フランス映画を代表する世紀の二枚目スター、アラン・ドロン氏が亡くなった。享年88。
今は映画と言えばハリウッドだが、かつてはアンニュイな雰囲気を醸し出すフランス映画も人気があった。中学生になって突然、洋画に目覚めた私は、なけなしの小遣いをはたいて「スクリーン」なる月刊誌を毎月購入し、憧れの銀幕の大スターのリラックスしたプライベート映像をうっとりと眺めては溜め息をついたものだ。あの年頃にとっては永遠のヒーロー、ヒロインだから、いざ訃報に接すると、それだけの時間が経過していることを忘れて、ぎゅっと胸が締め付けられるような喪失感を覚える。あの頃の感性が蘇り、そうさせるのだろう。
とりわけアラン・ドロンは(と、商標として、愛情を込めて呼び捨てにさせて頂く)ただの二枚目俳優ではない。透き通るようなブルーの瞳は、その決して幸せではなかった生い立ちの影を纏い、哀しみと危険な憂いをたたえて、男なのに色気があって美しいと思わせる唯一無二の男優だった。ルネ・クレマン監督の代表作「太陽がいっぱい」(1960年)では、殺害した金持ちの友人になりすまし、財産と女を手に入れる貧しい孤独な青年を好演した。イタリアの浜辺で太陽をいっぱいに浴びて完全犯罪に酔いしれて一息つくラストシーンは、ニーノ・ロータの甘美なメロディとともに、映画史上に残る名場面であろう。また、「地下室のメロディー」(1963年)ではジャン・ギャバンと、「ボルサリーノ」(70年)てはジャンポール・ベルモンドと、そして「さらば友よ」(1968年)では私の好きなチャールズ・ブロンソンと共演した。
私生活でも、危ない影が付き纏った。1968年、ボディーガードだった男性が他殺体で見つかり、フランス政界を巻き込むスキャンダルに発展した。今年2月には、彼の自宅から無許可で所持していた大量の銃が押収され、話題となった。晩年、同居していたヒロミという日本人女性を巡って、彼へのモラル・ハラスメントなどがあったとして“お家騒動”が勃発した。そして多くの女性と浮名を流したが、中でも1964年、私の大好きなパリジェンヌ、「個人教授」(1968年)のナタリー・バルテルミー (本名フランシーヌ・カノヴァ 、後のナタリー・ドロン、実際にはイタリア=スペイン系のフランス人で、仏領モロッコ出身)と結婚し、その後、破局を迎えた。二人は子供時代が不遇で似ており、強く惹かれあったと言われる。
映画館でリアルタイムで鑑賞したわけではなかったが、辛うじて、テレビの●曜ロードショーで見かけるほどには、すれ違った。私の人生で、洋画なるもの、フランス人なるものの深い印象を残してくれたことに感謝したい。合掌。
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