韓国で行われた国際観艦式での韓国政府の対応を見ていると、全く懲りることがない国だと、はたと考え込んでしまった。
11日に済州島で開かれた国際観艦式で、日本の“軍艦旗”である旭日旗(韓国では「戦犯旗」などと主張)を締め出すべく、国際慣行に反して、参加14カ国に対し海上パレード中は艦艇上に自国“国旗”と韓国“国旗”だけを掲げるよう通知していた問題で、日本は法令上の要請を曲げるわけにはいかない(元海将の香田洋二さんは礼を失することとも言う)と自衛艦の派遣を見送ったが、諸外国はどういう対応をしたのか調べてみたところ、10カ国から米原子力空母ロナルド・レーガンなど外国艦艇15隻を含む計39隻が参加した内、豪州、ブルネイ、カナダ、インド、ロシア、シンガポール、タイの各艦艇は、マストや艦尾に“軍艦旗”を掲げたといい、残る米国、インドネシア、ベトナムは、もともと国旗を軍艦旗として使っているから、何のことはない、皆、韓国の要請が届いていなかったか、無視したことになる。そして韓国自身は、文在寅大統領が乗艦する駆逐艦の左舷のメーンマストに、豊臣秀吉軍を撃破し抗日の象徴として英雄視される李氏朝鮮の李舜臣将軍が使ったものと同じデザインの旗(帥字旗、また帥子旗)を掲揚した(朝日新聞デジタル)というから、諸外国は気が付いたかどうか知らないが、何をかいわんや、であろう。
なお、この旗について、韓国では1871年の「辛未洋擾」を象徴する旗として記憶されるらしい(J-CASTニュース)。来航した米国船を撃沈したことへの報復として、米海軍江華島を襲撃され、守備軍を壊滅された事件で、その際に戦利品として持ち去られたのが、この帥字旗なのだそうだ。その後、韓国側は「米国にある最も代表的な韓国略奪文化財」として返還交渉し、2007年に長期貸与という形で136年ぶりに「里帰り」したという。こうした経緯を考えれば、日本だけでなく米国へのあてつけとも捉えられると同ニュースは言うが(米国は観艦式に参加したものの、市民団体のデモもあり、式典終了まで空母「ロナルド・レーガン」が入港できないトラブルに見舞われたらしい)、「未来の海洋強国への意志を表明したもの」という大統領府の見解もある(NHK)。
国際的に、軍事交流に政治問題が持ち込まれることは一般にはない。日韓の間ですら、政治の世界では、文在寅大統領が「2トラック」などと外交の大義を隠れ蓑に良いとこ取りするスケベ根性を隠すことはないが、軍人同士はそのようなご都合主義に流されることはなく、課された義務の重さをお互いに尊敬し合う、独特の超越した世界であると聞く。現に、日本との防衛協力に関しては、日本の質の高い監視・探知技術を迅速に共有できる韓国側にメリットが大きく、軍の現場は協力の重要性を十分に理解しており、国際観艦式と元慰安婦を支援する財団の解散問題をめぐり「なぜわざわざこの時期に」との声が韓国メディア関係者からも漏れたという(日経新聞)。今回の韓国の暴走は、世論を気にし過ぎてのことか、自己満足なのか、いずれにしても政治の横槍があったのだろう。韓国の問題は、前の(及び前々の)保守政権の要人を裁判で吊し上げているところにも見られるように、政治の絶対的な弱さにある。
実は以上は前置きで、このブログを書いているのは、ある事情があってジョージ・ケナン著「アメリカ外交50年」を久しぶりに引っ張り出して読み返していたら、100年ちょい前にアメリカがスペインとの戦争に勝ってフィリピンを領有したことに関して次の様な記述を見つけたからだ。
