風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

アルジェリア人質事件(前編)

2013-01-27 12:05:59 | 時事放談
 アルジェリア南東部イナメナスの天然ガス関連施設で起きたイスラム武装組織による人質事件は、少なくとも8ヶ国37名もの犠牲者を出す惨事となりました。テロとの戦いであれば欧米が標的なることが容易に想像されるわけですが、日本人犠牲者が最多の10人にも達したという不運・不幸は、経済の最前線を担う、ということは、相手国内の政情はどうであれ双方に利益をもたらす行為に従事されていたわけであり、とりわけ似たような(というと余りに彼我の差はありますが)海外事業に携わる身には、胸が痛むとともに、「何故」との思いに囚われます。この一連の報道に接して、余りにアフリカは遠いと感じます。日本の政府ですらもっている情報が少ないこともさることながら、私自身、テロとの戦いが地理的・歴史的な広がりをもっている現実を知って愕然としたからです。
 実際に、アフリカの国々の名前に触れたのは大阪万博が最初で、その前後に放映されていた「すばらしい世界旅行」では雄大な自然に感動し、また、同じ頃、アフリカに渡って貿易に携わっていた従兄から、いつも枕の下に拳銃を隠し持っていたとか、最後は命からがら故郷に逃げ帰ったとかいった冒険譚を聞かされてワクワクしたものですが、アフリカに対するイメージはその頃から余り進歩していないように思います。ところが1人当たりGDPで見ると、アルジェリアやリビアは(人口規模が違うとはいえ)中国並み(アルジェリア5,503ドル、リビア5,509ドルに対し、中国5,416ドル)、最も豊かな南アフリカに至っては8,000ドルを越えるといいますから恐れ入ります(IMF2011年)。入社以来、海外事業に携わってきたと言っても、私が関わった国はアルジェリアに比べればずっと安全な国や地域で、中近東を訪れたのは昨年のトルコが初めてであり、アフリカや中南米の地には足を踏み入れたことがありません。ただ、社内には、湾岸戦争の時にクウェートに軟禁された人が、すぐ背中合わせに座っていましたし、在ペルー日本大使公邸占拠事件で人質になった人もいましたので、やはり他人事とは思えません。
 そんな知らな過ぎるアフリカでも、またスーダン分割により最大面積の国となったアルジェリアでも、国には国の事情、日本だけでなく欧米ですらも、性急な制圧作戦を事前に知らされなかったような、厳しい情報統制が敷かれ、欧米の支援を容易に受け付けない、この国の歴史に根差す事情があるようです。アルジェリアには国営テレビしかなく、中東の衛星テレビ局アルジャジーラの支局開設も認められず、新聞による政権批判はおろか報道の自由もないと言われます。フランスとの独立闘争を経て、拷問などで悪名高い秘密情報機関DRSのトゥフィク長官を頂点とした軍部が、対欧米関係で民主的な顔としてブーテフリカ大統領を担ぎ上げ、裏の支配者として石油や天然ガス資源の権益や権力を握っている権力構造と、冷戦崩壊後の90年代から続く国内イスラム過激派勢力との激しい内戦が影を落としているようです(時事通信など)。
 私たちは「テロとの戦い」を消極的ながらも支持し、更には「アラブの春」をなんとなく歓迎して浮かれていましたが、そこには矛盾があることが見落とされていました。勿論、「アラブの春」後も政情が安定しない彼の地でイスラム過激派が勢いを増す懸念も、断片的には伝えられてはいましたが、全体像を描くまでには到底至っていませんでした。
 もともとリビアのカダフィ大佐は、オサマ・ビン・ラディンを「危険なテロリスト」として世界に先駆けて国際指名手配するなど、米国などに先駆けてアルカイダと「テロとの戦い」を行っていました。そのため9・11後、米国はリビアとの関係を修復し、アルジェリアを対テロ戦争の事実上の同盟国に格上げして、対テロ対策の支援や協力を行ってきました。そうした一方で、「アラブの春」は、エジプトやリビアの独裁体制を倒し民主化への道を開くものとして期待したわけですが、同時にそれは、ムバラク大統領やカダフィ大佐がそれまで何十年もの長きにわたって力で抑え込んできた反体制勢力を解放することでもありました。「アラブの春」の拡大によって、周辺諸国ではイスラム武装勢力を中心とした反政府勢力が燃え上がるのを警戒し、特にアルジェリアの現政権は、リビアのカダフィ政権に近く、西側諸国のリビア介入に反対していたこともあり、カダフィ政権を崩壊させた西側に対する不信感を強めたと言われます。さらにリビアでは、エジプトの時と違って、NATO軍が軍事介入し、欧米諸国やカタールなどの一部の国々がリビアの反カダフィ勢力を支援するために大量の武器をこの地域に流したり、カダフィ大佐自身がオイル・マネーを使って世界中から収拾した兵器を収めた武器庫がイスラム武装勢力に襲われて彼らの手に入ってしまったりして、北アフリカのイスラム系武装勢力の脅威、具体的には実戦能力が数年前に比べて格段に向上してしまったそうです。昨年9月のリビア・ベンガジの米領事館襲撃事件といい、今回のアルジェリア人質事件といい、政府の治安機関が警備を固めている拠点を、重武装した集団が堂々と襲撃してくるという大胆な攻撃が仕掛けられるようになったのは、そのためのようです(このあたりの論考は菅原出さん)。
