最近は、中国の挙動不審(!?)が連日のようにニュースになり、ほんの10年前と比べても隔世の感がある。日本にとっては要注意国(本音では懸念国)でありながら、外交的な配慮もあって、あるいは中国4000年の歴史に敬意を表する深層心理(そんな人が今どきいるとは思えないが、中国の宣伝工作に丸め込まれた人はわんさかいそうだ)が、あからさまに他人を非難する声をあげない国民性(そこが中国や韓国とは違う)とも相俟って、日本としては波風を立てないように付き合ってきたが、いつの間にか世界の方が先を行き、中国を警戒するようになった。この10年は、中国がその経済力をテコに世界をリーマンショックの金融危機から救ったと自負して、韜光養晦をかなぐり捨て、大国の振る舞いを隠さなくなった時期に重なる。中国は深謀遠慮の国だとこれ見よがしに主張する人が多い中で、エドワード・ルトワック氏だけが、中国は戦略的ではないと端的に言い放って憚らなかったのが、ずっと頭の片隅に引っかかっていたが、なんとなく分かるような気がする昨今である。
日本では、観光振興の掛け声のもと、中国人観光客が増えて、宿泊施設や小売店で苦労が多いという話は掃いて捨てるほど・・・というのは、なにも日本に限ったことではない。台湾に宿泊したホテルで、エレベーターが、遠く階上で何度もチーン、チーンと音がするのに、なかなか降りて来ないのにたまりかねた修学旅行引率の先生がフロントに尋ねると、曰く「中国のお客様がエレベーターに乗ると、定員オーバーになっても降りようとしないため、扉が閉まらず、何度も出かけて行ってはなだめすかし、罵声を浴びせられながら入り口付近のお客様に降りてもらう、この繰り返し」なのだそうだ。この程度であれば微笑ましいが、スウェーデンでは中国人観光客が騒ぎを起こし、外交問題にまで発展したらしい(http://www.sankei.com/world/news/181007/wor1810070001-n1.html)。
日本人だって、他人事ではなく、かつて小金持ちになって海外に繰り出すようになって、諸外国(主に先進国)の顰蹙を買ったことでは枚挙に暇がない。それでも、チビで出っ歯(というのがかつての通り相場だった)でカメラを提げた日本人というステレオタイプが冷笑されても、またシャンゼリゼ通りをGパン姿で闊歩してブランド品を買い漁る場違いに眉を顰められても、さすがに外交問題に発展したとは寡聞にして知らない。今回は、香港・銅鑼湾書店関係者の失踪事件(中にスウェーデン国籍者)や、中国当局が分離独立主義者と決めつけるダライ・ラマ14世のスウェーデン訪問など、かねて両国間に軋轢があり、人権問題で常に批判される側の中国が“意趣返し”をしたとみなされている。
その間、公共放送「スウェーデン放送」の、恐らく日本で言うところのバラエティー番組で、「文化的衝突を起こさないため」と称して、中国人旅行客への“助言”を特集したことがふるっている・・・曰く「われわれは歴史的建造物のそばで排便をしない」「犬を連れている人がいても、それは昼食として買ったわけではない」「スウェーデンは、すべての人々は同じ価値を持つという原則に従っている。これが最も大きな文化的相違だ」・・・公共放送で流すにはややキツいと反省したのか後に謝罪したが、「この謝罪は民衆に向けたものであり、中国政府に向けたものでは断じてない」と強調し、逆に中国政府が言論の自由を尊重していないことを批判したらしい。スウェーデンという国家の面目である。
ある空港で出国者向けに配付された小冊子には、「急がないで。旅は静かに」「公共施設の禁止区域に入らないで」「撮影禁止場所で(人や食べ物などを)撮影しないよう」「観光地での落書きと文化財毀損は禁止」などとエチケットが列挙されてあるのに続いて、「機内の毛布、ヘッドホン、トイレの歯ブラシや化粧品、ホテル客室のガウン、ヘアドライヤーなどを持ち去るのは“盗み”そのものです」「客室内でミニバーの飲み物を飲み、似たような色の飲料で補充したりしないで。チェックアウト時、費用を支払ってください」とあるらしい。中国の話ではない。二ヶ月前、韓国の金浦空港で、作成したのは韓国文化体育観光省と観光公社で、ハングル表記だというから、自国民向けだ。中国政府よりは冷静と見えるが、なんだか似たり寄ったりという気がしないでもない。
たかが旅のマナーとは言え、中国人や韓国人を貶めるというよりは、この差は何だろう?と、国レベル(あるいは統治機構)と民衆レベルを同列に扱うべきではないし、中国と韓国を十把一絡げにする愚は承知しつつ、不思議な気持ちになる。技術的には、かつて20年かかっていたものが、最近はほんの数年で移り変わり、キャッシュレス決済の領域では、既存インフラがないところほど新技術が席巻して、却って日本は後れていると言われる始末だ。しかし、人はそうそう変わらない。韓国ですら民主化したのはまだほんの30年前だから、と諦めるしかないのか、それぞれの国に後れて豊かになる人たちがいるだけの話なのか、あるいはある研究者は、現代中国は近代化の失敗ではなく、そもそも近代化をする気がないとまで断じて手厳しい。日本は「恥」の文化と言われて久しいが、「恥」を知らないと、こんなことをすると恥をかくという「自制の予感」が働かない、という。イスラム国のように、近代化できなかった国々は、古代回帰する、とまでいう(日本でも、相撲界やスポーツ界に前近代的慣行が見られるが、古代ではなくせいぜい中世か 笑)。そんなこんなで、北朝鮮・金正恩氏の交渉術を褒めそやす人が多くても、生き残りがかかっているときは真剣になるもので、その程度のことであって、果たして同じ土俵の上にいるのか信用できないでいる。久しく中国や南北朝鮮の話題ばかりに囲まれているようで、なんだか落ち着かない気にさせられて、それにかかずらわってばかりでは見失うものが多いように思う。
