インドネシアに残留した最後の日本兵が亡くなったというニュースが流れました。小野盛さんという94歳の方で、終戦後もインドネシアに残留し、約1000人の元日本兵の仲間とともにオランダ独立戦争に参加し、独立後もインドネシアにとどまり、現地の女性と結婚して農業を営んでいたそうです。従軍された方にも、その多くは飢餓や疫病で亡くなったと言われるほど悲惨な戦争でしたが、戦闘で惜しくも命を失った方もあり、九死に一生ならぬ十死零生の特別攻撃で亡くなられた方もあり、勿論、生き恥を晒してと本人は戸惑いつつ生還された方もあり、いろいろな人生があるものだと思います。
ちょっと前の話になりますが、戦没者遺族や復員者の支援を行ってきた厚労省は、海軍の軍人約219万人、軍属約150万人分の人事記録「軍人履歴原表」を今なお保管しており、「祖父の軍歴を知りたい」という問い合わせが増えているという話が報じられました。終戦から時間が経つにつれて漸減傾向でしたが、昨年は前年度比3割増になったのだそうです。その背景には、「永遠の0(ゼロ)」や日本海軍などの軍艦を擬人化したゲームのヒットがあるとされました。
ついでに、遅ればせながら、百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」を今年の夏休みの課題図書の一つにして、読了しました。
かねてから、戦争の記憶は大事だけれども、その多くは戦争経験者の個別・具体的な「経験」や戦争観に過ぎず、銃後と戦場で、内地と外地で、前線と大本営で、また戦場によってもそれぞれ一様ではなく、決して一般化できるものではないし、その単なる寄せ集めが戦争の「歴史」に昇華出来るものでもない、私たちは戦争のもつ諸相を理解し、さらに日本人は伝統的に国内問題にばかり目を向けて来ましたが、国際関係の中に位置づけるなど、客観的な全体像を掴む努力をし、国民としての「戦争観」を醸成する必要があるのではないか、と思って来ました。日本人は先の戦争を、悲惨なものとして忌避するばかりで、きっちり「総括」したとは言えないと思うからです。
その意味で、本書は、主人公の祖父・宮部少尉の戦友に、宮部少尉の記憶を語らせながら、零戦の歴史とともに、それぞれの太平洋戦史を(史実に忠実に)辿らせる構成のもと、戦後に分かったことだが・・・といったエピソードも挿入しながら、個々人の戦争観を超えて、太平洋戦争そのものを総括する野心的な取り組みになっており、小説の技法を使えばこそ、個と総体がバランスよく織りなされているものだと感心させられました。戦争を総括するところでは、零戦の設計思想の違いや人命の扱い方についての日米の彼我の差を論じるものや、軍上層部の官僚主義や判断の過ちを、また戦争を煽ったマスコミを手厳しく批判するものなど、決して目新しいものとは言えませんが、これまでいろいろなところで論じられたものの穏当な集大成として読める安心感があります。文庫にして570頁を超える大著は、意外に字が大きくて、何より戦闘場面の臨場感にはつい惹きこまれ(仮にそれが実戦経験者がものしたもののリライトであったとしても)、一気に読み通せます。そして不覚にも何度も涙しました。
平和は尊いからこそ、当時の人たちに思いを致し、平和を真剣に見つめ直す涙が、一年に一度はあってよいのではないかと、真剣に思いました。
かつて大東亜戦争をテーマに短期集中して読書し、「65回目の夏」シリーズとして、ブログに書いたことがありました。その時に読んだ本の一つ「日本のいちばん長い夏」(半藤一利編)に、ある対談が収録されていて、大東亜戦争を論じるときに、時々、思い出されます。戦争の、なんとも言えないやり切れなさと、ある意味での気安さと、最後の最後に人間の人間たる所以を垣間見せて、希望を感じさせるところあり、ほかにもいろいろ感じるところもあって、再録します。
池部良「もともと兵隊には敵愾心なんかありませんものね。条件反射としてはありましょうけど。」
