風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

保守という感覚

2011-09-16 00:24:12 | 時事放談
 昨日の続きで、造反有理とは対極に位置するであろう保守主義について書きます。民主・自民両党による二大政党制はもはや機能しておらず、それに対する熱狂はとうに冷めてしまいました(そもそも二大政党を煽ったのは誰の仕業かと問いたいくらいですが)。保守主義について書くのは、私自身、政界再編により本格的な保守政党を待望するからです。
 文芸評論家の江藤淳さんが、15年ほど前に書いた「保守とはなにか」(文藝春秋)の中で、「保守主義とは、英語でConservatism――つまりイズムがついているものの、一言でいえば感覚だ」と説明しています。「更に言えばエスタブリッシュメント(既得権益をもっている人たち)の感覚」だと。「これからのし上がって、物事を変えてやろうという人、例えば全共闘あがりの政治家や役人とは違う、彼らはイズムで動く人たちだから」と。
 そして、J.F.クラークという歴史家から聞いた話を紹介されます。「1897年にイギリスのニューカッスル・アポン・タインの造船所でイギリス労働争議史上に特筆されるような大争議があり、この時、欧州大陸からドイツの社会主義インターナショナル系を中心とする革命オルグが続々とイギリスにやってきて、労働者をイデオロギーによって組織しようとしたところ、イギリスの労働者たちはこのイデオロギー信奉者たちを追い返してしまった」と言います。「俺たちは労働時間を短縮し、賃金を上げてもらいたいだけで、訳のわからない「主義」は必要ない」と。「この時の労働者の態度が現在も続くイギリス労働党の基本的性格を決めた」と言います。つまり「労働組合主義であり、労働者階級さえも保守の感覚を保持していたということ」です。
 江藤淳さんは、この話を聞いて、「イギリスという国は上から下までが、イデオロギーではなく保守的な感覚で動いているのだ」と、感じ入ります。「彼らは自分たちの生活様式を文字通り保守し、外からの干渉に対しては、それえが物理的なものであろうと思想的なものであろうと努めて排除する。靴の底みたいに硬いローストビーフを食べているとフランス人から馬鹿にされても、自分たちはこれが美味いのだからと一顧だにしない。何から何まで世界一になる必要はない、俺たちの流儀を守ってやっていければいいんだという保守感覚――これが連合王国としてのイギリスを支えてきた」というわけです。
 しかし、「時には保守するために大きな改革を行わなければならないこともある」とも述べておられます。「そこには論理の矛盾がある。保守主義の弱点かもしれない。しかし、保守とはイデオロギーではなく、一つの感覚だから、それはやむを得ない。人の世は全て留めておくことは出来ない、と知ること。そして変えるべき点は改めるを憚らない。これもまた保守的感覚の発現だろうかと思う」とも述べておられます。
 民主党がお手本とするイギリス議会制民主主義を支える政党のいずれもが保守の感覚に貫かれているという事実は、民主党にとっては皮肉なことではないでしょうか。以前、イギリス政治のもう一つの前提として、国家の最も優秀な人間が政治家を志す(日本では官僚を志す)ことに触れたことがありましたが、こうしたイギリス政治の基本的な成り立ちをわきまえず、ただイギリスを見本とする皮相的なことの愚かさに、民主党は気づくべきです。
 その結果、イギリスと日本とで何が違ってくるかと言うと、イギリスでは、二大政党のいずれが政権を執っても、外交や安全保障や年金や憲法問題など、国家的な問題にかかわる政策について共通の基盤があるために、国家の安全や国民生活が急激に変化するような混乱は起こらないと言われます。他方、日本では、沖縄普天間基地を巡って、日本の安全保障の基軸である日米関係がぎくしゃくし、東アジア共同体構想という夢物語を真剣に語ってアメリカの疑心を呼び、尖閣諸島問題に見られるように、日本の国境において安全保障が脅かされました。温室効果ガス削減や脱原発依存の急進的な動きによって社会に混乱を招いてもいます。とりわけ未曾有の円急騰に対する無策により(日本だけのせいでないのは事実ですが)産業界は音を上げる始末です。
 中西輝政京大教授は、進歩派と保守派の違いについて、次のように述べておられます(田母神俊雄氏との対談「日本国家再建論」日本文芸社)。進歩派を気取る「左派リベラル」は、他の思想を、人類にとって最も大切な「進歩」の邪魔だとして排除しようとする。「進歩」とか「平等」を求める余り、他の思想を全く認めようとせず、自らの思想に強く固執する様は「全体主義」そのものだ。これに対し保守派は、進歩派も含めて他の思想を排除しようとしない。特定の「理想」に引き摺られないから、現実を見極め、唯我独尊にならず、急いで進める必要もないことは鷹揚に構えている。これが本当の「リベラル」ではないか、と。そして、左派の問題は、その思想が非現実的だからではなく、特定の思想に引き摺られるために、とかく全体主義に陥り、結果的に国民の人権を蹂躙したり、学問の自由を奪ったりするこにあり、民主党という政党の奥深くに潜む体質としての全体主義を喝破されます。
 民主党政権の見た目の危なっかしさは、まさにこのあたりにあるのではないかと思います(一口に民主党と言っても、自民党と同様に、左から右までいろいろですが)。
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