風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

日本プロ野球最良の日

2013-05-05 21:17:13 | スポーツ・芸能好き
 5月5日の子供の日、東京ドームの巨人・広島戦に先立って、松井の引退セレモニーと、長嶋さんと松井の国民栄誉賞授与式が行われました。
 松井は、本当に真面目な性格で、僭越ながら、ええ奴やなあ・・・と言いたくなりますね。2002年の日本シリーズで西武を下し、日本一の栄冠に輝いたのも束の間、翌11月1日にFA権を行使してメジャーリーグへの挑戦を表明した時、「最後の最後まで悩んで苦しかった。何を言っても裏切り者と言われるかもしれないが、いつか『松井、行ってよかったな』と言われるよう頑張りたい。決断した以上は命を懸ける」と苦渋の決断を語りました。私たちは、球界の盟主・巨人軍の4番は日本プロ野球の4番、その地位や球界最高年棒5億円を擲ってまでも、ベースボールの本場アメリカへの挑戦を望む彼の思いを、暖かく見守りました。しかし、彼は、その当時の思いをずっと引き摺っていたようです。今日の会見でも、「ジャイアンツに、そしてファンの皆さまに、自らお別れを伝えなくてはいけなかった時、もう2度とここに戻ることを許されないと思っていました。しかし今日、東京ドームのグラウンドに立たせて頂いていることに、いま感激で胸が一杯」と、訥々と語りました。あらためて、彼のメジャーでの10年間、必ずしもベースボールの本場メジャーで野球できることの喜びに浸っているだけではなかった彼の業の深さを思い知りました。
 松井と言えば、必ずしも、イチローのようにメジャーで「記録」を残したわけではありませんし、何度も怪我に見舞われて不憫に思うことが多かったものでしたが、彼の打球の鋭さや勝負強さは、本場メジャーの選手やファンの度肝を抜いたことでしょうし、彼のチームプレーに徹する一途さは、チームメイトやファンを感動させたことと思います。そういう意味で「記憶」に残る選手だったことは間違いありません。ヤンキースというメジャー屈指の球団やニューヨークの地で彼が受け入れられたこと、言い換えると、松井のお陰で日本で独特に進化したプロ野球が本場のベースボールの世界でも認められたことを、私たちプロ野球ファンは名誉に思うべきであり、国民栄誉賞にも相応しいと、私は心から思います。
 しかし、今日、圧巻だったのは、「4番サード長嶋」のアナウンスで始まった始球式でした。涙なくして見ていられませんでしたね。バッター長嶋さん、ピッチャー松井、キャッチャー原さん、アンパイア安倍総理と、役者が揃ったこともさることながら、松井の投げた内角高目を、長嶋さんが振り抜いたところは、誰もが驚いたことでしょう。スポーツ報知は「誰もが『危ない!』と思ったその瞬間、長嶋さんは体勢を崩しながらも豪快なフルスイングを披露した」と報じましたが、危ないと言うよりも、始球式なのに当てに行ったのではないかと、はっとしました。キャッチャー原が、頭を抱えて大袈裟にのけ反って、おどけて見せたのはそういうことでしょう。バットを持った以上、打たなければならないという、長嶋さんの野球人としての本能と同時に、いつもあやうい天然ぶりを垣間見たようで、あらためて感動しました。蛇足ながら、安倍さんの背番号96は、憲法96条のことではなく、96代内閣総理大臣の意だそうです。半分、受けを狙ったのでしょうね。
 先に国民栄誉賞を授与されていた衣笠さんは、「長嶋さんはやっと来たかという感じで、我々からすると、いつ貰われてもおかしくない方。松井君は恐縮していたけれど『野球界でもう一度頑張れよ』というエールを送るような賞だったんじゃないかなと思っている」と語りました。まさに私たち野球ファンの声を代弁しています。

追伸(5月6日):
 その後もニュースで見るたびに涙ぐんで、曇った心が浄化されたようです(苦笑)。長嶋さんは、脳梗塞の後遺症で右手が不自由なために、左手一本で振り抜けるよう、600グラムのバットを用意したそうですね。後のインタビューで、長嶋さんは打とうとされたのではないかという質問に、松井は、(長嶋さんの)「殺気を感じた」と、笑わせてくれました。ストライプのシャツに、紺地に白の水玉ネクタイという、二人お揃いの紺のスーツは、松井が長嶋さんに提案し、長嶋さんが選んで買ってくれたものだそうです。国民栄誉賞授与式で、表彰状や金のバットを贈られたとき、常に“右手”役として長嶋さんを支え、インタビューでは、長嶋さんを人生の師匠と呼び、スーツを一生大事にする、などと、最後まで、長嶋さんをたてる気遣いを見せた松井が印象的でした。
コメント
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