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想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

人間力こそ、AI時代を生き抜く最強の武器――熟練の知恵が切り拓く未来のリーダーシップ

2025年04月16日 | エッセイ

 AI技術は今、かつてない飛躍を遂げています。なかでも生成AIの進化は目覚ましく、まるで自ら思考しているかのような振る舞いすら見せ始めました。かつてのIT時代が情報を集めて処理する「情報技術」に過ぎなかったのに対し、現代のAIは論理的な推論を深め、人間の働き方や社会構造そのものに大きな変革をもたらそうとしています。

 一見便利で未来的なこの技術革新の中で、私たち人間はどのように生き、どのように価値を生み出していくべきなのでしょうか。

 私は、これからの時代に最も必要とされるのは、「多様な視点で物事を捉える力」、そして「総合的に考える力」だと考えています。ただAIのように論理的に思考するだけではなく、人間ならではのパッション(情熱)、感性、直感力を大切にし、それらを融合させて新たな価値を生み出す“プロデュース力”が求められるのです。

 特に注目すべきは、芸術の持つ力です。芸術は論理の枠を超え、人間の心に直接訴えかけてきます。それは、単なる「美しいもの」ではなく、人間が人間たる所以である“感情”や“創造性”をかたちにしたもの。AIにはない、人間独自の表現力なのです。

 AIがいくら高性能化しても、それを使いこなすのは人間です。だからこそ、AIの力を引き出す鍵は、私たち人間の「人生経験」にあると言えるでしょう。

 ここで私は、年齢を重ねた人々――すなわち高齢者こそが、AI時代の新しいリーダーになり得ると確信しています。確かに、加齢に伴い身体的な衰えは避けられないかもしれません。しかし、長い人生を通して培ってきた知恵、経験、そして揺るぎない精神力は、むしろ今の時代にこそ必要とされているのではないでしょうか。

 AIにはまだ完全には理解できない「感情」や「倫理」、そして「人間関係の機微」といった領域において、高齢者は圧倒的な優位性を持っています。それこそが、AIと共に生きる時代における“人間力”の真髄だと私は思うのです。

 だからこそ、私たちは今、感じる力、結びつける力(コネクトする力)、そして全体を見渡して導くプロデュース力を磨く必要があります。これらはAIには持ち得ない、人間だけが持つ「総合力」です。

 AI時代とは、決してAIだけの時代ではありません。人間がAIを使いこなし、ともに新しい価値を創っていく時代です。そして、その鍵を握るのは、豊かな経験を持つ私たち人間自身です。

 恐れず、立ち止まらず、人間らしさを信じて進んでいくことで、私たちはAIでは到達できない未来を切り拓いていける――私はそう確信しています。

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草しか食べない馬や牛があんなに立派な体になるのはなぜ?東洋医学が語る驚異の生命力

2025年04月14日 | エッセイ

 皆さん、常々不思議に思っていませんか? 青々とした草を食む馬や、ゆったりと牧草を咀嚼する牛たちが、なぜあんなにも逞しい体躯をしているのか。肉食動物のように、直接的なタンパク質源を摂取しているわけではないのに……。

 私も長年、この疑問に囚われていました。栄養学的に考えれば、植物性タンパク質だけでは、あのような強靭な筋肉や骨格を維持するのは難しいはず。しかし、目の前にいる彼らは、その常識をやすやすと覆しているのです。

 そんな折、ふと思ったのです。もしかしたら、この謎を解く鍵は、現代の栄養学や西洋医学だけではなく、もっと根源的な生命の知恵、つまり東洋医学や古代哲学の中に隠されているのではないかと。

西洋医学だけでは見えない生命の営み

 現代医学は、生体の仕組みを分子レベルで解明しようと日夜研究を重ねています。もちろん、その成果は目覚ましいものがありますが、どうしても部分的な理解に留まっている側面もあるのではないでしょうか。

 例えば、タンパク質の摂取と合成というメカニズムは解明されていますが、「なぜ草食動物は植物から効率的にタンパク質を作り出せるのか」「動物の体は、摂取したものをどのように必要な形へと変換しているのか」という根源的な問いに対して、まだ全容が明らかになっているとは言えません。