(前略)帝国主義者たちの最も強力な議論は(中略)時に偶然的必要と呼ばれるようなものであった。その議論というのは、我々がこれらの領土を取らなければ、誰か他の国が獲得するだろうし、それではもっと具合の悪いこととなるというのである。プエルト・リコ及びハワイの場合、この議論は実情に沿わないものと思われる。誰も別に干渉しようとする気配が実際存在していなかった。我々の安全に関する限り、プエルト・リコをスペインの手に残すか、キューバのように独立を与えるか、どちらにしても全く安心していられた。フィリピン(比)の場合、問題はもっと重大であった。ひとたび我々が比島のスペイン軍の撃破とマニラ征服を完了し、スペインの支配を粉砕した暁において、スペインにこれらの諸島を返還することはもはや問題とならなかった。その住民は、仮に他の国がそっとして置くチャンスがあったにしても――事実、そんなチャンスはなかったのだが――自治能力を殆ど持っていなかったことも、ほぼ明らかなことであった。我々が比島を領有しない場合、残された道は、その領有を巡って英独間に相克が行われ、結局は両国間にある種の暫定的取り決めと領土の分割が行われるということは十分あり得たことであったろう。遅かれ早かれ日本もまた比島支配の競争者となったであろう。このことが、南西太平洋におけるその後の事態の発展に鑑みて、不幸なことであったかどうか、私として言えない。このような仮定的な設問は、歴史家の力の及ぶところではないのである(後略・・・私の手元の本は1984年の第12刷で、1952年の初版そのままと思われる旧字体は適宜新字体に改めた)
日本が朝鮮半島を領有した事情そのままではないかと思った次第だ。自治能力を殆ど持っていなかった(仮に持っていたとしても、独立自尊とは行かず、近隣の大国に仕える所謂“事大主義”の)朝鮮王朝であった以上、仮定の話として、ケナンが言うようにフィリピンにおいては英・独(そして日)が、朝鮮半島においては中・露が、領有を求めて争うことになっていた可能性が高い(歴史は、日本が日清・日露の両戦争を経て中・露の野望を砕いたのだったが)。それが、その後の事態の発展に鑑みて、不幸なことであったかどうかは、道徳家に任せよう。アメリカの国益にとってのフィリピンと違って、日本の国益にとっての(喉元とは言わないが横っ腹に突き刺さる匕首のような)朝鮮半島は、安全保障上の所謂「距離」の点で、雲泥の差がある。いずれにしても、その後の歴史を知っている現代の我々が教訓として学ぶことは重要にしても、つべこべ価値判断を挟むのはお門違いで、当時の帝国主義の時代精神に照らして考えればそれほど無理な判断だったとは思えない。
もう一つ、秀吉の朝鮮出兵のことを、韓国はことさらに感情的に持ち出すが、秀吉の目的は飽くまで明(大明帝国)征伐であって、朝鮮半島はその通り道として、当時、明の冊封国だった李氏朝鮮の服属を求めていたに過ぎない、と言いたいところではある。
問題は、こうした歴史的事象を歴史として学ぶのではなく現代の道徳感情で裁くことの傲慢さと愚かさ、更にそれを政治利用することの浅ましさであろう。誰しも自分の生い立ちに自信を持ちたいのと同じように、自国の歴史に誇りをもちたい気持ちがあることは理解できるが、実のところ韓国の反日(植民地支配や従軍慰安婦問題)は、日本人が野蛮だったと言いたいのだろうが、それを野蛮と呼ぶならば実は西欧も同じ仕儀となり、結局、儒教圏の華夷秩序観のもとではあるいは理解されることがあっても、西欧の各国対等を原則とするウェストファリア体制では理解し辛い理屈となる(もっとも従軍慰安婦問題は現代的に女性の人権問題にすり替えているが)。こうした彼らにとっての負の歴史は拒否し、秀吉軍を(秀吉が亡くなって)撃退した正の歴史は誇示するダブルスタンダードは、自己中心的で幼稚な発想としか思えない。それを国内の行事で行う分にはまだしも、国際的な行事で強行するのは、端的に想像力の欠如を示すものであって、国家の信用に関わるのではないかと、他人事ながら気にしても、まあ詮無いことなのだが・・・。
