風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

人(3)プロ野球監督

2009-12-27 23:53:08 | 日々の生活
 昨晩の「うるぐす」で、今だから語るWBC監督としての原さんのインタビューが放映されていました。これまで毀誉褒貶で揺れていた原監督ですが、今年は確実に評価をあげ、大リーグを別にすると、最も傑出した野球人の一人に挙げられるでしょう。選手ではなく監督であるところが異例ですが、監督として、WBC、セ・リーグ、日本シリーズ、日韓統一王者の四冠を達成し、正力松太郎賞や紫綬褒章をはじめ、直近で「国連の友」が制定する「国際寛容賞」を日本人として初めて受賞したものまで含めると、今年、手にしたタイトルは11に及ぶそうで、まさに原監督イヤーだったと言えます。
 原選手としては、学生時代から大いに期待され、巨人軍入団後は、新人王を獲得し、三年目に達成した3割30本塁打100打点は、青田・長嶋・王に次ぐ球団史上四人目の快挙で、第48代・巨人軍4番の座は1066試合に及び、川上・長嶋・王に次ぐ長きに亘りますが、特に勝負強かったというような印象は残っていません。野球人としては、むしろ監督になってからの方が評価が高いくらいではないかと思います。特に、お気に入りの選手ばかり集めて4番だらけの重量打線ながら峠を過ぎたベテランが多くてチームとしての実力を発揮できずに終わった晩年の長嶋さんの後に監督になっただけに、ベテランや中堅だけでなく若手も積極的に起用した適材適所の配置で打順を生かした野球スタイルは評価が高く、実際に九連覇以来のリーグ三連覇を達成しました。
 原監督の評価を難しくしてきたのは、長嶋さん譲りの思いつき野球や、大袈裟なやや意味不明のところもある言動にも起因すると思われます。しかしジャイアンツ愛というキャッチフレーズに見られるように、ジャイアンツというチームを愛する気持ちひいては野球を愛する気持ちがびんびんに伝わって来て、選選手を乗せてしまうところがあるのは、リーダーとして重要な素養のように思います。こうした原監督のキャラクターを形作ったのは、長嶋さんの影響もさることながら、1986年のシーズン途中で広島・津田投手の直球をファールした際に左手首の有鉤骨を骨折し、「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わった」と後に告白したほど、後々まで古傷に悩まされ選手生命に影響を与えた経験と無縁ではないでしょう。
 愛は地球をなかなか救えませんが、愛する者は救われる、人は愛に包まれて実力を遺憾なく発揮するようです。
 4番というのは、中国では「死」を連想させる忌むべき数字で、マレーシアでも華人が経営するホテルやマンションでは4階と13階の表示がありません。上の写真では分かりませんが、エレベーターでも4階に代えて3Aと表示し、13階に代えて12Aと表示したりします。なお×印がついているのは、ドゥリアン持込み禁止の標識です。
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人(2)ピアニスト

2009-12-27 01:01:31 | 日々の生活
 今宵、たけしさんの番組に辻井伸行さんが出演され、ピアノの生演奏を披露されました。この一年を通して、景気の悪さは変わりませんでしたが、他方、日本人を元気にする話題が多い年でもありました。辻井さんは間違いなくその内の一人だろうと思います。ご存知の通り、今年6月、アメリカで開催されたヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝されました。中国人ピアニスト張昊辰さんとの同時優勝で、日本人として初の快挙です。
 私はこのニュースをシドニーで知りました。音楽に全く造詣のない私なので、視覚障害者だというところに、親としての感情移入があったというのが正直なところでしたが、そんな思いは消し飛んでしまうほどに、圧倒的な強さ、あっけらかんとした明るさがあり、感銘を受けました。そして、勿論、ここに至るまで私たちの想像を超える苦労があったと思いますが、所詮は私たちには理解できない世界であり、私たちは今ある結果を楽しめば良いのだと思い知らされました。
 私の知人に、人間の極限状況を記録したドキュメンタリーや小説などの読み物を好む人がいました。15年くらい前の話で、当時の私は、酔狂だなあとしか思えなかったのですが、こうした話を今も覚えているということは、どこかで引っ掛かるところがあったのでしょう。今にして思うと、人間という存在の限界と同時に可能性も見てみたいという強烈な思いがあったのではないかと思います。
 辻井さんを見ていると、人間の可能性を感じます。もとより譜面を読むことは出来ないので、音楽を聴きながら、右手と左手でどう弾けばよいのかを体得していったのだと言います。私の息子などと比べるべくもありませんが、息子の英語は、耳から入っているので、一見、完璧に見えますが、高校入試の英語問題をやらせると、理論から入っていないだけに、英文の書き換え問題や発音問題が弱い。しかしこうした厳密さ、緻密さは、日本的なパターンをなぞって、学習の到達レベルを確認するという目的に資するものに過ぎなくて、英語本来のコミュニケーション力を伸ばすために必ずしも必要なものではありません。辻井さんの音楽への接し方、息子の英語への接し方を見ていると、恵まれているはずの私たちこそ、却って何かを失っているのではないかと思えてなりません。
 ピアノと言えば、ピアノが弾けなくても、ネコ踏んじゃっただけは見よう見まねで出来る人は多いのではないでしょうか。上の写真で、天井の屋根の影はネコ。ここに寝ている限り踏まれることはありませんね。マレーシア・ランカウィ島のレストランで。
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