 まるで、複雑な機械の個々の部品の機能は理解できても、それが全体としてどのように有機的に連携し、驚くべきパフォーマンスを発揮するのか、その全体像が掴めていないような感覚です。 

東洋医学が示唆する生命の全体観

 一方、東洋医学は何千年も前から、生命を部分ではなく、全体として捉える視点を持ってきました。気、血、水といった概念は、単なる物質的な要素だけでなく、生命エネルギーの流れやバランス、そしてそれらが相互に影響し合う様を表しています。

 草食動物の驚異的な生命力も、単に栄養素の摂取と合成というミクロな視点だけでは捉えきれないのではないでしょうか。彼らは、大地のエネルギーを宿した植物を食し、それを体内で独自の「錬金術」のようなプロセスを経て、強靭な肉体へと昇華させているのかもしれません。

 東洋医学的な視点で見れば、彼らの体内には、「必要なものを必要な形に変換する」、まるで高度な「送信機」のような仕組みが備わっていると考えるのは、決して突飛な発想ではないように思えます。それは、単なる化学反応ではなく、生命が本来持っている、環境に適応し、生き抜くための深遠な力なのかもしれません。

人間の体にも眠る未知の可能性

 この草食動物の例は、私たち人間にも示唆を与えてくれます。私たちは、バランスの取れた食事の重要性を理解していますが、もしかしたら、私たちの体にもまだ解明されていない、潜在的な自己変換能力が眠っているのではないでしょうか。  

 長年の食生活や生活習慣によって、その能力が十分に発揮されていない可能性も考えられます。もしそうであれば、過去の叡智、つまり東洋医学や哲学的な視点から生命を見つめ直すことで、現代医学だけでは到達できなかった、新たな健康のあり方や、人間の持つ驚異的な可能性が見えてくるかもしれません。

解明の日は遠いのか?

 もちろん、草食動物の体内で実際にどのようなプロセスが働いているのか、そしてそれが東洋医学的な概念とどのように結びつくのかを科学的に解明するには、まだまだ長い年月が必要かもしれません。

 しかし、人間の体、そして生命そのものが持つ神秘的な力に目を向けること。それは、私たちがより深く自分自身を理解し、より豊かな生き方を追求するための、重要な一歩になるのではないでしょうか。
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短編小説 遠くを見つめて-地平線の向こうへ

2025年04月12日 | 小説
 短編小説を書いてみました。まだまだ、よちよち歩きの私ですが、いかがでしょうか、感想等いただければ幸いです。表紙ももうちょっと現代的に工夫する余地は充分あると思いますが、今回はオーソドックスになりました。徐々に電子書籍にしていきたいと思っておりますので、もちょっと良い表紙が作れるように腕をあげて行きたいと思います。まだまだ、トライ&エラーしていく必要があるかなと思ってます。
 
 今回は練習用です。

短編小説の試み

 春の柔らかな日差しが、佐藤清の部屋に差し込んでいた。78歳になる清は、窓辺の椅子に座り、庭に咲く桜を眺めていた。その手には一枚の写真があった。40年前、初めて運転免許を取得した時の記念写真だ。若い頃は農業で生計を立てていた清にとって、車の運転は必要に迫られてのことだった。

 部屋の壁には、清の人生を物語る写真が何枚も飾られていた。若かりし頃に購入した最初の軽トラック、家族での初めての旅行、長男の誕生、農場の拡大時の様子、そして苦難の時期を乗り越えた時の笑顔。人生の起伏が写真の中に刻まれていた。

