昨晩の「うるぐす」で、今だから語るWBC監督としての原さんのインタビューが放映されていました。これまで毀誉褒貶で揺れていた原監督ですが、今年は確実に評価をあげ、大リーグを別にすると、最も傑出した野球人の一人に挙げられるでしょう。選手ではなく監督であるところが異例ですが、監督として、WBC、セ・リーグ、日本シリーズ、日韓統一王者の四冠を達成し、正力松太郎賞や紫綬褒章をはじめ、直近で「国連の友」が制定する「国際寛容賞」を日本人として初めて受賞したものまで含めると、今年、手にしたタイトルは11に及ぶそうで、まさに原監督イヤーだったと言えます。
原選手としては、学生時代から大いに期待され、巨人軍入団後は、新人王を獲得し、三年目に達成した3割30本塁打100打点は、青田・長嶋・王に次ぐ球団史上四人目の快挙で、第48代・巨人軍4番の座は1066試合に及び、川上・長嶋・王に次ぐ長きに亘りますが、特に勝負強かったというような印象は残っていません。野球人としては、むしろ監督になってからの方が評価が高いくらいではないかと思います。特に、お気に入りの選手ばかり集めて4番だらけの重量打線ながら峠を過ぎたベテランが多くてチームとしての実力を発揮できずに終わった晩年の長嶋さんの後に監督になっただけに、ベテランや中堅だけでなく若手も積極的に起用した適材適所の配置で打順を生かした野球スタイルは評価が高く、実際に九連覇以来のリーグ三連覇を達成しました。
原監督の評価を難しくしてきたのは、長嶋さん譲りの思いつき野球や、大袈裟なやや意味不明のところもある言動にも起因すると思われます。しかしジャイアンツ愛というキャッチフレーズに見られるように、ジャイアンツというチームを愛する気持ちひいては野球を愛する気持ちがびんびんに伝わって来て、選選手を乗せてしまうところがあるのは、リーダーとして重要な素養のように思います。こうした原監督のキャラクターを形作ったのは、長嶋さんの影響もさることながら、1986年のシーズン途中で広島・津田投手の直球をファールした際に左手首の有鉤骨を骨折し、「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わった」と後に告白したほど、後々まで古傷に悩まされ選手生命に影響を与えた経験と無縁ではないでしょう。
愛は地球をなかなか救えませんが、愛する者は救われる、人は愛に包まれて実力を遺憾なく発揮するようです。
4番というのは、中国では「死」を連想させる忌むべき数字で、マレーシアでも華人が経営するホテルやマンションでは4階と13階の表示がありません。上の写真では分かりませんが、エレベーターでも4階に代えて3Aと表示し、13階に代えて12Aと表示したりします。なお×印がついているのは、ドゥリアン持込み禁止の標識です。
原選手としては、学生時代から大いに期待され、巨人軍入団後は、新人王を獲得し、三年目に達成した3割30本塁打100打点は、青田・長嶋・王に次ぐ球団史上四人目の快挙で、第48代・巨人軍4番の座は1066試合に及び、川上・長嶋・王に次ぐ長きに亘りますが、特に勝負強かったというような印象は残っていません。野球人としては、むしろ監督になってからの方が評価が高いくらいではないかと思います。特に、お気に入りの選手ばかり集めて4番だらけの重量打線ながら峠を過ぎたベテランが多くてチームとしての実力を発揮できずに終わった晩年の長嶋さんの後に監督になっただけに、ベテランや中堅だけでなく若手も積極的に起用した適材適所の配置で打順を生かした野球スタイルは評価が高く、実際に九連覇以来のリーグ三連覇を達成しました。
原監督の評価を難しくしてきたのは、長嶋さん譲りの思いつき野球や、大袈裟なやや意味不明のところもある言動にも起因すると思われます。しかしジャイアンツ愛というキャッチフレーズに見られるように、ジャイアンツというチームを愛する気持ちひいては野球を愛する気持ちがびんびんに伝わって来て、選選手を乗せてしまうところがあるのは、リーダーとして重要な素養のように思います。こうした原監督のキャラクターを形作ったのは、長嶋さんの影響もさることながら、1986年のシーズン途中で広島・津田投手の直球をファールした際に左手首の有鉤骨を骨折し、「事実上、バッター原辰徳は、この骨折の時に終わった」と後に告白したほど、後々まで古傷に悩まされ選手生命に影響を与えた経験と無縁ではないでしょう。
愛は地球をなかなか救えませんが、愛する者は救われる、人は愛に包まれて実力を遺憾なく発揮するようです。
4番というのは、中国では「死」を連想させる忌むべき数字で、マレーシアでも華人が経営するホテルやマンションでは4階と13階の表示がありません。上の写真では分かりませんが、エレベーターでも4階に代えて3Aと表示し、13階に代えて12Aと表示したりします。なお×印がついているのは、ドゥリアン持込み禁止の標識です。