南シナ海を巡る仲裁裁定では、裁判所が管轄権をめぐる争点でフィリピンの主張をほぼ全面的に認め(*)、「中国側の完全な敗北」(国際法学者)といった評価まで聞かれた。早速、中国政府も官製メディアも挙って裁定結果について「非合法だ」「受け入れられない」などと反発しているが、フィリピンのツイッターでは、英国のEU離脱を示す造語「Brexit」に倣って、「Chexit」が急速に拡散しているという。中国は南シナ海から出て行け、ということらしい。
(*)九段線内の権益をめぐる「歴史的権利」という中国の主張に対して、国連海洋法条約のみならず慣習国際法の観点からも、「歴史的、法的根拠はない」との裁定が下った。その結果、中国による、フィリピンのEEZ内での同国漁船への妨害や人工島造成は、フィリピンの主権を侵害していると認定され、中国による埋め立ては、サンゴ礁の生態系に恒久的かつ取り返しの付かない害を与えたとして、環境保護義務違反も認定された。また、中国が実効支配する各礁を含め、スプラトリー(中国名・南沙)諸島には「島」など存在せず、200カイリの排他的経済水域(EEZ)のない「岩」か、高潮時には水没して12カイリの領海すらも発生しない「低潮高地」に過ぎないのであって、中国はEEZを主張できず、また人工島付近を航行する米軍の作戦は正当化される。
それにしても画期的な裁定だった。中国はこれまで西欧の実証的歴史(または歴史的事実)や法秩序を無視し、中国4000年の華夷秩序のもとに、小国は大国に従うべしとのあからさまな圧力を加えつつ、海洋進出の暴挙を重ねて来た。その小国の一つであるフィリピンが、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所という虎の威を借りて敢然と立ち向かい、西欧のみならず国際社会の大多数を律する法秩序を後ろ盾に、中国に明確に“NO”を突き付けることに成功したのである。裁判所に執行力がないため、これを勝利と呼ぶには早計であるが、快挙であろう。
そもそも漢民族は海洋民族ではなく、砂漠の民であることを我々は知っている。実証的な歴史によっても、中国商人が南シナ海に進出するようになるのは13世紀、宋代の後半から元の時代にかけてのことであって、それまでは恒常的に南シナ海を航海していたわけではない。その後、15世紀初頭に鄭和が遠洋航海した事実以外は、その前にも後にも(すなわち明代にも清代にも)、船の建造を禁じるなど海禁政策が行なわれ、商人の自由な航海は途絶えてしまう。明代には、代わって倭寇が跋扈したし、清代には、経済的な混乱によって、中国人の東南アジア地域への大量移民が始まったほどだ。その間、フィリピンをはじめ東南アジア諸民族は、変わらず南シナ海を航海していた。
今後について、中国が“暴発”することへの懸念が強いが、中国がこの裁定を無視すれば、間違いなく国際社会から「国際ルールを嘲弄する無法者」(英紙フィナンシャル・タイムズ)と見られてしまう。その意味で、かつての大国・小国の争いだった「ニカラグア事件」が参考になるかも知れない。米レーガン政権は、「ニカラグアがソ連の米州進出や麻薬取引・テロリズムの拠点になっているとの理由でこれを米州全体の脅威とし、経済援助を停止して次第にニカラグアの反政府武装組織コントラを支援」(Wikipedia)するようになり、ニカラグアが後に国際司法裁判所に主張したところによれば、「アメリカはコントラの人員募集、武器供与、訓練など行い、ニカラグアを攻撃させてニカラグア市民に損害を与えたほか、中央情報局(CIA)の職員がニカラグアの港湾施設に機雷を敷設して第三国の船舶にまで損害を与えたり、空港や石油施設への攻撃、偵察飛行や領空侵犯を行った」(同)といい、ニカラグアはアメリカによるこれら一連の行動を「侵略」であると主張し、国連安保理に提訴しアメリカを非難する決議案を提出するに至った(1984年3月)。翌4月の安保理・理事会において、アメリカの拒否権行使によって否決され、その後も、アメリカの判決不遵守問題は国連総会でも審議され、判決の遵守を求める決議が4度も採択されたが、アメリカはそのいずれをも無視した。しかし、そうはいっても、長期的にはアメリカの外交政策に影響を与えたとされるものだ。中国にもメンツがあるので、裁判所の裁定に対して、はい、そうですか、と素直に従うわけがないが、国際社会で生きて行くためには、それ相応の対応が(中・長期的には)求められることだろう。