「おじいちゃん、何見てるの?」

 孫の優子が部屋に入ってきた。大学生になった優子は、今日、初めての運転免許の実技試験を受けるという。彼女の表情には、期待と不安が入り混じっていた。

「ああ、これか。おじいちゃんが免許を取った時の写真だよ」

 清は写真を優子に見せた。写真の中の清は、今より遥かに若く、誇らしげに免許証を掲げていた。

「へえ、若いね。おじいちゃんも昔は緊張したの?」

 優子の質問に、清は静かに微笑んだ。

「ああ、特に高速道路に初めて出た時はな。あの時のことは今でもよく覚えているよ。人生の岐路に立った瞬間って、不思議と鮮明に記憶に残るものなんだ」

---

 清が初めて高速道路に乗ったのは、免許を取得してから一週間後のことだった。市場に野菜を運ぶため、勇気を出して高速道路に挑戦したのだ。

「大丈夫ですか、清さん?」助手席に座る妻の幸子が心配そうに尋ねた。

「ああ、平気だ」

 そう答えたものの、清の額には冷や汗が浮かんでいた。高速道路に入るとすぐに、大型トラックが彼の軽トラックを追い越していった。トラックの巨大なタイヤが目の前を通り過ぎる様子に、清は恐怖を覚えた。バスやトラックがひっきりなしに通り過ぎていく。それらの車が近づくたびに、清はハンドルを強く握りしめた。

「近すぎる…」

 大型車のタイヤが見えるほど近くを通るたび、清はヒヤヒヤした。隣を走る車に気を取られ、自分の車線を真っ直ぐ保つことすら難しかった。

「もう二度と高速道路なんか乗らない」

 その日、清は疲れ果てて家に帰った。

---

「それで、もう乗らなかったの?」優子は好奇心に満ちた目で尋ねた。

 清は頭を振った。

「いや、農業を続ける限り、市場へ行くには高速道路を使うのが一番だった。だから嫌でも乗らなきゃならなかったんだ」

「どうやって怖さを克服したの?」

「それがね、ある日気づいたんだ」

---

 清が高速道路の恐怖を克服したのは、ある日の夕暮れ時だった。いつものように緊張しながら運転していると、夕陽が高速道路の彼方に沈みかけていた。その美しさに見とれた清は、ふと気がついた。近くを走る車に気を取られるのではなく、遠くを見ながら運転すると、車はまっすぐ進むということに。

 それからは意識して遠くを見るようにした。近くのトラックやバスではなく、道路の先、地平線を見つめるようにしたのだ。すると不思議なことに、車は自然とまっすぐに進むようになった。以前のような怖さも感じなくなっていった。

「近くのものばかり見ていると、かえって道を外れてしまう。遠くを見れば、自然と真っ直ぐに進める」

 清はそう気づいた。それは彼の人生を変える瞬間だった。

 ある日、遠方に住む友人を訪ねる旅で、清は初めて峠道を運転することになった。急なカーブが連続する山道は、高速道路とはまた違った恐怖があった。最初は緊張で手に汗をかき、カーブごとにブレーキを踏みすぎて、後ろの車に迷惑をかけていた。

「こんなことなら、電車で来ればよかった」と後悔していた時、清は道の脇にある休憩所に車を停めた。深呼吸をして景色を眺めると、山々が連なる美しい光景が広がっていた。

 その時、道路工事をしていた年配の作業員が声をかけてきた。
「峠道は怖いですか?」
「ええ、カーブが怖くて…」

 作業員は微笑んだ。
「カーブを一つ一つ怖がっていたら、永遠に山は越えられません。次のカーブの先を見て運転することです。そうすれば、自然とハンドルが切れるようになる」

 清はその言葉に従い、再び運転を始めた。今度は一つ一つのカーブではなく、道の先を見据えるようにした。すると不思議なことに、体が自然とカーブに合わせてハンドルを切るようになった。

「人生のカーブも同じかもしれないな」と清は思った。

---

「それからは運転が好きになったんだ」

清は優子に語り続けた。

「でもね、おじいちゃんが本当に大切なことに気づいたのは、もっと後のことだよ」

 優子は好奇心いっぱいの表情で清を見つめた。

「何に気づいたの?」

「人生も運転と同じだってことさ。でもな、人生はただまっすぐ進むだけじゃない。時には後退することもある。スパイラルのように進んでいくんだよ」

 清は窓の外を指さした。庭の隅には、螺旋状に伸びる朝顔が咲いていた。

「あの朝顔を見てみろ。まっすぐ上には伸びてないだろう?螺旋を描きながら成長している。人生もそれと同じなんだ」

---

 清の人生は決して平坦ではなかった。50代の頃、彼は大きな挫折を経験した。長年育ててきた特産品の野菜が病気で全滅し、借金を抱えることになったのだ。周囲からは農業を諦めるよう言われた。債務整理の話も出た。毎日のように届く督促状に、清は頭を抱えた。

