もう時事問題で憤慨するのはやめようと思いつつ、またしても憤慨せざるを得ない問題が起こりました。14日から来日する中国・習近平国家副主席と天皇陛下との会見は、通常は一ヶ月前までに外務省が宮内庁に要請すべきルールがあるにも関わらず、ルールを逸脱して政治決着したという報道です。中国側が会見を打診したのは先月26日だったため、外務省はいったん断ったのですが、中国側は、胡錦濤国家主席が1998年に副主席として来日した際、天皇陛下と面会したことを引き合いに出し、「習副主席訪日の成否がかかっている」として、なおも強く要望し、埒があかなかったため、小沢幹事長が鳩山首相に働きかけ、鳩山首相が(宮内庁長官の上司にあたる)官房長官に指示することにより、宮内庁に再考を促したのだそうです。中国のごり押しもさることながら、民主党の対応には、憤りを覚えます。
この一ヶ月ルールは、天皇陛下が前立腺ガンの手術をされた2004年以降、急な日程調整で多忙な生活に想定外の負担がかからないように、政府部内で徹底されてきたものだそうです。所詮は内規であり、一ヶ月というのも目安であって、健康上、問題ないと判断されれば例外は認められても良いという考え方も成り立ちますが、天皇陛下の立場を考えると、余程のことがない限り尊重されるべきルールだと思います。今回は余程のことがあったのか。
天皇陛下の国際親善は、政治的な重要性や判断を超えたところにあり、平等に外国と向き合うもの(宮内庁長官談話)という意味で、国家の外交とは一線を画します。それが、天皇陛下を日本国と日本国民統合の象徴と祭り上げてきた意味であり、中国でさえも天皇陛下に対しては慎重かつ友好的な姿勢を貫いている理由だと思います。勿論、論理ではなく現実の世界では、天皇陛下という立場の行為は政治と無縁ではあり得ませんが、タテマエとしてそれを奉じて運用してきたのであり、時の政権による政治利用そのものと言うより、政治利用の露骨な意図は、厳に慎まなければならないと言うべきです。
これに対して鳩山さんは、「諸外国と日本との関係を好転させるための話だから、政治利用という言葉は当たらない」と語ったそうですが、習近平国家副主席が胡錦濤国家主席の有力な後継候補と目されており、胡錦濤氏のときと同様の対応を求められていることが意味するところを知らないわけがありません。いわば直接的に天皇陛下を政治利用するものではないとは言え、中国に政治利用されるであろうことを知りつつ、その中国の意向に沿って動くことは、きわめて政治的であると言うべきで、自ら気づいていないとは言わせません。更にルールそのものに対しても、「ルールは知っていたが、数日切れば杓子定規で駄目だということが国際的な親善の意味で正しいのか」と批判したそうですが、そんな正論を堂々と吐く感性の鈍さには幻滅してしまいます。天皇陛下は、昭和天皇もそうだったように、総理大臣が希望することを無碍に断るようなことはないだろうという性格をちゃんと理解しているのか、鳩山さんは総理大臣の地位に酔っているのか、天皇陛下の心遣いに対する総理大臣の心遣いが感じられないのが、悲しくも腹立たしくもあります。天皇陛下は天皇陛下たらんと自制される一方で、天皇陛下を天皇陛下たらしめているのは、私たちの心でもあります。そうした微妙な関係の上に立っておられるのが日本における天皇陛下なのだと思います。
こうして、普天間基地移設問題のようにアメリカにからむ問題で決断が遅くてイライラさせる鳩山首相も、中国の問題になると、とたんに決断が早く高圧的に見える様は異様です。しかも、小沢さんは、この時期にこれ見よがしに、20年来の草の根交流と称し、国会議員143名を含む600名もの関係者を大挙引き連れて中国を訪問しました。ほとんど新人だと思われる国会議員が、まるでベルトコンベアに載せられているかのように一人ずつ緊張しながらも嬉々として胡錦濤国家主席とのツーショットにおさまる姿を見せつけられると、情けなくなりました。民主党の外交姿勢が馬脚を現しつつあると言えますが、政権政党として、大胆というべきか、お粗末と言うべきか。単純にアメリカ追従を勧めるつもりはありませんが、アメリカの目に、これらが親中反米振りと映らなければ、よほどアメリカは鈍いということになるような事態で、国益を損なうことになりはしないかと、ちょっと心配です。
