此度の衆議院議員選挙は、下馬評通り、「政治とカネ」の問題で与党に逆風が吹き、2009年以来15年振りに過半数を割る結果となった。自民党支持層や無党派層が自民党に入れるのを躊躇う(つまりお灸を据える)という自民党の一人負けだった。小選挙区では立憲民主が票を拾ったが、政党支持という観点から比例代表の得票数を2021年の前回衆院選と比べると、自民党は実に533万票減らして1458万票に、維新が295万票減らして510万票に落ち込み、これら800万票の受け皿となったのは国民民主とれいわと新参者(参政と日本保守)で、それぞれ358万票増の617万票、159万票増の380万票、そして新参者が301万票獲得と圧倒的だった。他方、立憲民主は7万票増の1156万票にとどまっている。
こうした状況は投票率からも裏付けられる。民主党が政権交代を実現した2009年には(小泉郵政解散67.51%を上回る)69.28%まで盛り上がったが、安倍政権下では50%台前半を低空飛行し、今回は前回55.93%を下回る53.85%と、戦後三番目に低調だった。野田佳彦氏は立憲民主代表に就任した時、「本来は自民支持だが(裏金事件に)失望した保守層の心をつかむことだ」と述べ、実際に小選挙区では政権批判票の受け皿になることに成功したが、前回の衆院選で日本共産党と(政権交代の暁には)「限定的な閣外からの協力」で合意した立憲民主という政党が期待されるはずもなく、投票率は盛り上がらなかったと言うべきだろう。
こうしてみると、民意は移ろい易いものだと思う。多くのメディアが「政治とカネの問題」ではなく「裏金問題」などとレッテルを貼り、立憲民主は「裏金隠し解散」だと攻撃して、政治不信が深まった。正確には政治資金の収支報告書不記載は透明性の問題であって裏金とは違うように思うが、見事に印象操作された。それにしても、そのような移ろい易い民意を自民党は汲み取ることなく、石破茂氏が言う通り自民党には「緩み」や「驕り」があった。投票直前に、非公認候補が代表を務める政党支部に2000万円が支給されたことが「しんぶん赤旗」にすっぱ抜かれると、野党から「また裏金か」とダメ押しのように批判され、石破氏は「法的には全く問題はない」と弁解したが、この期に及んで法律云々はない。もっと別の言い方があっただろう。1993年に政権交代が起こってから次の政権交代が起こった2009年まで16年、更に今年まで15年と、15年前後でタガが緩む、懲りない自民党である。
同時に、民意は実によく出来たもので、侮れないものだとも思う。与党に過半数を許さなかったが、政権交代までは求めなかった。石破氏は、安倍元首相が好んで使ったフレーズを引用して、「『悪夢のような民主党政権』と言うが、あのときほど野党で申し訳ないと思ったことはない」、「『あんな人たち』にこの国を任せるわけにはいかない」などと街頭演説で野党批判したのは、単に危機感のあらわれであって、印象操作の効果があったかどうか・・・。
国民民主の躍進が際立つが、所詮はどこかに入れなければならないときに消去法で残っただけという冷めた見方がある。その通りだろう。しかし国民民主は、自公と立憲民主との間で、キャスティング・ボートを握る立場に至った。玉木雄一郎代表は、自公連立政権への参画を否定し、部分連合の可能性に言及するが、連立参画だろうが部分連合だろうが、慶應の土居丈朗教授が言われるように「(連立政権で加わる政党が増えると)歳出増圧力が高まり、財政赤字が増えるとの先進国に関する経済学の先行研究がある」そうで、どの党も有権者の歓心を買うためにバラマキを公約するご時世に財政規律が緩むこと、決められない政治に陥りかねないこと、が気がかりだ。
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