11日に済州島で開かれた国際観艦式で、日本の“軍艦旗”である旭日旗(韓国では「戦犯旗」などと主張)を締め出すべく、国際慣行に反して、参加14カ国に対し海上パレード中は艦艇上に自国“国旗”と韓国“国旗”だけを掲げるよう通知していた問題で、日本は法令上の要請を曲げるわけにはいかない(元海将の香田洋二さんは礼を失することとも言う)と自衛艦の派遣を見送ったが、諸外国はどういう対応をしたのか調べてみたところ、10カ国から米原子力空母ロナルド・レーガンなど外国艦艇15隻を含む計39隻が参加した内、豪州、ブルネイ、カナダ、インド、ロシア、シンガポール、タイの各艦艇は、マストや艦尾に“軍艦旗”を掲げたといい、残る米国、インドネシア、ベトナムは、もともと国旗を軍艦旗として使っているから、何のことはない、皆、韓国の要請が届いていなかったか、無視したことになる。そして韓国自身は、文在寅大統領が乗艦する駆逐艦の左舷のメーンマストに、豊臣秀吉軍を撃破し抗日の象徴として英雄視される李氏朝鮮の李舜臣将軍が使ったものと同じデザインの旗(帥字旗、また帥子旗)を掲揚した(朝日新聞デジタル)というから、諸外国は気が付いたかどうか知らないが、何をかいわんや、であろう。
なお、この旗について、韓国では1871年の「辛未洋擾」を象徴する旗として記憶されるらしい(J-CASTニュース)。来航した米国船を撃沈したことへの報復として、米海軍江華島を襲撃され、守備軍を壊滅された事件で、その際に戦利品として持ち去られたのが、この帥字旗なのだそうだ。その後、韓国側は「米国にある最も代表的な韓国略奪文化財」として返還交渉し、2007年に長期貸与という形で136年ぶりに「里帰り」したという。こうした経緯を考えれば、日本だけでなく米国へのあてつけとも捉えられると同ニュースは言うが(米国は観艦式に参加したものの、市民団体のデモもあり、式典終了まで空母「ロナルド・レーガン」が入港できないトラブルに見舞われたらしい)、「未来の海洋強国への意志を表明したもの」という大統領府の見解もある(NHK)。
国際的に、軍事交流に政治問題が持ち込まれることは一般にはない。日韓の間ですら、政治の世界では、文在寅大統領が「2トラック」などと外交の大義を隠れ蓑に良いとこ取りするスケベ根性を隠すことはないが、軍人同士はそのようなご都合主義に流されることはなく、課された義務の重さをお互いに尊敬し合う、独特の超越した世界であると聞く。現に、日本との防衛協力に関しては、日本の質の高い監視・探知技術を迅速に共有できる韓国側にメリットが大きく、軍の現場は協力の重要性を十分に理解しており、国際観艦式と元慰安婦を支援する財団の解散問題をめぐり「なぜわざわざこの時期に」との声が韓国メディア関係者からも漏れたという(日経新聞)。今回の韓国の暴走は、世論を気にし過ぎてのことか、自己満足なのか、いずれにしても政治の横槍があったのだろう。韓国の問題は、前の(及び前々の)保守政権の要人を裁判で吊し上げているところにも見られるように、政治の絶対的な弱さにある。
実は以上は前置きで、このブログを書いているのは、ある事情があってジョージ・ケナン著「アメリカ外交50年」を久しぶりに引っ張り出して読み返していたら、100年ちょい前にアメリカがスペインとの戦争に勝ってフィリピンを領有したことに関して次の様な記述を見つけたからだ。