上の写真はマレーシア・ランカウィ島にあるGaleria Perdana、マハティール元首相が首相在任中に入手した世界の著名人からの贈答品を展示している博物館です。首相という公職に伴うものだから、マレーシアの人々がアクセス出来るようにするべきだという信念から建てられたという、その心掛けが素晴らしい。この中には日本の天皇陛下からの贈答品もありました(何だったか忘れてしまいましたが)。
この一ヶ月ルールは、天皇陛下が前立腺ガンの手術をされた2004年以降、急な日程調整で多忙な生活に想定外の負担がかからないように、政府部内で徹底されてきたものだそうです。所詮は内規であり、一ヶ月というのも目安であって、健康上、問題ないと判断されれば例外は認められても良いという考え方も成り立ちますが、天皇陛下の立場を考えると、余程のことがない限り尊重されるべきルールだと思います。今回は余程のことがあったのか。
天皇陛下の国際親善は、政治的な重要性や判断を超えたところにあり、平等に外国と向き合うもの(宮内庁長官談話)という意味で、国家の外交とは一線を画します。それが、天皇陛下を日本国と日本国民統合の象徴と祭り上げてきた意味であり、中国でさえも天皇陛下に対しては慎重かつ友好的な姿勢を貫いている理由だと思います。勿論、論理ではなく現実の世界では、天皇陛下という立場の行為は政治と無縁ではあり得ませんが、タテマエとしてそれを奉じて運用してきたのであり、時の政権による政治利用そのものと言うより、政治利用の露骨な意図は、厳に慎まなければならないと言うべきです。
これに対して鳩山さんは、「諸外国と日本との関係を好転させるための話だから、政治利用という言葉は当たらない」と語ったそうですが、習近平国家副主席が胡錦濤国家主席の有力な後継候補と目されており、胡錦濤氏のときと同様の対応を求められていることが意味するところを知らないわけがありません。いわば直接的に天皇陛下を政治利用するものではないとは言え、中国に政治利用されるであろうことを知りつつ、その中国の意向に沿って動くことは、きわめて政治的であると言うべきで、自ら気づいていないとは言わせません。更にルールそのものに対しても、「ルールは知っていたが、数日切れば杓子定規で駄目だということが国際的な親善の意味で正しいのか」と批判したそうですが、そんな正論を堂々と吐く感性の鈍さには幻滅してしまいます。天皇陛下は、昭和天皇もそうだったように、総理大臣が希望することを無碍に断るようなことはないだろうという性格をちゃんと理解しているのか、鳩山さんは総理大臣の地位に酔っているのか、天皇陛下の心遣いに対する総理大臣の心遣いが感じられないのが、悲しくも腹立たしくもあります。天皇陛下は天皇陛下たらんと自制される一方で、天皇陛下を天皇陛下たらしめているのは、私たちの心でもあります。そうした微妙な関係の上に立っておられるのが日本における天皇陛下なのだと思います。
こうして、普天間基地移設問題のようにアメリカにからむ問題で決断が遅くてイライラさせる鳩山首相も、中国の問題になると、とたんに決断が早く高圧的に見える様は異様です。しかも、小沢さんは、この時期にこれ見よがしに、20年来の草の根交流と称し、国会議員143名を含む600名もの関係者を大挙引き連れて中国を訪問しました。ほとんど新人だと思われる国会議員が、まるでベルトコンベアに載せられているかのように一人ずつ緊張しながらも嬉々として胡錦濤国家主席とのツーショットにおさまる姿を見せつけられると、情けなくなりました。民主党の外交姿勢が馬脚を現しつつあると言えますが、政権政党として、大胆というべきか、お粗末と言うべきか。単純にアメリカ追従を勧めるつもりはありませんが、アメリカの目に、これらが親中反米振りと映らなければ、よほどアメリカは鈍いということになるような事態で、国益を損なうことになりはしないかと、ちょっと心配です。
上の写真はマレーシア・ランカウィ島にあるGaleria Perdana、マハティール元首相が首相在任中に入手した世界の著名人からの贈答品を展示している博物館です。首相という公職に伴うものだから、マレーシアの人々がアクセス出来るようにするべきだという信念から建てられたという、その心掛けが素晴らしい。この中には日本の天皇陛下からの贈答品もありました(何だったか忘れてしまいましたが)。