車を近くの自動車修理工場へ持って行った。コロナ騒ぎで閑散としているかと思ったら、車検の人などで混み合っている。道路もいつも通りの車両が往き来している。新型コロナウイルス禍で街に人は少なくなったとテレビは報じていたが、それでもいつも通りに働かなくてはならない人が大勢いるのだ。
学校は相変わらず静かだが、テレワーク授業に向けて先生たちは毎日通勤して来ている。テレビ画面を通しての勉強なんか出来るのかと思うのは私が年寄りだからで、子どもたちはラインを使って既にやり取りしているから出来ないことはないようだ。世の中は変わっていく。働き方も価値観も変わっていく。
変わらないものは何だろう。いや、変わらないものは無い。親子の関係も男女の愛も、そのあり様は変わってきたし、変わっていくだろう。時代は必ず新しいものを創ってきた。今はそういう時代なのだろう。コンピューターの頭脳は経験値の集積だから、新たなものは創り出せない。人がロボットを助けなくては、期待したようには動かない。
「新型コロナウイルス禍の時に、家でじっとしていられない人たち」をマスコミは叩くけれど、何か寂しい気がしてしまう。もっと暗い気持ちにさせてくれたのは、芸能人らが「#検察庁法改正案に抗議します」に賛同を表明すると、「法案の中身も知らないくせに」とか、「黒幕に踊らされているのだろう」とか、批判する書き込みが現れたことだ。
アメリカでは俳優や歌手が政治的な発言をしている。やっと日本も自由に意見表明出来るようになったと拍手するところなのに、上から目線でバカにしている。もし、法案に賛成ならその理由を書けばいい。私は民主主義の基本は三権分立と思うので、法案には反対だ。権力が集中しないと思い切った政策が実行できないというが、どんなに手間がかかっても、それで大きな損害が生まれても、みんなの意見が反映される方がいい。