友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

誰にだって、失敗や挫折はある。

2018年01月21日 18時38分58秒 | Weblog

  「誰にだって、失敗や挫折はある。遠回りしたって、人生はそんなに変わるものじゃーない」と80歳近い2人のジジイが、17歳の青年に熱く語っていた。昨夜のマンションでの新年会は6時半のスタートだったが、終わってみればいつもと同じ12時だった。男6人、女4人、高校生2人、小学生1人の13人だが、大人2人と高校生1人が9時過ぎからの参加だったから、再スタートとなり、こんな遅い時間になってしまった。

 高校生の1人は中学1年の時に不登校になったが、今、高校2年となり、どちらへ進むか悩んでいるところだった。そこで、60年前を振り返り、ジジイ2人が自分の青春時代を熱く語り出したのだ。自分の子どもや孫にはこんなにも赤裸々に、自分の失敗や挫折を語ったりしないだろうし、子どもや孫は「ジイジ、うるさい」と真面目に聞かないだろう。それが同じマンションで暮らしているだけなのに、耳を傾けてくれるから、語り手としてはいっそう熱が入る。

 私たちの子どもの頃には親戚や隣近所の人が、こんな風な集まっては酒を飲んでいた。子どもは遠巻きにそれを眺め、美味しそうな食べ物を見つけると怒られないようにそっと手を出したものだ。核家族化になり、家族4人で一家団欒はあったとしても、子どもも交えてこんな風に酒など飲む機会はなくなった。たまたま気の合う仲間が出来たから20年以上も続いている。私たちの子どもが大きくなり、たまたま親子で同じマンションに居を構えているから、血はつながっていないが孫のような存在なのだ。

 17歳の青年にすれば、両親よりも年上の祖父の話を聞くような感じだろう。大勢で暮らすのは大変だが、時々こうして集まって、とめどもなくバカ話に興ずるのもいいと思う。子どもに聞かせられないようなHな話も飛び出すが、それも学校では決して教えてもらえない貴重な勉強だと思う。

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古典楽器で聴くバロック音楽の魅力

2018年01月19日 17時46分28秒 | Weblog

  先輩から電話があり、「突然のことだけど、今晩時間ある?」と言う。「はい」と答えると、「古典楽器の演奏会が長久手市であるから一緒に行かないか」というお誘いだった。昨日の夕方、途中で先輩を拾い、長久手市へと向かった。インターネットで調べてみると、『大人のためのクラシック教室』が昨年の11月から開かれていて、昨日はその第2回「古典楽器で聴くバロック音楽の魅力」であった。

 会場は長久手市の「文化の家」である。長久手市は私の住む市よりも人口は少ないが、「文化の家」は素晴らしい施設だった。駐車場から直接入ることができるし、会館は私の市のものよりも大きく、落ち着いた雰囲気が漂っていた。メインの「森のホール」は円形劇場で、観覧席は5階まであったから、名古屋市の千種文化小劇場より収容人数は多いだろう。先輩に言わせると、「音響が凄くいい」らしい。

 昨日は、バロック時代のヴァイオリンとヴィオラとチェロとチェンバロによる演奏で、演奏した曲も17世紀から18世紀前半に作曲されたもの。イタリア・ルネッサンスが起きたのは14世紀だから、絵画でいえば宗教画から離れて市民の肖像画が描かれたように、音楽も教会から貴族らのための演奏になったのだろう。舞踏曲が多いのもそのためだろう。

 古典楽器と現代の楽器の違いなどの解説もあった。さすがに「大人のため」というだけあって、参加者のほとんどは高齢者だった。入り口でいただいたパンフを見ると、長久手市はずいぶん文化活動に力を入れている。『創造博』と題したコンサートが連続して組まれていたり、戸田恵子さんや大和田獏さんらが出演する「あの時代を生きた人々を救ったのは歌だった」とある『シングァソング』など興味深いプログラムが続いている。

