パリ五輪の熱戦を終えて帰国直後に開かれた会見で、今やりたいことは何かと聞かれた早田ひな選手は、「アンパンミュージアムに、ちょっとポーチを作りに行きたい」と、地元の福岡の施設を取り上げてほっこりさせたのに続けて、「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と、意外な場所を挙げたのが話題になった。
早速、好意的な反応がある一方で、早田選手がアカウントを開設したばかりの中国weiboには否定的なコメントが殺到し、人民日報系のスポーツチャイナや中国新聞社はSNSで、早田選手をフォローしていたパリ五輪の二人の中国人メダリストがフォローを外したことを伝えた。一種の(いかにも中国的な)ポピュリズム的な反応に、中国の言論空間の息苦しさをあらためて感じ、中国人メダリストを気の毒に思う。ついでながら、かの国では、石川佳純さんと張本智和選手がテレビ番組の企画でパリ五輪前に渋谷区の東郷神社を必勝祈願に訪れていたニュースまで掘り起こされ、物議を醸した。一種のゲーム感覚であろうが、党の方針に沿うとは言え、このような言論統制は、党にとって諸刃の剣で、時として行動を制約することになりかねない非生産的なことなのだが、懲りることはないようだ。
日本でもステレオタイプな反応が見られた。社会学者の古市憲寿氏は、「特攻があったから今の日本が幸せで平和だっていうのは違う」とした上で、〝悲劇的な話〟として終わらせずに、二度と特攻のようなものが起こらない社会づくりや平和について考える必要があると訴えたそうだ。早田ひなさんを批判する趣旨ではなく、「特攻隊の話題が出てくるたび、都合良くその歴史を美化する人を批判してるんです」と言い訳される通り、自らのイデオロギー的な主張を伝えたいだけで、話は噛み合っていない。これも、個人の趣味とは言え、別の意味で窮屈な言論空間と言えなくもない。
もっと素直に反応できないものか。知覧特攻平和会館の受け止め方を拾ってみよう。「早田選手の発言でより多くの皆様に当会館のことを知っていただく機会をいただき大変ありがたい」「特攻の史実を知っていただき」「生きていることのありがたさや、命の尊さ、平和のありがたさを感じていただければ幸い」。
知覧は私の生まれ故郷の隣町で、万世特攻平和祈念館に至っては地元の施設なのだが、三歳のときに上阪し、(本籍は残したまま)40年も離れたままで、両施設のことは心に思うばかりである。素直に、静かに、訪れたいと思う。
あの(玉音放送の)日も、蝉は喧しかったのだろうか。
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