半年振りのアジア出張で、一年ぶりにシンガポールとマレーシアを訪れました。久しくブログにはご無沙汰しておりましたが、取り急ぎ、印象を記します。今回は、国の戦略性の話です。
シンガポールがマレーシアから独立したのは1965年のことでした。来年は50周年で盛大にお祝いされることでしょう。私たち日本人は、独立と言うと、国家や民族の悲願と思いがちですし、私自身も、マレーシアに駐在する9年前までは漠然とそう思っていました。しかし、国民に独立を伝えるテレビ演説で、当時のリー・クアンユー氏(開発独裁を象徴する伝説的な首相)は涙を流したと伝えられます。マレー人優遇政策を進めるマレーシアから、華人主体のシンガポールは体よく捨てられたのでした。シンガポールは、高低差が少ない狭い国土で、水資源にも乏しいため、マレーシアとしては、水と食料を握れば、容易にコントロール出来ると見たフシがあります。
確かに、その後も、私がマレーシアに滞在していた当時も、マレーシアは、水道料金を値上げするとか、水の供給を止めると言っては、シンガポールを困らせ(端的に、脅し)、ただでさえお隣同士で仲が悪い両者は言い争っていたものでした。因みに、以前、ブログに書いたことがありますが、東南アジアでは、お隣同士が仲が良くないのは当たり前で、日本が韓国や中国との仲を気にする必要は全くありません。余談ですが。
ところが、いろいろ話を聞いていると、シンガポールは、もはや下水処理や淡水化の技術で世界をリードする存在になっており、今なおコストが高くつくため、マレーシアから水を輸入しているようですが、有事の際には、マレーシアからの輸入が途絶しても、国家として自立してやっていけるだけの能力を備えるに至ったそうです。マレーシアから独立して49年、経済や科学技術では既にマレーシアを凌駕し、540万人という都市国家で、国のありようが全く異なるため単純比較は難しいですが、一人当たりGDPでは日本の上を行く5万1千ドル(IMFの2009年報告)と、イスラム国家としては優等生のマレーシア(1万4千ドル)の3.5倍で、ASEANでも独り勝ちの様相で、なかなかしぶとい。
安倍首相が5月末にシンガポールを訪問し、シャングリラ・ダイアローグ(会議自体の日程は5月30日~6月1日)において基調演説を行い、積極的平和主義を理念とする日本の安全保障政策について発信して好評を博したのは記憶に新しいですが、シンガポール人は、その時の安倍首相とリー・シェンロン首相(怪人リー・クアンユーの息子)との間の“Security Alliance”を好意的に受け止めていました。日本では殆ど報道されませんし、何のことだろうと外務省のウエブサイトを見ても、何か特別な取り決めがあったような記述は見当たりません。表向き、中国を刺激する発言を控えつつ、日本の報道では、アメリカ寄りのフィリピンやベトナムと、中国寄りのカンボジアやラオスなどとの間で、ニュートラルに位置づけられ、一種のバランサーのように振舞っているかに見えますが、イギリスの植民地だった親しさがあるでしょうし、Wikipediaを見ると、「冷戦を通じてアメリカ軍との関係も深ま」り、「1990年にはアメリカ軍によるシンガポール国内施設の使用に関する覚書を締結」し、「シンガポール軍の装備も、アメリカ製が多い」ようですし、「台湾との間で『星光計画』と呼ばれる協力関係が1975年以来続いて」おり(シンガポールの国土が狭いため、当時のリー・クアンユー首相と蒋経国総統の間で、シンガポール陸軍部隊の訓練を台湾国内で行うことなどを取り決めたもの)、「台湾と対立を続ける中国もシンガポール軍に海南島の訓練施設の提供を申し出たが、シンガポール側はこれに応じていない」し、「シンガポールとフィリピンが「台湾有事」の際に、台湾の防衛に協力するという「敦邦計画」が存在するとの報道もある」など、古くは東西貿易の中継地として、また最近は欧米企業のアジア地域統括本部として機能し、金融・観光サービスへの投資を呼び込むための自己認識は、なかなかしたたかでしっかりしているように見えます。
シンガポールを見ていると、国家規模が小さいだけに、繰り返しますが、都市国家と国のありようが異なり単純比較は難しいですが、戦略的とも言うべきものとして、日本が見習うことは多そうです。
上の写真は、この日のマーライオン。世界三大がっかりの一つですが、この日も盛況でした。
