あっけない幕切れだった。
会見を開くことが報じられてからというもの、まさか・・・との嫌な予感が、14年前のほろ苦い記憶とともに、5%ほど(!)頭をもたげて、意識的に打ち消してきたが、だいたい私の予感は一人芝居でええ加減なものなので(笑)、いざ辞任が伝えられるや、やっぱり・・・と言うよりは、予想外の喪失感に呆然となった。
私自身、長らく海外の仕事に携わり、海外事情に関心を寄せて来ただけに、この7年8ヶ月の安倍政権は、バブル崩壊後の日本にしては珍しく国際的に存在感を増した誇らしい時期として記憶されるように思う。特に政権後半は、ジョン・アイケンベリー教授が3年前のフォーリン・アフェアーズ誌で、「リベラルな国際秩序を存続させるには、この秩序をいまも支持する世界の指導者と有権者たちが、その試みを強化する必要があり、その多くは、日本の安倍晋三とドイツのアンゲラ・メルケルという、リベラルな戦後秩序を支持する2人の指導者の肩にかかっている」と期待をこめて語ったような展開となった。教授はBREXIT決定とトランプ政権誕生によって国際秩序に不確実性が増すことを懸念されたからに他ならない。実のところメルケルさんは苦労され、コロナ禍対応で久しぶりに復権し、辛うじてEUのコロナ復興基金を纏め上げた。また、安倍さんも、米・中や米・露の対立に翻弄され、米・イランの仲裁もうまく行かなかったが、どの主要国のリーダーも超大国アメリカの大統領との距離感に苦しみ(なにしろ独裁者を好む大統領だから 笑)、大統領の奔放な意思決定に振り回される中で、安倍さんは懐に飛び込み、「人たらし」振りを遺憾なく発揮して(笑)、辛うじて日米関係の亀裂を防いだだけでなく、ビジネスライクな損得勘定とディールに流されがちなトランプ外交に、とりわけその東アジア外交において、政治家として本来持つべき安全保障の観念を植え付けて歯止めをかけたことは、特筆すべきことだった。その分、イージス・アショアは幸いにも中断されたがF35爆買いと揶揄されたような負の遺産もあるが、外交はイチ/ゼロの世界(相撲で言えば15戦全勝)はあり得ず、8勝7敗程度に持ち込めたことはこれ幸いと諦めるしかないと思う(もっとも政治は結果でもあって、自主防衛が遅れたことが後になって響くかも知れない、評価が難しい問題である)。
もう一つ、安倍さんが長期政権を維持する陰の努力として銘記されるのは、当初、「戦後レジーム」からの脱却を訴え、憲法改正を目標に掲げ、靖国神社に参拝するといった、如何にも本格的な保守政権として登場しながら、近隣国の反発に遭うだけでなく、オバマ政権からもdisappointされ、歴史認識においてRevisionistと警戒されるに至って、君子豹変し、理念としての保守を封印したことだと思う。この現実感覚は、志ある政治家としてはどうか、賛否両論あるに違いない。集団的自衛権行使の一部容認では、「一部」となったことに保守派から失望の声があがったし、改憲案では9条3項「加憲」になったことを物足りなく思う人がいるように、政策として中道寄りになった(働き方改革、女性活躍、移民政策、子育て支援など)。いずれも連立を組む平和の党・公明党のせいでもあるが、保守にこだわるばかりに禍根を残しあるいは頓挫するより、目標に向かって一歩でも前に進めることをよしとする(例えば一度でも改憲すれば抵抗感は薄れる、というように)、妥協の産物としての政治に徹したものと言えるように思う。結果として、ただでさえ多弱の野党の出番が封じられた。それだけに、野党の恨みは根深く、左派メディアの抵抗は日増しに強くなり、SNSに乗って拡散する誹謗中傷・罵詈雑言は凄まじく、安倍政権の寿命を縮めるストレッサーの一つになったように思われる。一体、長期政権の驕りや緩みといったものに、どこまで実体があったのか、全くなかったとは言わないが、多くは野党や左派メディアが作り出した幻影(いわゆる印象操作)だったように思う。
昨晩の辞任会見をYouTubeで見た。むくんだような表情は冴えず、滑舌はいつも以上に悪く、その声には腹の底から出るような重々しさがなく、痛々しく思っていたら、テレビ朝日の政治部記者も、「こんなに声が小さかった記憶はない」 「質疑応答になると、さらに声がか細くなり、悩みに悩んで、葛藤して辞任を決めたと絞り出すような発言が印象的」だと述べていた。在職7年8ヶ月は最長となったが、相手あってのこととは言え改憲や拉致問題や北方領土問題が道半ばでは、さぞ無念なことだろう。しかし、在職期間が長いだけに、野党との擦れ違いは積もりに積もって、もはや後戻りできないほどに大きく、信頼関係は棄損し、本来は国民の手に委ねるべき改憲論議は土俵に上がりそうにない。何より、未曾有のコロナ禍がダメ押しとなり、念願の東京オリパラも、改憲への世論の盛り上がりも、覚束ない。まさに刀折れ矢尽きて、断念されたのだろうと想像する。安倍さんご本人のことを思えば、ややcontroversialなこととは言え長年の功績に、感謝と労りの気持ちを捧げる気持ちになる一方、後継者に託された課題の重さと、それを担うことになる候補者の面々を思い浮かべると、甚だ心許なくなる思いを禁じ得ない。