岡部冬彦「ありませんでしたね。」
村上兵衛「ただ眼の前で仲間がやられると、敵愾心が起こる、とある友人が言っていましたが。」
会田雄次「それは起こります。僕も経験しました。」
有馬頼義「空襲だってアメリカがやっている気がしない、天災みたいな気がしてね。」
扇谷正造「兵隊に敵愾心など、いつの戦争でもないのではないですかね。」
ちょっと前の話になりますが、戦没者遺族や復員者の支援を行ってきた厚労省は、海軍の軍人約219万人、軍属約150万人分の人事記録「軍人履歴原表」を今なお保管しており、「祖父の軍歴を知りたい」という問い合わせが増えているという話が報じられました。終戦から時間が経つにつれて漸減傾向でしたが、昨年は前年度比3割増になったのだそうです。その背景には、「永遠の0(ゼロ)」や日本海軍などの軍艦を擬人化したゲームのヒットがあるとされました。
ついでに、遅ればせながら、百田尚樹著「永遠の0(ゼロ)」を今年の夏休みの課題図書の一つにして、読了しました。
かねてから、戦争の記憶は大事だけれども、その多くは戦争経験者の個別・具体的な「経験」や戦争観に過ぎず、銃後と戦場で、内地と外地で、前線と大本営で、また戦場によってもそれぞれ一様ではなく、決して一般化できるものではないし、その単なる寄せ集めが戦争の「歴史」に昇華出来るものでもない、私たちは戦争のもつ諸相を理解し、さらに日本人は伝統的に国内問題にばかり目を向けて来ましたが、国際関係の中に位置づけるなど、客観的な全体像を掴む努力をし、国民としての「戦争観」を醸成する必要があるのではないか、と思って来ました。日本人は先の戦争を、悲惨なものとして忌避するばかりで、きっちり「総括」したとは言えないと思うからです。
その意味で、本書は、主人公の祖父・宮部少尉の戦友に、宮部少尉の記憶を語らせながら、零戦の歴史とともに、それぞれの太平洋戦史を(史実に忠実に)辿らせる構成のもと、戦後に分かったことだが・・・といったエピソードも挿入しながら、個々人の戦争観を超えて、太平洋戦争そのものを総括する野心的な取り組みになっており、小説の技法を使えばこそ、個と総体がバランスよく織りなされているものだと感心させられました。戦争を総括するところでは、零戦の設計思想の違いや人命の扱い方についての日米の彼我の差を論じるものや、軍上層部の官僚主義や判断の過ちを、また戦争を煽ったマスコミを手厳しく批判するものなど、決して目新しいものとは言えませんが、これまでいろいろなところで論じられたものの穏当な集大成として読める安心感があります。文庫にして570頁を超える大著は、意外に字が大きくて、何より戦闘場面の臨場感にはつい惹きこまれ(仮にそれが実戦経験者がものしたもののリライトであったとしても)、一気に読み通せます。そして不覚にも何度も涙しました。
平和は尊いからこそ、当時の人たちに思いを致し、平和を真剣に見つめ直す涙が、一年に一度はあってよいのではないかと、真剣に思いました。
かつて大東亜戦争をテーマに短期集中して読書し、「65回目の夏」シリーズとして、ブログに書いたことがありました。その時に読んだ本の一つ「日本のいちばん長い夏」(半藤一利編)に、ある対談が収録されていて、大東亜戦争を論じるときに、時々、思い出されます。戦争の、なんとも言えないやり切れなさと、ある意味での気安さと、最後の最後に人間の人間たる所以を垣間見せて、希望を感じさせるところあり、ほかにもいろいろ感じるところもあって、再録します。
池部良「もともと兵隊には敵愾心なんかありませんものね。条件反射としてはありましょうけど。」
岡部冬彦「ありませんでしたね。」
村上兵衛「ただ眼の前で仲間がやられると、敵愾心が起こる、とある友人が言っていましたが。」
会田雄次「それは起こります。僕も経験しました。」
有馬頼義「空襲だってアメリカがやっている気がしない、天災みたいな気がしてね。」
扇谷正造「兵隊に敵愾心など、いつの戦争でもないのではないですかね。」