風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

歴史戦争(Ⅴ・終)

2013-05-12 21:58:10 | 時事放談
 連休はとうに明けましたが、連休中の余興として書き溜めていたものを、とりあえず吐き出しておきたいと思います。
 前回は、この歴史認識の問題が、中・韓をはじめとする東アジアに特殊なものであるとともに、欧米諸国もその尻馬に乗ることについて、歴史的な経緯を辿り、現代においては、もはやこれが一種の心理戦であり宣伝戦であることに触れました。先日、韓国大統領がアメリカの国会で演説した背後にも、韓国人コミュニティあるいは端的にロビィストの存在が囁かれます。一体、中・韓は、何故ここまで歴史に拘るのか。中・韓からは、「主権・領土の相互尊重、相互不可侵、相互内政不干渉が記述されているのが特徴」(Wikipedia)の日中平和友好条約や、「日韓併合条約などの過去に朝鮮・大韓帝国との間で結んだ条約の全てを無効」にし「日本の援助に加えて、両国間の財産、請求権一切の完全かつ最終的な解決、それらに基づく関係正常化などの取り決めを行った」(いずれもWikipedia)とされる日韓基本条約が締結されているような「友好国」に対する発言とは信じられないほど、罵詈雑言の如き激烈で非礼な発言が飛び出します。かつてのサヨクのアジ演説を聴いているかのように・・・。
 先日、トポス会議なるものが開催され、ファン・ジン(黄靖)シンガポール大学リー・クアンユー公共政策大学院教授が、日本だけがまだ戦争が終わっていない・・・といったような指摘をされたそうです。どのような文脈でどのような含意があったのか詳細は不明ですが、日・中・韓を取り巻く環境を見ていると、なるほど言い得て妙と思いたくなります。また、冷戦終結の頃に、中国では改革開放が、韓国では民主化が始まり、国力が増進するとともに、冷戦構造というタガが外れた自由陣営内で民族感情が噴出したものと形容する人もいます。なるほどハンチントン教授の言う文明の衝突の位相の中に位置づけることが出来るかも知れません。
 ここで注目すべきは、東アジアの特殊性とも言うべき秩序の二面性(または二重構造)、すなわち、欧米諸国との間においては(さらにはグローバルには)相互に対等の独立した近代法治国家であるかのように振舞う近代的側面と、そうやって纏っている衣装を剥ぎ取った下に現れるのは、二千年来、北東・東南アジア内で変わることなく皮膚感覚として息づく、中国を頂点とする「華夷秩序」という古代的側面との二面性(または二重構造)です。前者については、中世を経て、啓蒙思想の末の革命や、資本主義の勃興の末の世界規模の戦争を経て、西欧諸国がリードしてきた近代の歴史そのものです。国際社会で共存する以上は守らなければならない秩序感覚で、中・韓は遅れて登場し、今なお発展途上にあるという負い目があります。後者については、例えば中国が三年前の尖閣問題で見せたレアアース禁輸や輸入手続き怠慢などのWTO違反や、官製デモと言われる反日暴動の許容など、法に従わない露骨な行動に繋がる秩序感覚であり、領有権を主張するときの論拠も、大陸棚延伸という、近代海洋法とは相容れない中国独自のロジックに過ぎません。世界第二の経済大国となった今も一人当たりGDPでは日本の十分の一に過ぎない発展途上国であり、軍拡を背景に海洋権益を主張する強面(こわもて)の内側では所得格差や汚職など統治上の問題を抱え、国の基盤は盤石とは程遠い、そのせいかどうか、歴史的に圧倒的な大国であり宗主国であった中国の意識は、ある時から一種のコンプレックスとして「日本はいつも中国を見下している」という被害者意識に囚われ、日中関係は「回復するもの」ではなく「逆転させるもの」、つまり日本を弟分として従えるものという意識が根強いと説明する人もいます。韓国の意識も、長男・中国のことは立てても、三男・日本には譲れないという、「事大主義」そのままです。こうした環境にあって、日本としては、中・韓との争いを、飽くまで自由と民主主義と法の支配という価値を奉じる近代民主主義国家として解決していくことを世界に向かって訴える、いわば宣伝戦で対抗して行くしかありません。同じ領有権問題を抱える東南アジア諸国とも連携するのがいいでしょう。
 こうした秩序感覚は、しかし日本をも縛ります。「日本だけが戦争が終わっていない」という、日本を巡る東アジア地域の特殊な事象の淵源には、日本内部の問題があります。言葉通りに、そもそも日本として先の戦争を総括できていないという足元の問題に行きつきます。これまでも、時の政権によって、戦後の日本の在り方を根本的に問う動きは、ないわけではありませんでした。