短期的には、インドネシアが、ナトゥナ諸島をめぐる争いから、フィリピンに続いて仲裁裁判所に提訴する可能性があり、さらにベトナムやマレーシアも追随する余地があると言われており、注目される。他方、中国は、日本の沖ノ鳥島が「岩」ではないかとの年来の主張をエスカレーションして嫌がらせするかも知れない。およそ大国らしからぬ抵抗であるが。さて。
(*)九段線内の権益をめぐる「歴史的権利」という中国の主張に対して、国連海洋法条約のみならず慣習国際法の観点からも、「歴史的、法的根拠はない」との裁定が下った。その結果、中国による、フィリピンのEEZ内での同国漁船への妨害や人工島造成は、フィリピンの主権を侵害していると認定され、中国による埋め立ては、サンゴ礁の生態系に恒久的かつ取り返しの付かない害を与えたとして、環境保護義務違反も認定された。また、中国が実効支配する各礁を含め、スプラトリー(中国名・南沙)諸島には「島」など存在せず、200カイリの排他的経済水域(EEZ)のない「岩」か、高潮時には水没して12カイリの領海すらも発生しない「低潮高地」に過ぎないのであって、中国はEEZを主張できず、また人工島付近を航行する米軍の作戦は正当化される。
それにしても画期的な裁定だった。中国はこれまで西欧の実証的歴史(または歴史的事実)や法秩序を無視し、中国4000年の華夷秩序のもとに、小国は大国に従うべしとのあからさまな圧力を加えつつ、海洋進出の暴挙を重ねて来た。その小国の一つであるフィリピンが、国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所という虎の威を借りて敢然と立ち向かい、西欧のみならず国際社会の大多数を律する法秩序を後ろ盾に、中国に明確に“NO”を突き付けることに成功したのである。裁判所に執行力がないため、これを勝利と呼ぶには早計であるが、快挙であろう。
そもそも漢民族は海洋民族ではなく、砂漠の民であることを我々は知っている。実証的な歴史によっても、中国商人が南シナ海に進出するようになるのは13世紀、宋代の後半から元の時代にかけてのことであって、それまでは恒常的に南シナ海を航海していたわけではない。その後、15世紀初頭に鄭和が遠洋航海した事実以外は、その前にも後にも(すなわち明代にも清代にも)、船の建造を禁じるなど海禁政策が行なわれ、商人の自由な航海は途絶えてしまう。明代には、代わって倭寇が跋扈したし、清代には、経済的な混乱によって、中国人の東南アジア地域への大量移民が始まったほどだ。その間、フィリピンをはじめ東南アジア諸民族は、変わらず南シナ海を航海していた。
今後について、中国が“暴発”することへの懸念が強いが、中国がこの裁定を無視すれば、間違いなく国際社会から「国際ルールを嘲弄する無法者」(英紙フィナンシャル・タイムズ)と見られてしまう。その意味で、かつての大国・小国の争いだった「ニカラグア事件」が参考になるかも知れない。米レーガン政権は、「ニカラグアがソ連の米州進出や麻薬取引・テロリズムの拠点になっているとの理由でこれを米州全体の脅威とし、経済援助を停止して次第にニカラグアの反政府武装組織コントラを支援」(Wikipedia)するようになり、ニカラグアが後に国際司法裁判所に主張したところによれば、「アメリカはコントラの人員募集、武器供与、訓練など行い、ニカラグアを攻撃させてニカラグア市民に損害を与えたほか、中央情報局(CIA)の職員がニカラグアの港湾施設に機雷を敷設して第三国の船舶にまで損害を与えたり、空港や石油施設への攻撃、偵察飛行や領空侵犯を行った」(同)といい、ニカラグアはアメリカによるこれら一連の行動を「侵略」であると主張し、国連安保理に提訴しアメリカを非難する決議案を提出するに至った(1984年3月)。翌4月の安保理・理事会において、アメリカの拒否権行使によって否決され、その後も、アメリカの判決不遵守問題は国連総会でも審議され、判決の遵守を求める決議が4度も採択されたが、アメリカはそのいずれをも無視した。しかし、そうはいっても、長期的にはアメリカの外交政策に影響を与えたとされるものだ。中国にもメンツがあるので、裁判所の裁定に対して、はい、そうですか、と素直に従うわけがないが、国際社会で生きて行くためには、それ相応の対応が(中・長期的には)求められることだろう。
短期的には、インドネシアが、ナトゥナ諸島をめぐる争いから、フィリピンに続いて仲裁裁判所に提訴する可能性があり、さらにベトナムやマレーシアも追随する余地があると言われており、注目される。他方、中国は、日本の沖ノ鳥島が「岩」ではないかとの年来の主張をエスカレーションして嫌がらせするかも知れない。およそ大国らしからぬ抵抗であるが。さて。