先々週末はYouTubeで坂本龍一さんの音楽にどっぷり浸った。お陰で先週は、ふと気が付くと通勤途上だろうが仕事の合間だろうが、頭の中を『戦メリ』のメロディーが流れ続けた(苦笑)。さすがに今週は平常に戻って、ようやく筆を執る。
困ったもので、常日頃、ファンでも何でもないと気にすることはないのに、いざ亡くなったことを知ると無性に恋しくなる方がいる。高校生の頃、クラブ活動に明け暮れてインベーダーゲームなどやったことがなかった私に、「ピッ、ボッ、ブー」を取り込んだテクノ・ポップは、馴染みの音楽とは程遠い、異次元の世界だった。また、クラシックが苦手な私にとって、東京芸大・院卒というだけでビビッてしまう坂本龍一さんは、苦手意識が先に立って、どこか遠い存在だった。しかし、同時代を生きて来た者として、気になる存在であり続けた。
何はさて措いても『RYDEEN』である。
YMOを世に送り出した音楽プロデューサーの川添象郎さんが語る。
(引用はじめ)
村井邦彦から電話が来た。電話口の村井はなにやら困ったような声音で「細野に任せた例のアルバムが完成したんだけど、ちょっと聞いてくれないかな」と言う。
さっそく村井の事務所へ赴くと、「これなんだよ」と彼がかけたテープから聞こえてきたのは「ピッ、ボッ、ブー」といった調子の奇妙な電子音だった。
あとでわかったことだが、あれはYMOのファーストアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』に収録されたイントロダクションの電子音だったようだ。
細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏というたった3名のメンバーで録音されたこのアルバムは、コンピューターを駆使して創られた。
細野晴臣は、当時からミュージシャンのあいだでは名を知られていたものの、ヒットアーティストとは呼べず、なにやら面白いことをやっているらしいと一部の音楽専門誌が取り上げたこともあるが、反響は皆無だった。
誰も聞いたことのない、奇妙で前衛的な電子音から始まるインストゥルメンタルの音楽なのだから、放っておいても売れるはずがないことはわかっていた。
(引用おわり)
まさにその感覚を共有する。後に当事者たちが語ったところによれば・・・1970年代末の当時、東洋の不思議の国・日本がハイテク国家として世界に台頭しつつあり、ディスコ・ブームがあり、スターウォーズ公開があり、高橋幸宏さんには和風のディスコ・ミュージックが出来ないかとの思いがあったそうだ。モチーフはなんと黒澤明監督の映画だという。
「僕は『七人の侍』かな。あちらは全然イメージ違いますけどね。なんかこう勇ましい感じだったですよ。それと同時に、戦うというネガティヴな部分をむしろ排除して、なんか明るくて、桜吹雪がパーッと舞うような、ね」(高橋幸宏氏)。
『RYDEEN』は『七人の侍』のYMO版サントラとして作られたのだった。その証拠に、曲の半ばで馬の駆ける音が表現されているし、そもそも『RYDEEN』のリズム自体、馬が駆ける音だったようだ。当時のシンセサイザーは「タンス」と言われるほど巨大で、「それをより一層、大袈裟にステージで見せていた。彼らから見ると、当時、日本っていうのは電気製品の国ですから、アメリカは『電気製品のロックバンド』みたいなエキゾティックなイメージで見ていたのではないか」(細野晴臣氏)。
そんな遊び心は、当時まだ十代の私には理解不能だった。
「コンピュータに演奏させることがある程度できるようになり始めた頃、メンバーで、教授なんかとよく言っていたのは、結局、ソフトを作る人間のイメージが益々豊かでないと益々詰まらないものが出来てしまう。テクニックを磨かなくても簡単に音楽がつくれるけれども、感性の部分がよりストレートに出てしまうので、その部分が益々大切な音楽になるよねってよく話して。YMOはその部分をとても大切にしていたと思います。細野さんも、教授も」(高橋幸宏氏)。
「あれは作ったときの幸宏のとても開放された鼻歌感覚とか、それを面白おかしく皆で作って行ったときの楽しさというのが、やっぱり僕たちはそれを本当に楽しんで作ったということが、ヒットして行った。余りそういうことはないし、今もない」(細野晴臣氏)。
折しも、2月の日本経済新聞「私の履歴書」は村井邦彦氏の担当で、その24回目に、YMOがデビューした当時のエピソードが綴られている。「ニューヨークのテレビでは、僕が『西洋の技術で日本の心を表現している』とYMOの音楽を説明した。和魂洋才である。」
このあたりは、今となっては、なんとなく分かるような気がする。世に「天の時、地の利、人の和」などと言われるが、あの時代にして、ほんの5年ほどの出来事ではあったが、まだ洗練されたとは言えない混沌とした東京の地で、川添象郎氏が言う「天才・細野、奇才・坂本、商才・高橋。YMOはそういう個性の3人」が集まって、ほんの遊び心で作った音楽が世界を席巻した。奇跡と言うべきかもしれない。私にとってYMOの音楽は今もなお「奇妙な前衛的な電子音」でしかなく、異質な世界の出来事だと思っているが、決して嫌いではないし、面白いとすら思う。それは、どこかで「和魂」が通じ合うからかもしれない。
そして、『戦場のメリークリスマス』である。
教授こと坂本龍一さんは、同時多発テロ以降、非戦を語り、東日本大震災以降、脱原発を主張されてきた。政治的に、私は相容れないが、人間の欲が巻き起こす戦争など虚しいものだと言わんばかりの、『戦メリ』の哀しいメロディーは心に響く。
今から14年前、NTTドコモは第三世代携帯電話(FOMA)の新機種としてN-04Aを発売した。著名な家電デザイン企業amadanaを起用し、デザイン重視のこの携帯電話には(ヒューマン・オーディオ・スポンジの頭文字HASと、イエロー・マジック・オーケストラの頭文字YMOを組み合わせて命名された)HASYMOが協力し、着うたフルとしてHASYMOの3人による共作のインスト曲「グッド・モーニング、グッド・ナイト」がプリセットされた。さらに細野晴臣氏と高橋幸宏氏が手がけた着信音・メロディ・アラーム音が14曲(音)も入っている。細野晴臣氏による「セサミ」「ブルー・ヘヴン」「アテンション」「グッド・ニュース」「アラーミング」「リング・リング」「マーキュリー」「エアロ」「オープン・セサミ#1」「同#2」「クローズ・セサミ#1」「同#2」と、高橋幸宏氏による「ホープ」「ア・ヒント」である。私はほんの3年前までこの携帯電話を使い続け、今は、ネットワークに繋がらないが、目覚まし時計替わりにして、毎朝、「ホープ」で目を覚ます。私にとっては手放せない玩具である(上記写真参照)。
YMOは、そして坂本龍一さんは永遠に。
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