 例えば、中曽根さんが第71代内閣総理大臣に就任したのは1982年11月、終戦後37年、今から既に30年前のことでした。「戦後政治の総決算」と言って、折しもレーガン大統領や先日亡くなったサッチャー首相の新自由主義的な政策に呼応するような経済政策(規制緩和、「民間活力の活用」と称する国鉄など3公社の民営化など)を進めるとともに、レーガン大統領との会談で「日米両国は運命共同体」との認識を示し、ソ連の侵攻がある場合は日本列島を「浮沈空母」にし太平洋に通じる3海峡を封鎖するといった勇ましい発言をし、アメリカ主導による西側の軍事力強化を側面支援したほか、戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝するなど復古的な思想を実行に移したものでしたが、当時、子供心にも違和感を禁じ得ず、どうもまだ国民の側で機が熟さず、一代限りで徹底することはありませんでした。ほぼ20年の失われた時間を経て登場した第一次安倍内閣(2006年9月からの約一年)は、「美しい国づくり」と「戦後レジームからの脱却」をスローガンに、教育基本法改正や防衛庁の省昇格、国民投票法などを実現しましたが、不祥事が続出し、安倍総理の体調悪化とも相俟って、志半ばで挫折しました。第二次内閣はその仕上げを目指します。憲法改正問題はその最たるもので、大いに国民的な議論を行うべきでしょう。
 しかし、国内を纏めることには多大の困難が伴います。日・中・韓の国際環境の確執が、そのまま日本国内にも存在するからです。たとえば、宮沢談話や、河野談話や、村山談話は、中国に言わせれば、中国に対して直接謝ったわけではないと距離を置きますが、確かに中・韓との関係を根本的に改善するものではないにせよ、時の政府の(そしてそれに反対しない限りその後の政府の)認識と姿勢を示すものとして、中国からも注目されてきました。今また、第二次安倍内閣が、新たな認識を示すのではないかといったコップの中の争いを仕掛けるのか仕掛けないのかという状況を、既に中・韓は警戒しています。ことほど左様に国内問題は国際問題に直結し、中・韓との国際問題は、国内に今なお根強い進歩的知識人や同じ傾向のマスコミや市民運動家や、更には少数とは言え心理戦・宣伝戦に長けた在日の方々(これには外交官として駐在し、また研究者などで留学している方も含みます)と呼応し、国内に持ち込まれます。この問題の厄介なところは、数の多い少ないではなく、声の大きい小さいによって、何が大勢なのかが見えにくくなる点にあります。
 戦後68年にもなろうとして、今なお国内において日本が先の戦争を総括できていない事情は、鶏が先か卵が先か、いずれにしても東アジアという国外の特殊事情を反映しているわけです。だからこそ、東日本大震災における原発問題のように、保守・革新の争点となるような問題は、おしなべて総括できません。しかし、冷戦崩壊後、失われた20年で低迷する日本は、新たに新興国の台頭などの挑戦を受け、更に危機に瀕している難しい時代に、国としての在り様が問われています。そんな中、極東軍事裁判で、唯一、日本を擁護したインドのパール判事の言葉を、もう一度吟味する必要がありあます。「罪の意識を背負わされたままの民族に明日はない。」
 連休中、いろいろ調べてみると、犬猿の中だったドイツとフランスの間で、2006年、歴史学者たちが共同で執筆した歴史教科書が発行されたそうです。これだけ聞くと、どれほど歩み寄ったのかと、興味深いですが、実は1945年以降の歴史を扱うもので、第一次世界大戦をどちらの国が仕掛けたのかといったような歴史的な対立は棚上げにされました。また、歴史家たちは、お互いの歴史教科書の内容が偏っていないか、感情的になっていないかどうかを分析し、文部省や教科書出版社に対して、勧告を行ってきたと言いますが、結局、双方の歴史認識を見開きで併記する形で、最も妥協できる領域に絞りつつ、一つの歴史認識に到達したわけでもありませんでした。そうは言っても、その在り方は、東アジアにおいても大いに参考になるでしょう。
 すなわち、日本としては、先ずは日本自身が先の戦争を総括し、戦後の、ひいてはこれからの国の在り様の戦略を描かなければなりません。そして、明らかに外交カードにされてしまった歴史認識の問題を、無力化していく必要があります。東アジアという特殊な地域で、ドイツとフランスのように、国家の枠を超えた何らかの妥協や連携が可能になる日まで、そうした努力を続けつつ、飽くまで思想戦、心理戦、宣伝戦として粘り強く展開し続ける必要があるのでしょう。
コメント (2)
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