風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

健全なる精神は・・・

2011-01-19 02:19:20 | 日々の生活
 実は・・・と遠慮がちに書こうとしているのは、週末ジョギングを始めた、という話です。成人の日に、それこそ前回ジョギングをしたのはペナン・ブリッジ・インターナショナル・マラソンに向けた準備のために近所のジムに通った時のことなので、かれこれ5年ぶりのジョギングでした。三日坊主になりかねないので、偉そうなことは言えないのですが、身体は重くても、気持ちだけは走りたくてうずうずして、走り続けたくなるのをなんとか無理矢理思い留まらせたほどでしたが、やはり身体は素直に反応し、以後三日間は筋肉痛が抜けませんでした。情けない。二度目はこの日曜日に走って、ようやく筋肉痛にも慣れたところです。
 先日、ホメオスタシスに触れましたが、運動不足の身体が、バランスを求めて、動きたがっているのだろうと思います。などとカッコつけたところで、5年間も走らなかった説明がつきません。結局、ズボラだっただけですね。今回、ようやく重い腰をあげたのは、職場の同僚とチームを結成し、春に行われる、とある駅伝大会に出場することに決めたからです。情けない姿を人目に晒したくないというのが、原動力です。
 健全なる精神は健全なる身体に宿る・・・と言ったのは、古代ローマの風刺詩人であり弁護士でもあったデキムス・ユニウス・ユウェナリスでした。Wikipediaの日本語訳は以下の通りです。

強健な身体に健全な魂があるよう願うべきなのだ。(It is to be prayed that the mind be sound in a sound body)
勇敢な精神を求めよ。死の恐怖を乗り越え、
天命は自然の祝福の内にあると心得て、
いかなる苦しみをも耐え忍び、
立腹を知らず、何も渇望せず、
そして、ヘラクレスに課せられた12の野蛮な試練を、
サルダナパール王の贅沢や祝宴や財産より良いと思える精神を。
私は、あなたたちが自ら得られることを示そう。必ずや
善い行いによって平穏な人生への道が開けるということを。

 健全な精神を求めるならば、先ずは身体を鍛えて健全にすることだ、健全な身体にこそ健全な精神は宿る、というように、身体を鍛えることを推奨する、体育会系のお気楽イメージで捉えていましたが、Wikipediaによると、まさにこれは軍国主義を推し進める方便として使われ、今なお、世界各国の軍隊やスポーツ界において誤って根付いていると、手厳しい。ユウェナリスの真意は、幸福を得るために多くの人が神に祈るであろう様々な事柄(富・地位・才能・栄光・長寿・美貌)を一つ一つ取り挙げ、いずれも手に入りにくいし、手に入ったところで却って余計な心配が増えたり、身の破滅に繋がったりするだけで、良いことは何もなく、持ち主を幸福にするとは限らないのだと戒め、もし祈るとするならば「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」と、ローマ市民に対し、勇敢で、死をも恐れず、忍耐強く、誘惑にも負けない、高い精神性を求めたもの・・・なのだそうです。なかなか厳しい言葉だったんですね。
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