 「文化の家」を運営する人たちの企画力は、無償案内役などをするスタッフに負うところが大きいと先輩が教えてくれた。県立大学や県芸術大学が市内にあることも大きな支えだろう。今日は日赤病院で半年に1回の検査日だった。初めて超音波で心臓の動画を撮ったのに、医師からは「次は7月6日を予約しておきますね」だけだった。明日はマンションの仲間で新年会を行うので、ブログは休みます。

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文章のクセ

2018年01月18日 16時24分03秒 | Weblog

 あったことをあったまま書けばよいのに、ただ描写するだけでは自分が書いた気になれなかった。あったことをあったままと言っても、そこには書き手の取捨選択が働いている。まず、何を扱うかに始まり、どう結ぶかまで、書き手の思いが文章に現れる。新聞のような「客観的に書く」ことが求められているものでも、書き手の主観がどこかしこに存在する。文章とはそういうものだと思う。

 小学校6年の時、私は児童会長として、その頃は国鉄と言っていた電気機関車の運転席に乗せてもらった。電気機関車がいかに速いかを理解し、線路で遊ばないようにというキャンペーンのためだったと思う。自分が体験したことを全校集会で話しなさいと言われ、「自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたことを話します」と言ったことを、顧問の先生はとても褒めてくれた。

 自分の目で、自分の耳で、という表現方法はそれからズーと続いている。高校の新聞部で記事を書く時も、客観的に書いているようで実に主観的だったと思う。それでも学校への批判ばかりではなく、好きな女の子への告白のつもりで書いたものもある。文学研究クラブが発行していたものに書いたいくつかは彼女へのラブレターだった。夜の河原に咲く月見草の群生の美しさは自分しか知らない、あなたの美しさはボクしか知らないと詩に書いた。

 文学研究クラブがガリ版刷り出だした冊子のなかに4人の修学旅行記があった。この時は松山から宮島に渡る船旅が最も印象に残るはずだった。何しろ台風が接近していて船は大揺れで、男子はバランスを取るため甲板に出て傾きそうな側に立った。全身びしょぬれになりながら、無事に港に着いた時は達成感で一杯だった。これを書いたのはKだけだった。

 中学からの友だちは、当時はかなり文学青年気取りだったから、「船内のじゅうたんの上でトランプをしていた。その時の私は、ある意味では最も現世的な人間の欲望のとりことなり、又ある意味では最も太古的な一個の動物としての人にたちかえっていたのかも知れない」と書いている。私は初恋の人とのわずかな会話と、二人で帰ろうと話したのに実現しなかった寂しさを小説風に書いている。

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学校の教育活動と地域のクラブ活動を区別する

2018年01月17日 17時59分59秒 | Weblog

  胃カメラの結果は「十二指腸に潰瘍が見られる」ということだった。やっぱりと思う。潰瘍ができるような社会生活からは卒業したと思ったのに、まだ若さが残っていたようだ。ところが肉体の老いは顕著で、麻酔のせいなのか身体がだるくて何もしたくない。

 新聞を見ていたら、中学校の運動部の活動を週2日以上休養するとあった。私が小学校の時は部活など無かった。夏休みに子ども会のソフトボールチームが、学校の運動場で練習したが、指導するのは町の兄ちゃんだった。中学校にはサッカー部、野球部、ソフトボール部、バスケット部、卓球部、テニス部、弓道部などの運動部の他、吹奏楽部や放送部があり、顧問と称する先生がいたが滅多に指導には来なかった。

 高校も同じで、さらにいろんな部活が行われていたが、熱心な先生もいたがほとんど無指導の状態だった。私は高校の教師になった時、生徒に請われて吹奏楽部の顧問を引き受けたが、全く名前だけで、指導は先輩たちが行ってくれた。夏休みの合宿訓練も生徒が計画し、私は計画書に印を押し、一緒に過ごしただけだった。

 小・中学校の部活がこれだけ盛んになったのはいつからだろう。市の大会から始まって、郡や県の大会があり、強くなればなるほど練習もきつくなり、父母の期待も大きくなる。教師の中には授業よりも部活に一生懸命な人もいる。部活を制限して欲しいと思っている教師にとっては、部活が命の教師や、我が子のために部活が絶対に必要と思っている父母の存在はあまりにも大きい。