「どうしたらいいんだ…」

 目の前の問題に押しつぶされそうになっていた時、清は高速道路での経験を思い出した。近くのことばかりに気を取られていると、本当の道を見失ってしまう。

 清は立ち止まり、遠くを見ることにした。今の苦境ではなく、5年後、10年後の自分の姿を想像した。しかし、その道のりは決してまっすぐではなかった。

 最初の決断は、有機農法への転換だった。しかし、その道は想像以上に険しかった。

 有機農法への転換を始めて半年、清は深刻な事態に直面した。新しい農法に不慣れなため、収穫量が激減したのだ。さらに悪いことに、新たな害虫が発生し、せっかく育てていた作物の多くが被害を受けた。借金は増える一方で、家族からも「もう諦めたら」という声が上がった。

 清は一時、すべてを投げ出したくなった。「一歩進んで二歩下がる」どころか、「一歩進んで三歩も四歩も下がっている」ように感じた。

 そんな絶望的な夜、清は古い納屋の片隅で一冊の日記を見つけた。祖父の日記だった。戦後の混乱期、甚大な被害を受けた農地を再生させるまでの記録が綴られていた。祖父は何度も失敗し、周囲からは「無理だ」と言われながらも、諦めずに続けた結果、最終的に豊かな農地を子孫に残したのだった。

 日記の最後のページには、こう書かれていた。

「農業は自然との対話だ。時に自然は我々を打ちのめすが、それは我々に何かを教えるためだ。一歩下がることを恐れるな。それは次の二歩の跳躍のための準備かもしれない」

 祖父の言葉に勇気づけられた清は、翌日から新たな気持ちで農場に向き合うことを決めた。

 ある雨の日、清は田んぼの様子を見に行った。雨に打たれる苗を見ながら、彼は不思議な光景に気づいた。雨粒が落ちる度に、苗は一度は折れ曲がるが、その後すぐに起き上がり、以前より少し高く伸びていたのだ。

「植物は、嵐に耐えるために一度は折れ曲がる。でも、それによって根はより深く張り、茎はより強く成長する」

 清はその瞬間、重要なことに気づいた。後退は必ずしも失敗ではない。時には一歩下がることで、二歩、三歩と前進するための力を蓄えることができるのだ。

 彼は新たな決断をした。一時的に規模を縮小し、有機農法を徹底的に学び直すことにした。農業大学の夜間講座に通い、先進的な農家を訪ねて研修を受けた。一度は諦めかけた農地の一部を休ませ、土壌の回復に専念した。

 それは一見すると後退のように見えた。収入は減り、借金返済のペースも遅くなった。しかし清は、この「一歩後退」が将来の「二歩前進」につながると信じていた。

 その決断から数ヶ月後、清は衝撃的な出来事に遭遇した。隣町の大規模農場が農薬問題で大きなスキャンダルに巻き込まれたのだ。化学農薬の過剰使用による健康被害が報告され、その農場の作物は市場から撤去される事態となった。

 清は自分の直感が正しかったと感じた。短期的な利益を追求するあまり、持続可能性を無視した農業の危険性を目の当たりにしたのだ。有機農法への転換は、一見すると非効率に見えても、長い目で見れば正しい選択だったのかもしれない。

 その頃、清の農場にある変化が起きていた。休ませていた土地には多様な昆虫や小動物が戻ってきており、彼らが自然な生態系を形成し始めていたのだ。特に、天敵となる益虫の増加によって害虫の被害が自然と減少していった。

