風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アメリカ的な(1)ダラスにて

2010-04-23 15:05:02 | 永遠の旅人
 先週末から出張でアメリカに来ています。
 アメリカ出張は久しぶりで、911同時多発テロが起こった時、出張でサンノゼに滞在して、翌日に帰国するはずが、空港閉鎖により滞在を二日間延期した、あの時以来で、実に8年半振りです。あの時のことは別のブログに書いたので、繰り返しません。
 あの当時は、ちょうどアメリカのとある事業を閉鎖するヤマ場を迎えていて、その後は、マレーシア・ペナンやオーストラリア・シドニーに滞在したように、アジア・大洋州地域をうろつくことになったのでした。従い、あの時以後のアメリカについては、外からしか眺めていなくて、折悪しく、ブッシュ前大統領の単独行動主義が全世界から非難を浴び、更に追い討ちをかけるように、金融危機に端を発する景気後退で、アメリカ的な行き過ぎた自由主義(経済)が、非難を浴びて、アメリカにとって分が悪い8年間であり、私自身にとっても、第二の故郷とも呼ぶべきアメリカの凋落ぶりに当惑し、あるいは世間の一方的な評価に切歯扼腕し、同時に内心忸怩たるものもあって、アメリカびいきを表立って喋ることができない、不思議な雰囲気に包まれた、屈折した8年間でした。
 さて、久しぶりのアメリカを訪ねて、あらためて、アメリカはアメリカだなあと感じ入りました。この感覚は、アメリカにいなければ生まれ得ないかも知れない。外から見れば実に身勝手千万、他国のことは眼中になく、常に自分が世界の中心にあり、世界は自分そのものとも思うほどの傲岸さに充ち満ちた存在です。しかし一歩中に踏み込むと、外の人が見るほどのことはなくて、ただ単に気が回らないだけ、世界の中の大いなる田舎モノと言った方がぴったりと来るような、大陸的大らかさに溢れた、スキだらけの存在なのです。
 とにかく広くて、何もかも大きい。遮るものがないから、空が広い。もちろん場所によるのですが、平地であれば、それこそ北海道のように、見渡す限りの地平線が広がります。隣の建物との間ですら、歩いて行くには大変だと思わせるほどの距離、あるいは車に轢かれそうになるから歩くのは邪魔だと思い留まらせるような、つまり車に遠慮したくなるほど道幅やカーブが大きく、車中心の構造になっています。食い物は、アメリカ人だって食いきれないほど、そして残り物をDoggy Bagと呼んで、犬に食わせるどころか、家族に食わせるために持ち帰るほどの量がどっさり出てくる。デザートはゆうに三人前はあります。料理もコーヒーも、相変わらず大味で不味いから、料理なら塩・コショウで、コーヒーならミルクと砂糖で、ファーストフードならコカコーラで、味を整えながらでなければ、とても食い切れないシロモノです。
 それでも、このアメリカ人のフランクさ、人懐っこさは、何でしょう。普段の日の昼間だというのに、空港を歩いていてスーツ姿をほとんど見かけないラフさ加減は、何でしょう。全てが機能的、経済合理的に出来ていて、日本的な情け容赦は微塵も見られませんので、諦めざるを得ない。
 マレーシア・ペナンで食べたスパゲッティは、アジア的なピリ辛風味が美味かったけれど、ダラスで食べたスパゲッティは、同じチリを多用してピリ辛なのに、アメリカ的で美味くない。これがアメリカなのだと、妙に納得してしまいます。
コメント (2)
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