風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大本営

2009-12-10 22:59:25 | 日々の生活
 昨日に引き続き、情報との関わりについて書いてみたいと思ます。
 情報は現場にある。昨日とは矛盾するものの言いになりますが、現場は、案外、早い内に潮目が変ったことに気がついているものではないか。その時に比較の対象になるのは、現場に対する本社や本部であり、また大日本帝国にあっては大本営になります。そういう意味では昨日とは切り口が違います。そう思ったきっかけは、海外勤務でした。海外と言えば、日本の本社に対しては現場になるわけで、最初に赴任したペナンでは、日本の本社では見えていない現地の事情が見えて来た。更にそのペナンも、当時は、アジア大洋州地域の本社であり、アジア大洋州各地の販売の現場の情報を必ずしも正確に把握していたわけではなかったことに、更にペナンからシドニーに移って、より現場に近づいてから気がつきました。ペナンで思っていた以上に、販売の現場は疲弊し、このアジア大洋州事業はそもそも無理筋だったのではないか、あるいはどんなに頑張ろうとも、所詮は負け戦だったと、恐らく大日本帝国・陸・海軍の現場のように、強く感じたものでした。
 大本営発表と言えば、「内容を全く信用できない虚飾的・詐欺的な公式発表」の代名詞(Wikipedia)として甚だ評判がよろしくありません。実際に戦争という異常な状況では、大損害を過少に見積もったり僅差の勝利を大袈裟に賞賛するような誇張表現は多かれ少なかれあるものでしょう。ところが、全滅のことを「玉砕」だとか、撤退を「転進」などと美化するようになるとすれば、やや行き過ぎで、更に行き過ぎが昂じると、白を黒、負けを勝ちと言いくるめるような隠蔽・虚偽の発表がまかり通ってしまう。その程度はともかくとして、大本営が戦況を正確に把握していなかったであろうことは厳然たる事実でしょう。情報通信技術が発達していなかった当時にあってはなおのことです。
 製造現場における品質管理で5ゲン主義(現場・現物・現実・原理・原則)が唱えられることにも繋がります。
 しかし、ものの本によると、当時の新聞社は大本営発表を更に誇張していたと言われます。そしてその体質は現代に至るも変わっていないのではないでしょうか。肝に銘じなければ。
 上の写真は、マレーシアの新聞のスクラップです。イスラム教徒は、断食中でも、日が沈むと食事を口にするわけですが、日が昇るとまた食事を口にすることが出来ません。そんな断食を破る夕刻と、再び断食に入る日の出の時間を、新聞でお知らせするわけです。そして、その記事の上には、断食を破る時はKFCへどうぞ!という広告です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする