風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

時代精神

2020-01-19 20:45:19 | 日々の生活
 学生時代、加瀬俊一という外交官の著作を何冊か読んで、外交官に憧れたことがある。振り返れば私が人生で希望した唯一の職業になるが、歴史叙述と自伝がごちゃまぜになったそれらの著作は、裏方として国家を背負い歴史を紡ぐ外交官の使命を華々しく印象付けて、学生を惑わせるに十分だったわけだ(笑)。その息子さんの英明さんが、あるエッセイで、明治女性の粋な美しさを讃えておられる。

(引用)
 先の戦時中、私は外務省の少壮幹部だった父を東京に残して、母と長野県に疎開したが、空襲下で、か津(注 父方の祖母)が父の面倒をみた。
 戦争が敗戦に終わって、9月2日に東京湾に浮ぶ敵戦艦ミズーリ号艦上で、降伏調印式が行われた。父は全権団の随員として、甲板を踏んだ。敵将マッカーサーが傲然と立つ前で、重光葵全権が万涙を呑んで調印するわきに立っているのが、42歳だった父だ。
 父はその前の晩に、か津に降伏調印に随行することを告げた。か津は父を正座させると、「私はあなたを恥しい降伏の使節として、育てたつもりはありません。行かないで下さい」と、凛としていった。
 父はこの手続きを経ないと、日本が立ち行かなくなると、恂々と説明した。しかし、か津は承知しなかった。「わたしは許しません」といって立つと、隣室へ行って父のために翌朝の下着や、服を整えはじめた。衾ごしに泣きじゃくる声が、低く高く聞えた。
 私は10月に父の借家に戻った。か津は私を正座させると、「英明さん、この仇はかならず討って下さい。約束して下さい」といった。私はいまでも、この教えを大切にしている。
(引用おわり)

 女性はもともと気丈なものだという願望のような思い込みがあって、感動を新たにするとともに、別のこと・・・明治の(あるいは戦前の)時代精神を思い、胸が熱くなった。先の戦争について、そもそも無謀だったとか、特攻精神だとか捕虜を恥とみなす時代がかった考え方だとか、現代の私たちが批判するのは容易いことだが、当時の人たち(とりわけ庶民)がどんな思いで戦っていたのかを垣間見ると、私には簡単に批判できなくなる。
 東洋の離れ小島の日本が、食うか食われるかの帝国主義の時代に開国させられ、そこに住まう素朴主義の日本人が、いきなり世界の荒波に放り出され、必死にもがいて生き残りを図った前史があってこその大東亜戦争だったとの思いを強くするからだ。それを、満州事変以降を「15年戦争」と恣意的に切り取り、侵略的だったと一方的に裁くことの愚かさ(やり過ぎたところがあったのは事実と思うが)。その反動から、戦後はすっかり骨抜きになって、脅威に対する認識が乏しく、危機に対する感度を鈍らせてしまったことの恥ずかしさ。それが平成・令和の時代精神だと割り切ってもよいものだろうか。
 戦後レジームが今なお続く現代に、それを覆すような言説が如何に危険かは、第二次安倍政権が発足後、間もなく、中・韓のみならず、アメリカからもその保守的性格を警戒されたことからも窺える。しかし、政治的主張はともかくとして、一般国民レベルでしっかりした歴史認識を持たないことには、これからの難しい時代を生き抜く自立的な国家構想を描くのは難しいのではないかと、自戒をこめて、ちょっと絶望的になってしまう。災害対応を見る限り、日本人の底力は信じているのだが・・・。
コメント
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