連休中、三菱一号館美術館で開催中の「クラーク・コレクション展」を、また損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の「オディロン・ルドン展」を見ました。
「クラーク・コレクション」は、シンガー・ミシンの共同創業者の孫であるロバート・スターリング・クラーク氏が、相続した莫大な遺産を元手に、パリのコメディ・フランセーズの女優だった妻フランシーヌさんとともに、欧米で収集したコレクションで、印象派を中心に500点を越えるそうです。この美術館は、ニューヨークやボストンから車で三時間、マサチューセッツ州の西の果て、州境にあるWilliamstownという小さな街にある・・・と聞いて、大いに心を動かされました。ボストンに駐在していた15年ほど前、車で2時間以上かけて、紅葉見物に訪れたことがあったからです。しかし美術館の存在には気が付きませんでした。インターネットが今ほど普及しておらず、カーナビなどという便利な機械もなく、地図を片手に、うろうろ迷いながら目的地を目指していた時代です。人影もない公園で、3歳の子供を遊ばせた長閑な写真が僅かに手元に残るだけです。
閑話休題。スターリング・クラーク氏がパリにわたったのは1910年、間もなくフランシーヌさんと出会い、16区に構えたアパルトマンを飾るため、絵画の収集を開始したのが1911年、と言いますから、ルノワールが亡くなる8年前、モネが亡くなる15年前で、主だった印象派の画家たちの一部はまだ存命の頃のことです。勿論、彼ら夫妻の審美眼によるものですが、今ほど注目されていなかったであろう幸運な時代に買い漁ることが出来た、30点以上に及ぶルノワールのコレクションの内の22点をはじめ、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ、ロートレック、ボナール等、61作品が、ここ三菱一号館美術館に展示されており、個人のコレクションとしての充実度には目を見張り、壮観ですらあります。
あらためて印象派絵画の明るく柔らかな色調は、見ていて心が和みます。多くの日本人に愛されてきた所以です。当時の大国・フランスの首都パリには恐らく多くの金と人が惹きつけられたことでしょう、互いに啓発し合いながら、やがて印象派という一大ムーブメントを起こします。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階と考えられていますが、印象派の発展には、いくつかの出来事が影響していそうです。一つは1827年に発明された写真で、かつての肖像画は正確に描かれるのが重要だったため、写真に置き換えられていくわけですが、印象派の肖像画は正確さよりイメージが優先されており、いわば広角レンズで撮影されたシャープでありながら平板な写真ではなく、望遠レンズを使って引き付けて撮影されたソフト・フォーカスのポートレート写真の如く、ピントを合わせたかのように狭い範囲が丁寧に描き込まれている(それ以外はぞんざいな描き方になっている)のが分かります。もう一つの出来事はジャポニズムとの出会い、すなわち1867年と78年にパリで開催された万国博覧会で広く紹介された日本画の空間表現や浮世絵の鮮やかな色彩感覚で、日本に残っている浮世絵の多くは、長らく注目されてこなかったせいか保存状態が悪く色褪せてしまっていますが、欧米で大切にされてきた浮世絵コレクションは今もなお色鮮やかなものが多く、当時の感動の一端を伝えます。
素朴で、光に溢れた柔らかな印象派に比べると、損保ジャパン東郷青児美術館のオディロン・ルドンは、幻想的で影が多く、刺々しいのが心を逆撫でます。面白いことに、ルノワール(1841~1919年)とオディロン・ルドン(1840~1916年)の生きた時代はぴったり重なるのですが、画風の対照的なことといったらありません。いい加減、気が重くなって、最後に損保ジャパン美術館が所蔵する自慢のゴッホ「ひまわり」とセザンヌ「りんごとナプキン」とゴーギャン「アリスカンの並木路、アルル」と東郷青児「望郷」が出迎えてくれて、ほっとしたのが正直なところでした。決して「ひまわり」も「りんごとナプキン」も「アリスカンの並木路、アルル」も「望郷」も、私の好みとは言えないのですが。
「クラーク・コレクション展」は今月26日まで、「オディロン・ルドン展」は来月23日まで開催されています。