 私はもう学校に部活動は必要ないと思う。「クラブ」をつくり、指導者を迎え、学校の施設を使って活動する方式に変える時代にある。学校の施設を地域の誰もが利用できるようにすればいい。子どもたちにサッカーを教えたい教師は地域の「クラブ」の指導者になればいい。学校の教育活動と地域の「クラブ」活動を分けるべきだと思う。

 

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カミさんは私を動かそうとする

2018年01月16日 17時51分15秒 | Weblog

  テレビの天気予報を見ていたカミさんが、「今日は暖かいからいっぱい作業ができるわね」と嬉しそうに言う。もちろん私もそのつもりでいたが、人から言われるとムッとくる。しかし、ケンカをするのは大人気ないから、「ウン、頑張る」と答えた。カミさんは私が一日中家に居て、グダグダしていると思っているようだ。

 確かにカミさんの観察は当たっている。しかし今日は、ルーフバルコニーに出て作業をする予定でいた。まだ、バラの選定が5鉢残っているし、バラの鉢の土を入れ替えてやるための土づくりをしておきたい。3月中旬の暖かさなら作業するにはもってこいだ。午前中に剪定を終え、午後は土づくりに励んだ。確かに暖かくて、土づくりのような力の要る作業をしていたら身体が汗ばんできた。

 カミさんが私を動かそうとするのは、私が散歩も体操もしないで家でじっとしているからだ。しかし、家に居る限りは流し台に積まれている食器を食洗器に入れ、鍋などの調理道具を洗い、洗濯機から洗濯物をとり出して干し、床が気になれば掃除機をかける。買い物に出かけることは少ないが、家事はマメにしている。カミさんは結構大雑把だが、私は神経質な方なので気になることを後回しにできない。

 最近、カミさんが命令口調で私を動かそうとするのも、心臓の辺りが時々痛むことや健康診断で胃の再検査と出ているのに、私が「何も心配ない」と放っているからだ。明日は胃カメラの検査があり、19日には日赤病院でペースメーカーの定期検診がある。医師の診断を仰ぐしかない。

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「瀬に早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」

2018年01月15日 17時47分57秒 | Weblog

 NHKの朝の連続ドラマ『わろてんか』は笑えるような面白さはない。主人公の女優は可愛いが相手役や脇役が、私の好みでないからかも知れない。ここでも高橋一生さんが使われているが、この俳優はもっと暗くて裏表のある役の方がいいと勝手に思っている。初めて高橋さんをドラマで見た時は、味のある俳優がなんて薄気味悪い男かと思った。

 『わろてんか』の中で一番印象に残っているのは、兄弟弟子の落語家が演じた百人一首、「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」(崇徳院)であった。落語の題「崇徳院」は知らなかったが、崇徳院が悲劇の人であることは、どこかで聞いたことがある。子どもの頃に国語の教師だった父からか、こういう話が好きな母からか、それとも高校の授業だったのか定かでない。

 ドラマの方は破天荒の落語家が得意とする「瀬を早み」だったのに、全く情感のないヘタな落語だった。川幅が狭いところは流れが速く、岩によって割かれてしまうけれど、別れてもいつか逢おうと思うと切ない恋を詠っている。けれど、作者の崇徳院の生涯を聞いた時、恋歌を装っている歌かも知れないと思った。今はこんなふうに割かれているが、いつか必ずの思いが込められている気がした。

 崇徳院は鳥羽天皇の第一皇子だったが、幼少の時から父親に嫌われ、皇位に就いたのに父親によって異母弟に譲位させられ、保元の乱を起こすが敗れてしまう。崇徳院の父親は鳥羽天皇の祖父の白河法皇と言われている。崇徳院の母親は鳥羽天皇に嫁ぐ前から白河法皇の愛人だったという訳だ。平安時代の貴族はかなり自由に恋していたようだ。現代人よりも情欲が深かったと思うのは間違いだろうか。