(前略)帝国主義者たちの最も強力な議論は(中略)時に偶然的必要と呼ばれるようなものであった。その議論というのは、我々がこれらの領土を取らなければ、誰か他の国が獲得するだろうし、それではもっと具合の悪いこととなるというのである。プエルト・リコ及びハワイの場合、この議論は実情に沿わないものと思われる。誰も別に干渉しようとする気配が実際存在していなかった。我々の安全に関する限り、プエルト・リコをスペインの手に残すか、キューバのように独立を与えるか、どちらにしても全く安心していられた。フィリピン(比)の場合、問題はもっと重大であった。ひとたび我々が比島のスペイン軍の撃破とマニラ征服を完了し、スペインの支配を粉砕した暁において、スペインにこれらの諸島を返還することはもはや問題とならなかった。その住民は、仮に他の国がそっとして置くチャンスがあったにしても――事実、そんなチャンスはなかったのだが――自治能力を殆ど持っていなかったことも、ほぼ明らかなことであった。我々が比島を領有しない場合、残された道は、その領有を巡って英独間に相克が行われ、結局は両国間にある種の暫定的取り決めと領土の分割が行われるということは十分あり得たことであったろう。遅かれ早かれ日本もまた比島支配の競争者となったであろう。このことが、南西太平洋におけるその後の事態の発展に鑑みて、不幸なことであったかどうか、私として言えない。このような仮定的な設問は、歴史家の力の及ぶところではないのである(後略・・・私の手元の本は1984年の第12刷で、1952年の初版そのままと思われる旧字体は適宜新字体に改めた)
日本が朝鮮半島を領有した事情そのままではないかと思った次第だ。自治能力を殆ど持っていなかった(仮に持っていたとしても、独立自尊とは行かず、近隣の大国に仕える所謂“事大主義”の)朝鮮王朝であった以上、仮定の話として、ケナンが言うようにフィリピンにおいては英・独(そして日)が、朝鮮半島においては中・露が、領有を求めて争うことになっていた可能性が高い(歴史は、日本が日清・日露の両戦争を経て中・露の野望を砕いたのだったが)。それが、その後の事態の発展に鑑みて、不幸なことであったかどうかは、道徳家に任せよう。アメリカの国益にとってのフィリピンと違って、日本の国益にとっての(喉元とは言わないが横っ腹に突き刺さる匕首のような)朝鮮半島は、安全保障上の所謂「距離」の点で、雲泥の差がある。いずれにしても、その後の歴史を知っている現代の我々が教訓として学ぶことは重要にしても、つべこべ価値判断を挟むのはお門違いで、当時の帝国主義の時代精神に照らして考えればそれほど無理な判断だったとは思えない。
もう一つ、秀吉の朝鮮出兵のことを、韓国はことさらに感情的に持ち出すが、秀吉の目的は飽くまで明(大明帝国)征伐であって、朝鮮半島はその通り道として、当時、明の冊封国だった李氏朝鮮の服属を求めていたに過ぎない、と言いたいところではある。
問題は、こうした歴史的事象を歴史として学ぶのではなく現代の道徳感情で裁くことの傲慢さと愚かさ、更にそれを政治利用することの浅ましさであろう。誰しも自分の生い立ちに自信を持ちたいのと同じように、自国の歴史に誇りをもちたい気持ちがあることは理解できるが、実のところ韓国の反日(植民地支配や従軍慰安婦問題)は、日本人が野蛮だったと言いたいのだろうが、それを野蛮と呼ぶならば実は西欧も同じ仕儀となり、結局、儒教圏の華夷秩序観のもとではあるいは理解されることがあっても、西欧の各国対等を原則とするウェストファリア体制では理解し辛い理屈となる(もっとも従軍慰安婦問題は現代的に女性の人権問題にすり替えているが)。こうした彼らにとっての負の歴史は拒否し、秀吉軍を(秀吉が亡くなって)撃退した正の歴史は誇示するダブルスタンダードは、自己中心的で幼稚な発想としか思えない。それを国内の行事で行う分にはまだしも、国際的な行事で強行するのは、端的に想像力の欠如を示すものであって、国家の信用に関わるのではないかと、他人事ながら気にしても、まあ詮無いことなのだが・・・。