シンガポールがマレーシアから独立したのは1965年のことでした。来年は50周年で盛大にお祝いされることでしょう。私たち日本人は、独立と言うと、国家や民族の悲願と思いがちですし、私自身も、マレーシアに駐在する9年前までは漠然とそう思っていました。しかし、国民に独立を伝えるテレビ演説で、当時のリー・クアンユー氏(開発独裁を象徴する伝説的な首相)は涙を流したと伝えられます。マレー人優遇政策を進めるマレーシアから、華人主体のシンガポールは体よく捨てられたのでした。シンガポールは、高低差が少ない狭い国土で、水資源にも乏しいため、マレーシアとしては、水と食料を握れば、容易にコントロール出来ると見たフシがあります。
確かに、その後も、私がマレーシアに滞在していた当時も、マレーシアは、水道料金を値上げするとか、水の供給を止めると言っては、シンガポールを困らせ(端的に、脅し)、ただでさえお隣同士で仲が悪い両者は言い争っていたものでした。因みに、以前、ブログに書いたことがありますが、東南アジアでは、お隣同士が仲が良くないのは当たり前で、日本が韓国や中国との仲を気にする必要は全くありません。余談ですが。
ところが、いろいろ話を聞いていると、シンガポールは、もはや下水処理や淡水化の技術で世界をリードする存在になっており、今なおコストが高くつくため、マレーシアから水を輸入しているようですが、有事の際には、マレーシアからの輸入が途絶しても、国家として自立してやっていけるだけの能力を備えるに至ったそうです。マレーシアから独立して49年、経済や科学技術では既にマレーシアを凌駕し、540万人という都市国家で、国のありようが全く異なるため単純比較は難しいですが、一人当たりGDPでは日本の上を行く5万1千ドル(IMFの2009年報告)と、イスラム国家としては優等生のマレーシア(1万4千ドル)の3.5倍で、ASEANでも独り勝ちの様相で、なかなかしぶとい。
安倍首相が5月末にシンガポールを訪問し、シャングリラ・ダイアローグ(会議自体の日程は5月30日~6月1日)において基調演説を行い、積極的平和主義を理念とする日本の安全保障政策について発信して好評を博したのは記憶に新しいですが、シンガポール人は、その時の安倍首相とリー・シェンロン首相(怪人リー・クアンユーの息子)との間の“Security Alliance”を好意的に受け止めていました。日本では殆ど報道されませんし、何のことだろうと外務省のウエブサイトを見ても、何か特別な取り決めがあったような記述は見当たりません。表向き、中国を刺激する発言を控えつつ、日本の報道では、アメリカ寄りのフィリピンやベトナムと、中国寄りのカンボジアやラオスなどとの間で、ニュートラルに位置づけられ、一種のバランサーのように振舞っているかに見えますが、イギリスの植民地だった親しさがあるでしょうし、Wikipediaを見ると、「冷戦を通じてアメリカ軍との関係も深ま」り、「1990年にはアメリカ軍によるシンガポール国内施設の使用に関する覚書を締結」し、「シンガポール軍の装備も、アメリカ製が多い」ようですし、「台湾との間で『星光計画』と呼ばれる協力関係が1975年以来続いて」おり(シンガポールの国土が狭いため、当時のリー・クアンユー首相と蒋経国総統の間で、シンガポール陸軍部隊の訓練を台湾国内で行うことなどを取り決めたもの)、「台湾と対立を続ける中国もシンガポール軍に海南島の訓練施設の提供を申し出たが、シンガポール側はこれに応じていない」し、「シンガポールとフィリピンが「台湾有事」の際に、台湾の防衛に協力するという「敦邦計画」が存在するとの報道もある」など、古くは東西貿易の中継地として、また最近は欧米企業のアジア地域統括本部として機能し、金融・観光サービスへの投資を呼び込むための自己認識は、なかなかしたたかでしっかりしているように見えます。
シンガポールを見ていると、国家規模が小さいだけに、繰り返しますが、都市国家と国のありようが異なり単純比較は難しいですが、戦略的とも言うべきものとして、日本が見習うことは多そうです。
上の写真は、この日のマーライオン。世界三大がっかりの一つですが、この日も盛況でした。
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