  それでも私は恋歌の方が切実感があって好きです。「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ」。

 

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愛が生まれ育つ時

2018年01月14日 19時09分00秒 | Weblog

 交差点で信号待ちで止まると、後ろの車の人が駆け寄って来た。「トランクが開いてますよ」と言われ、急いでシートベルトを外して出ようとしたら、「いいですよ。ボクが閉めておきましょう」と言う。メガネをかけた若い男の人だった。バックミラーで見ると、助手席の女性が男の行為を褒めているようだった。私は手を振って、ありがとうと頭を下げた。

 我が家の車はホンダのグレースだが、運転席のシートベルトを装着した時、ベルトが席の右下にあるトランクを開けるレバーに引っかかる。運転席の前のパネルに「トランクの扉が開いています」と警告されるのだが、今日はそれもなかったようで気が付かなかった。大きくバウンドすればトランクの扉は跳ね上がり、私もびっくりだが、後続の車の人も驚かせてしまうだろう。

 親切な人が居てくれて本当に良かった。優しく思いやりのある日本人が増えてきたような気がする。が、一方で電車に乗ればほとんど全員がスマホに夢中だ。他人のことにおよそ関心がないように見える。選挙の投票率の低さは関心のない証拠だ。税金を天引きされて納めているのに、それが何に使われているのかについてはとんと関心がない。

 マンションの自治についても、誰かがやってくれるだろうとしか思っていない。それなのに、税金が上がったり、自治会の役員が回ってきたりすると、「どうしてこんなに税金が上がるのか」、「なぜ自分が役員をやらなくてはいけないのか」と不満を口にする。でもきっと、私に「トランクが開いていますよ」と教えてくれ、「ボクが閉めておきます」と言ってくれた若者が増えれば、政治や自治にも関心を持ってくれそうな気がする。

 他人のこと、社会のこと、世界のこと、目を開いて欲しいし、関心を持って欲しい。昔、「人類みな兄弟」という言葉があったけれど、それくらいに思ってもらえれば愛も生まれ育つのではないだろうか。

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どうしてこうも人の世はややこやしいのか

2018年01月13日 18時06分14秒 | Weblog

  そろそろバラを剪定しておこうと思っていたら、今朝は風もなくよく晴れていたので、ルーフバルコニーへ出てみた。昨夜の雪が残っていて、空気は氷のように冷たい。「風がない時しか作業は出来ないぞ」と言い聞かせて剪定を始めるが、あまりの寒さに3鉢だけにして急いで部屋に戻った。寒さの中にいるとどうして鼻水が出るのか分からないが、部屋に戻ったらクシャミと鼻水が止まらなくなった。

 「求めよ、さらば与えられん」(マタイ伝7-7)とイエスは山上で人々に話された。これまで、戒律を守っていれば天国に行けると考えていた人々には衝撃的な説教だったに違いない。「あなたの敵を愛しなさい」とまで言われる。価値観の大逆転である。イエスの教えを危険と感じたのは、「戒律を守れば天国に行ける」と教えてきた律法学者などの支配層だ。戒律はごく当たり前のことばかりだが、「心で思っても罪になる」のではとても守り切れない。

 俗世にとらわれていた私はイエスの言葉が心地よかった。しかし、信仰は「神に近づきなさい。そうすれば神はあなた方に近づいてくださいます」(ヤコブ4-8)とあるように、神に近づく努力である。バラの花を大きく咲かせようと思えば、そのための努力を惜しんではならない。小さなことかも知れないが、例えばマンションの組長は輪番でという原則は守ってもらいたいのに、「それは理想で現実は無理だ」と言う。理想ならそのための努力を惜しむべきではないのに。

 けれどいっそのこと、求めたりししなければ絶望することもないし、空しい努力をすることもない。それで気持ちは軽くなることは確かだ。しかし、逃げたという罪の意識からは免れない。流れるままにしかならないのに、どうしてこうも人の世はややこやしいのだろう。

