとか、「思いつき」ばかりで、市長として本当に「市民のため」になっているのかと思う。

 「希望の党」が「しがらみのない政治」「原発ゼロ」を目指すという。それは私も賛成だ。けれど、「安全保障体制の強化」「憲法改正」は絶対に受け入れられない。だから「希望の党」は支持しない。せっかく自民一強の体制を崩す機会なのに、そんな細かなことにこだわるなと言う人もいるが、憲法や安全保障という国の根幹を骨抜きにしてはならない。

 ここは一点集中する時だと思う。脇目もふらず、一途に。

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