風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

大鵬さん逝去

2013-01-22 23:33:00 | スポーツ・芸能好き
 昭和の大横綱・大鵬(納谷幸喜)さんが亡くなられました。享年72。今の世の中にあっては早すぎる死です。
 大鵬と言えば、子供が好きなものとして、ONのいた巨人と並び称された流行語「巨人、大鵬、卵焼き」を生み、名横綱・柏戸とともに「柏鵬時代」を築いて大相撲人気を牽引した1960年代のヒーローです。「剛」の柏戸に対して「柔」の大鵬、ある力士によれば「鉄板にぶつかる」ようだった柏戸に対して「ゴムまりにぶつかる」ようだと形容された大鵬は、現役時代1メートル87、150キロの恵まれた体に、懐が深い上、身体が柔らかく、右、左どちらの四つでも取れる攻め手の豊富さで(などとまるで見て来たようなことを言いますが)、幕内で32回の優勝を重ねました。
 私が幼い頃、相撲好きの父と一緒に見るとはなしに見ていて、いつの間にか応援していたのは、同時代の相撲取りの中で、大鵬でも柏戸でもなく、実は先代・豊山だったらしいのですが、今となっては当時の記憶はありません。因みに豊山は、大鵬の三つ年上ながら遅れることほぼ2年でそれぞれ新入幕と大関昇進を果たし、「早い時期に横綱となり『“鵬豊時代”到来か』とも期待され」ましたが、「大事な一番になると硬くなって取りこぼすなど優勝に恵まれず、『豊山火山はいつ噴火するのか』等と言われ、遂に横綱昇進は果たせず未完の大器に終わり」、大鵬より3年早く引退しました。余談が続きますが、豊山は「大卒の力士として初めて大関に昇進し“インテリ大関”と評され」「体格に恵まれ、また当時の力士としてはかなりの男前で、アイドル力士の先駆けのような存在であり、女性人気も高かった」(いずれもWikipedia)あたりが、幼い私の目には優男(ヤサオトコ)ながらもカッコよく映っていたのでしょうか。なんだか不思議です。
 私の記憶にある相撲は、従い、次の10年(1970年代)を画した「輪湖時代」以降のことです。小学生の頃、趣味で始めた新聞のスクラップの中に、辛うじて大鵬の最後の優勝(32回目)記事が含まれていたことから、大鵬を見ていなかったわけではないのですが、なんだか大鵬の周辺ばかり見ていたようです。そして千代の富士(現・九重親方)をして優勝回数で1回及ばなかった「その1回が程遠い」と言わしめたように、常に記録として君臨し続けています。
 それではどんな記録があるのか、言い出せばキリがありませんが、そんな偉大な大鵬とは、小学生の頃、春場所を見に行ったとき、観客が少ない早い時間帯の大阪府立体育会館のトイレで、たまたまですが並んでオシッコをした仲です。とても他人には思えません。柏戸や豊山といった好敵手があってなおこの記録ですから価値があり、永遠に生き続けることでしょう。合掌。
コメント
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