上の写真は、三菱一号館美術館の中庭です。印象派の画家はどう見ただろうかと思うような、緑が萌える長閑な一日でした。
「クラーク・コレクション」は、シンガー・ミシンの共同創業者の孫であるロバート・スターリング・クラーク氏が、相続した莫大な遺産を元手に、パリのコメディ・フランセーズの女優だった妻フランシーヌさんとともに、欧米で収集したコレクションで、印象派を中心に500点を越えるそうです。この美術館は、ニューヨークやボストンから車で三時間、マサチューセッツ州の西の果て、州境にあるWilliamstownという小さな街にある・・・と聞いて、大いに心を動かされました。ボストンに駐在していた15年ほど前、車で2時間以上かけて、紅葉見物に訪れたことがあったからです。しかし美術館の存在には気が付きませんでした。インターネットが今ほど普及しておらず、カーナビなどという便利な機械もなく、地図を片手に、うろうろ迷いながら目的地を目指していた時代です。人影もない公園で、3歳の子供を遊ばせた長閑な写真が僅かに手元に残るだけです。
閑話休題。スターリング・クラーク氏がパリにわたったのは1910年、間もなくフランシーヌさんと出会い、16区に構えたアパルトマンを飾るため、絵画の収集を開始したのが1911年、と言いますから、ルノワールが亡くなる8年前、モネが亡くなる15年前で、主だった印象派の画家たちの一部はまだ存命の頃のことです。勿論、彼ら夫妻の審美眼によるものですが、今ほど注目されていなかったであろう幸運な時代に買い漁ることが出来た、30点以上に及ぶルノワールのコレクションの内の22点をはじめ、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ、ロートレック、ボナール等、61作品が、ここ三菱一号館美術館に展示されており、個人のコレクションとしての充実度には目を見張り、壮観ですらあります。
あらためて印象派絵画の明るく柔らかな色調は、見ていて心が和みます。多くの日本人に愛されてきた所以です。当時の大国・フランスの首都パリには恐らく多くの金と人が惹きつけられたことでしょう、互いに啓発し合いながら、やがて印象派という一大ムーブメントを起こします。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階と考えられていますが、印象派の発展には、いくつかの出来事が影響していそうです。一つは1827年に発明された写真で、かつての肖像画は正確に描かれるのが重要だったため、写真に置き換えられていくわけですが、印象派の肖像画は正確さよりイメージが優先されており、いわば広角レンズで撮影されたシャープでありながら平板な写真ではなく、望遠レンズを使って引き付けて撮影されたソフト・フォーカスのポートレート写真の如く、ピントを合わせたかのように狭い範囲が丁寧に描き込まれている(それ以外はぞんざいな描き方になっている)のが分かります。もう一つの出来事はジャポニズムとの出会い、すなわち1867年と78年にパリで開催された万国博覧会で広く紹介された日本画の空間表現や浮世絵の鮮やかな色彩感覚で、日本に残っている浮世絵の多くは、長らく注目されてこなかったせいか保存状態が悪く色褪せてしまっていますが、欧米で大切にされてきた浮世絵コレクションは今もなお色鮮やかなものが多く、当時の感動の一端を伝えます。
素朴で、光に溢れた柔らかな印象派に比べると、損保ジャパン東郷青児美術館のオディロン・ルドンは、幻想的で影が多く、刺々しいのが心を逆撫でます。面白いことに、ルノワール(1841~1919年)とオディロン・ルドン(1840~1916年)の生きた時代はぴったり重なるのですが、画風の対照的なことといったらありません。いい加減、気が重くなって、最後に損保ジャパン美術館が所蔵する自慢のゴッホ「ひまわり」とセザンヌ「りんごとナプキン」とゴーギャン「アリスカンの並木路、アルル」と東郷青児「望郷」が出迎えてくれて、ほっとしたのが正直なところでした。決して「ひまわり」も「りんごとナプキン」も「アリスカンの並木路、アルル」も「望郷」も、私の好みとは言えないのですが。
「クラーク・コレクション展」は今月26日まで、「オディロン・ルドン展」は来月23日まで開催されています。
上の写真は、三菱一号館美術館の中庭です。印象派の画家はどう見ただろうかと思うような、緑が萌える長閑な一日でした。