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悲しいことばかりではなかった

2018年01月12日 18時42分36秒 | Weblog

  新潟で豪雪のため列車が動けなくなり、多くの乗客が車両に10時間以上も閉じ込められた。幸い列車の暖房は途切れず、トイレも使えたようだが長い列だったというから我慢した人も多かっただろう。途中から水や食べ物の差し入れもあったというが、狭い車両にかなりの人が閉じ込められた状態だったから、決して「楽しい」時間ではなかっただろう。

 それでも、互いに相手を気遣う様子があちこちであったと言うから何か嬉しくなる。立ちっぱなしの人に席をどうぞと譲ったり、差し入れられた水や食べ物を手渡したりと、優しい気遣いが見られたようだ。動かない列車に腹を立てる人はあったかも知れないが、同じ乗客に八つ当たりする人はいなかったのも幸いだった。

 横浜市で振り袖の販売・レンタル業者が突然姿を隠したため、成人式に振り袖が着られなくなった人たちが何人もいた。この日のために両親や祖父母がお金を出してくれたのに、晴れ姿を見せられなくて泣いていた女性もいた。前もってお金を払い、着付けをしてもらうばかりだったのだから、その絶望感は相当なものだっただろう。まさか、そんな詐欺事件が起きると誰も想像できなかった。

 それでも悲しいことばかりではなかった。同業者が急遽、振り袖や履物、小物などを手配して、着付けの経験のある人が奉仕で着付けてくれたり、さらに家にある振り袖を無料で貸してくれたり、決して世の中、悪い人ばかりではないことを証明してくれた。悪い人はいるかも知れないが、困った人に手を差し出してくれる人が何人もいる。それを知るだけでもこれからの人生にきっと役に立つだろう。

 困っている人を助ける。それが当たり前の世の中になって欲しい。そしてもっと進んで、困る人が出ない社会にしてもらいたい。

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高齢者の事故が続く中で

2018年01月11日 18時01分21秒 | Weblog

  群馬県前橋市で早朝、2人の女子高生を巻き込む交通事故の映像を見た。ものすごいスピードで走って来て、何かを突き飛ばし、1回転ほどして他の車にぶつかって止まった。突き飛ばしたのは自転車で登校途中の女子高生で、自転車の前輪が無くなっていた。事故を起こした運転手は85歳で、「気が付いたら、事故を起こしていた」と話していた。

 あれだけスピードを出していて、ブレーキをかけた痕跡もないという。いったいどうやって運転していたのかと思ってしまう。以前から度々事故を起こしているようで、家族は「車に乗るのは止めて」と言っていたらしい。このところまた、高齢者の事故が多い。夜間は確かに見にくくなっているが、朝の8時ならよく見えるはずなのに、何が原因だったのだろう。

 交通事故ばかりか、火事の報道もあり、死者の多くは高齢者だ。いろんな面で注意が散漫になってしまうのかも知れない。50年近く連れ添ってきた夫婦でも、年を重ねて理解が深まるかと言えば意外にそうではなく、全く頓珍漢な会話になっている。そう話すと、「会話があるならいい方で、一緒にいても会話などしたことが無い」と嘆く先輩もいる。

 互いに頑固になって、「そちらが悪い」と決めつけるから始末が悪い。先輩が言うように、「謝ってしまえば波風立たない」だろうが、相手が間違っているのになぜ謝らなくてはならないのかと思うと、ますますややこやしくなってしまう。夫婦でさえそうなのだから、ましてや他人なら尚更である。

 自治会長さんに「7年は長すぎるからお辞めになったらどうです」と話した。「そんな無責任なことは出来ない。管理事務所の現実を知っているのですか」と切り返された。「では、あなたが管理事務所長になれば解決するのでは」と言うと、「それでは所長になりたかったのだと勘繰られる」と拒否される。「じゃあ―、この人が所長なら安心して辞められるという人は」と聞くと、名前をあげられたので、「所長になってくれるように私が説得していいですか」と言って別れた。交通事故の二の舞にならないようにと思う。

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