 クリントン国務長官も、「人質事件を起こしたアルジェリアのテロリストが、リビアから武器を入手したことは間違いない。マリのAQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織)がリビアから武器を入手していることは間違いない」と公聴会で語っています。今回の一連の報道で、マリという国に言及されたのは、恥ずかしながら私には唐突に聞こえましたが、実は、今やマリはアルカイダ系テロリストの巣窟になっているようです。マリでは民主主義を進展させてきましたが、昨年3月に軍の下級将校が軍事クーデターをお越し、国が不安定化しました。その背景には、遊牧民トゥアレグ人の動きがあります。カダフィ政権崩壊後、リビアで傭兵として雇われていた遊牧民トゥアレグ人が大量の武器を持ち出してリビアを出国しマリに入り、マリのトゥアレグ人反政府勢力と合流して、マリ政府軍と交戦を始めました。この戦いで装備が不十分なことや政府の対応に不満を募らせた軍が、昨年3月に立ち上がったというわけです(クリントン長官)。今回の事件発生直後に武装勢力が出した犯行声明では、隣国マリへのフランスの軍事介入停止やアルジェリア政府に逮捕されている過激派メンバーらの釈放を求めていたように、アルジェリアの武装勢力はマリと連携しています。マリはアフガニスタン化しており、アメリカが軍事介入するとしたら、それはシリアではなくマリだと言うアメリカ政府関係者もいるようです(この点は田村耕太郎さんによる)。
 話が長くなりますが、ロイター通信は、イスラム教の「聖戦(ジハード)」関連ウェブサイトに出回っている1枚の写真・・・航空機がパリのエッフェル塔に突っ込む写真の脇にアラビア語で「9月11日」と赤字で書かれていることに注目し、北アフリカの武装勢力と国際武装組織アルカイダの中枢との関係は近年希薄化しているとみられていたが、今回の一連の出来事でその溝は埋められたと報じています。実は、911を遡ること7年の1994年、フランスが支援する当時の政府に反発していたアルジェリアのイスラム武装勢力が、エールフランス機をハイジャックしました。ハイジャック犯はマルセイユでフランスの特殊部隊によって鎮圧されましたが、エッフェル塔に突入させる計画があったとされ、9・11の伏線となる事件でした。その後、9・11に焦点が集まったり、ビンラディンが殺害されたりして、アルジェリアのイスラム武装勢力の活動は軽視されてきました。アルジェリアと欧米の情報機関は、AQIMの中心人物で、今回の人質事件を起こした武装集団のリーダーとされ、1980年代のアフガニスタン紛争で対ソ連との戦闘にも加わったベルモフタール氏の動きを長く追ってきましたが、結果的に同氏の意図を読み違えてしまったようです。そのベルモフタール氏は、昨年12月に武装組織「血盟団」を立ち上げたと宣言したそうですが、その名称は、エールフランス機ハイジャック事件の背後にいた組織「武装イスラム集団(GIA)」が元々使っていた名前と同じだそうです。世界のイスラム過激派組織は謎が多く、協力関係にも度々変化が生じるため、今回の人質事件の背後関係を知るのは難しいですが、少なくとも今言えることは、この人質事件は、パリの爆弾事件やハイジャック事件があった90年代と、米国主導でアルカイダ掃討作戦が行われた9.11後の時代を結びつけたということだと、ロイターは結んでいます。
 私たち日本人が信じてきた欧米的な近代民主主義の価値を奉じない体系が、隣の中国だけでなくイスラムにもある現実は、歴史の主体が相互作用を繰り返し変遷を重ねつつ、それでも一つの価値体系に収斂することのない多様性がこの世界には厳としてあること、また今の時代に様々な場所で起こる点のような事件が、実は底流では線あるいは流れとして繋がっている歴史のもつ重みのようなものを、感じさせます。
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