会見を開くことが報じられてからというもの、まさか・・・との嫌な予感が、14年前のほろ苦い記憶とともに、5%ほど(!)頭をもたげて、意識的に打ち消してきたが、だいたい私の予感は一人芝居でええ加減なものなので(笑)、いざ辞任が伝えられるや、やっぱり・・・と言うよりは、予想外の喪失感に呆然となった。
私自身、長らく海外の仕事に携わり、海外事情に関心を寄せて来ただけに、この7年8ヶ月の安倍政権は、バブル崩壊後の日本にしては珍しく国際的に存在感を増した誇らしい時期として記憶されるように思う。特に政権後半は、ジョン・アイケンベリー教授が3年前のフォーリン・アフェアーズ誌で、「リベラルな国際秩序を存続させるには、この秩序をいまも支持する世界の指導者と有権者たちが、その試みを強化する必要があり、その多くは、日本の安倍晋三とドイツのアンゲラ・メルケルという、リベラルな戦後秩序を支持する2人の指導者の肩にかかっている」と期待をこめて語ったような展開となった。教授はBREXIT決定とトランプ政権誕生によって国際秩序に不確実性が増すことを懸念されたからに他ならない。実のところメルケルさんは苦労され、コロナ禍対応で久しぶりに復権し、辛うじてEUのコロナ復興基金を纏め上げた。また、安倍さんも、米・中や米・露の対立に翻弄され、米・イランの仲裁もうまく行かなかったが、どの主要国のリーダーも超大国アメリカの大統領との距離感に苦しみ(なにしろ独裁者を好む大統領だから 笑)、大統領の奔放な意思決定に振り回される中で、安倍さんは懐に飛び込み、「人たらし」振りを遺憾なく発揮して(笑)、辛うじて日米関係の亀裂を防いだだけでなく、ビジネスライクな損得勘定とディールに流されがちなトランプ外交に、とりわけその東アジア外交において、政治家として本来持つべき安全保障の観念を植え付けて歯止めをかけたことは、特筆すべきことだった。その分、イージス・アショアは幸いにも中断されたがF35爆買いと揶揄されたような負の遺産もあるが、外交はイチ/ゼロの世界(相撲で言えば15戦全勝)はあり得ず、8勝7敗程度に持ち込めたことはこれ幸いと諦めるしかないと思う(もっとも政治は結果でもあって、自主防衛が遅れたことが後になって響くかも知れない、評価が難しい問題である)。
もう一つ、安倍さんが長期政権を維持する陰の努力として銘記されるのは、当初、「戦後レジーム」からの脱却を訴え、憲法改正を目標に掲げ、靖国神社に参拝するといった、如何にも本格的な保守政権として登場しながら、近隣国の反発に遭うだけでなく、オバマ政権からもdisappointされ、歴史認識においてRevisionistと警戒されるに至って、君子豹変し、理念としての保守を封印したことだと思う。この現実感覚は、志ある政治家としてはどうか、賛否両論あるに違いない。集団的自衛権行使の一部容認では、「一部」となったことに保守派から失望の声があがったし、改憲案では9条3項「加憲」になったことを物足りなく思う人がいるように、政策として中道寄りになった(働き方改革、女性活躍、移民政策、子育て支援など)。いずれも連立を組む平和の党・公明党のせいでもあるが、保守にこだわるばかりに禍根を残しあるいは頓挫するより、目標に向かって一歩でも前に進めることをよしとする(例えば一度でも改憲すれば抵抗感は薄れる、というように)、妥協の産物としての政治に徹したものと言えるように思う。結果として、ただでさえ多弱の野党の出番が封じられた。それだけに、野党の恨みは根深く、左派メディアの抵抗は日増しに強くなり、SNSに乗って拡散する誹謗中傷・罵詈雑言は凄まじく、安倍政権の寿命を縮めるストレッサーの一つになったように思われる。一体、長期政権の驕りや緩みといったものに、どこまで実体があったのか、全くなかったとは言わないが、多くは野党や左派メディアが作り出した幻影(いわゆる印象操作)だったように思う。
昨晩の辞任会見をYouTubeで見た。むくんだような表情は冴えず、滑舌はいつも以上に悪く、その声には腹の底から出るような重々しさがなく、痛々しく思っていたら、テレビ朝日の政治部記者も、「こんなに声が小さかった記憶はない」 「質疑応答になると、さらに声がか細くなり、悩みに悩んで、葛藤して辞任を決めたと絞り出すような発言が印象的」だと述べていた。在職7年8ヶ月は最長となったが、相手あってのこととは言え改憲や拉致問題や北方領土問題が道半ばでは、さぞ無念なことだろう。しかし、在職期間が長いだけに、野党との擦れ違いは積もりに積もって、もはや後戻りできないほどに大きく、信頼関係は棄損し、本来は国民の手に委ねるべき改憲論議は土俵に上がりそうにない。何より、未曾有のコロナ禍がダメ押しとなり、念願の東京オリパラも、改憲への世論の盛り上がりも、覚束ない。まさに刀折れ矢尽きて、断念されたのだろうと想像する。安倍さんご本人のことを思えば、ややcontroversialなこととは言え長年の功績に、感謝と労りの気持ちを捧げる気持ちになる一方、後継者に託された課題の重さと、それを担うことになる候補者の面々を思い浮かべると、甚だ心許なくなる思いを禁じ得ない。
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