日本では、観光振興の掛け声のもと、中国人観光客が増えて、宿泊施設や小売店で苦労が多いという話は掃いて捨てるほど・・・というのは、なにも日本に限ったことではない。台湾に宿泊したホテルで、エレベーターが、遠く階上で何度もチーン、チーンと音がするのに、なかなか降りて来ないのにたまりかねた修学旅行引率の先生がフロントに尋ねると、曰く「中国のお客様がエレベーターに乗ると、定員オーバーになっても降りようとしないため、扉が閉まらず、何度も出かけて行ってはなだめすかし、罵声を浴びせられながら入り口付近のお客様に降りてもらう、この繰り返し」なのだそうだ。この程度であれば微笑ましいが、スウェーデンでは中国人観光客が騒ぎを起こし、外交問題にまで発展したらしい(http://www.sankei.com/world/news/181007/wor1810070001-n1.html)。
日本人だって、他人事ではなく、かつて小金持ちになって海外に繰り出すようになって、諸外国(主に先進国)の顰蹙を買ったことでは枚挙に暇がない。それでも、チビで出っ歯(というのがかつての通り相場だった)でカメラを提げた日本人というステレオタイプが冷笑されても、またシャンゼリゼ通りをGパン姿で闊歩してブランド品を買い漁る場違いに眉を顰められても、さすがに外交問題に発展したとは寡聞にして知らない。今回は、香港・銅鑼湾書店関係者の失踪事件(中にスウェーデン国籍者)や、中国当局が分離独立主義者と決めつけるダライ・ラマ14世のスウェーデン訪問など、かねて両国間に軋轢があり、人権問題で常に批判される側の中国が“意趣返し”をしたとみなされている。
その間、公共放送「スウェーデン放送」の、恐らく日本で言うところのバラエティー番組で、「文化的衝突を起こさないため」と称して、中国人旅行客への“助言”を特集したことがふるっている・・・曰く「われわれは歴史的建造物のそばで排便をしない」「犬を連れている人がいても、それは昼食として買ったわけではない」「スウェーデンは、すべての人々は同じ価値を持つという原則に従っている。これが最も大きな文化的相違だ」・・・公共放送で流すにはややキツいと反省したのか後に謝罪したが、「この謝罪は民衆に向けたものであり、中国政府に向けたものでは断じてない」と強調し、逆に中国政府が言論の自由を尊重していないことを批判したらしい。スウェーデンという国家の面目である。
ある空港で出国者向けに配付された小冊子には、「急がないで。旅は静かに」「公共施設の禁止区域に入らないで」「撮影禁止場所で(人や食べ物などを)撮影しないよう」「観光地での落書きと文化財毀損は禁止」などとエチケットが列挙されてあるのに続いて、「機内の毛布、ヘッドホン、トイレの歯ブラシや化粧品、ホテル客室のガウン、ヘアドライヤーなどを持ち去るのは“盗み”そのものです」「客室内でミニバーの飲み物を飲み、似たような色の飲料で補充したりしないで。チェックアウト時、費用を支払ってください」とあるらしい。中国の話ではない。二ヶ月前、韓国の金浦空港で、作成したのは韓国文化体育観光省と観光公社で、ハングル表記だというから、自国民向けだ。中国政府よりは冷静と見えるが、なんだか似たり寄ったりという気がしないでもない。
たかが旅のマナーとは言え、中国人や韓国人を貶めるというよりは、この差は何だろう?と、国レベル(あるいは統治機構)と民衆レベルを同列に扱うべきではないし、中国と韓国を十把一絡げにする愚は承知しつつ、不思議な気持ちになる。技術的には、かつて20年かかっていたものが、最近はほんの数年で移り変わり、キャッシュレス決済の領域では、既存インフラがないところほど新技術が席巻して、却って日本は後れていると言われる始末だ。しかし、人はそうそう変わらない。韓国ですら民主化したのはまだほんの30年前だから、と諦めるしかないのか、それぞれの国に後れて豊かになる人たちがいるだけの話なのか、あるいはある研究者は、現代中国は近代化の失敗ではなく、そもそも近代化をする気がないとまで断じて手厳しい。日本は「恥」の文化と言われて久しいが、「恥」を知らないと、こんなことをすると恥をかくという「自制の予感」が働かない、という。イスラム国のように、近代化できなかった国々は、古代回帰する、とまでいう(日本でも、相撲界やスポーツ界に前近代的慣行が見られるが、古代ではなくせいぜい中世か 笑)。そんなこんなで、北朝鮮・金正恩氏の交渉術を褒めそやす人が多くても、生き残りがかかっているときは真剣になるもので、その程度のことであって、果たして同じ土俵の上にいるのか信用できないでいる。久しく中国や南北朝鮮の話題ばかりに囲まれているようで、なんだか落ち着かない気にさせられて、それにかかずらわってばかりでは見失うものが多いように思う。