「自然は自ら癒す力を持っている」と清は悟った。人間がコントロールしようとするのではなく、自然のリズムに合わせることの重要性を実感したのだ。

 そして3年後、その信念は実を結び始めた。休ませていた土地は驚くほど肥沃になり、新たに植えた作物は病害虫にも強く、質の高い収穫をもたらした。有機栽培の技術も向上し、収穫量は従来の農法時代を上回るようになった。

 ある日、地元のスーパーマーケットのバイヤーが清の農場を訪れた。「最近、安全な食品を求めるお客様が増えています。佐藤さんの野菜を特別コーナーで販売したいのですが」という申し出だった。

 これをきっかけに、清の野菜は「佐藤さんの奇跡の野菜」と呼ばれ、市場で高値で取引されるようになった。一時的な後退が、予想もしなかった前進をもたらしたのだ。

「後退は、より大きく跳ぶための踏み出し」と清は悟った。

 清の体験は地域の農家たちにも影響を与えた。最初は「無謀だ」と笑っていた近隣の農家たちも、清の成功を目の当たりにして、少しずつ有機農法に関心を示すようになった。清は喜んで自分の知識と経験を共有した。

「一人が変われば、周りも変わる。それがスパイラルのように広がっていく」

 清は、自分一人の成功ではなく、地域全体の持続可能な農業への転換という大きな目標に向かって進み始めていた。それはまさに、個人の小さな変化が社会全体の大きな変化につながるという、スパイラル的な進化の象徴だった。

 借金返済も順調に進み、さらに7年後、清の農場は見事に復活を遂げた。有機農法による高品質な野菜は全国的な評判となり、借金も完済できた。一時は「無謀な挑戦」と言われた有機農法への転換は、結果的に清の人生を豊かにしただけでなく、彼の住む地域の農業のあり方さえも変えたのだ。

---

「人生も運転と同じなんだよ。目の前の小さなことに気を取られていると、本当に大切なものが見えなくなる。遠くを見つめていれば、自然と進むべき道がわかる。でもな、人生はまっすぐじゃないんだ。一歩後退して二歩前進する。螺旋階段のように上っていくものなんだよ」

「でも、後退するのって怖いよね」と優子は正直に言った。「失敗するのが怖いし、みんなに笑われるのも嫌だし...」

 清は微笑んだ。「そうだな。怖いものだ。おじいちゃんも怖かった。でも、知ってるか?動物の世界を見てみると、多くの動物は跳躍する前に、必ず一度しゃがみ込むんだ」

「しゃがみ込む?」

「ああ。猫や犬が高いところに飛び乗る前、まず後ろ足に体重をかけて、一度下がるだろう?あれは次の大きな跳躍のためのエネルギーを蓄えているんだ。人間のランナーだって、スタートダッシュの前には少し身体を後ろに引くだろう」

 清は立ち上がり、窓際に歩み寄った。「自然の中には、この『引くことで前に進む』という知恵が満ちているんだよ」

「波も同じだ。海岸に打ち寄せる前に、必ず一度引くだろう。その引く力が次の波の力になる。潮の満ち引きも、月の引力と地球のバランスで起こる自然のリズムだ」

 優子は真剣な表情で清の話に聞き入っていた。「本能的に理解できる気がする」と彼女はつぶやいた。

「大学で何を専攻するか迷っているって言ってたよね?」

 優子は驚いた顔をした。「どうして知ってるの?」

「お母さんから聞いたよ。やりたいことがたくさんあって迷っているんだろう?」

 優子はうなずいた。「医学部に行きたいけど、環境科学にも興味があるの。でも医学部は浪人したら時間の無駄だし、環境科学だけじゃ収入が不安で…どっちにすべきか全然わからなくて」

 清は窓の外を指差した。「あの蜘蛛の巣を見てごらん」



 木の枝の間に、朝露に濡れた蜘蛛の巣が輝いていた。複雑な幾何学模様を描きながらも、完璧なバランスを保っている。

「蜘蛛は巣を作るとき、まず一本の糸を風に乗せて飛ばすんだ。その糸がどこかに引っかかるまで、何度も何度も挑戦する。一度引っかかれば、その糸を基点に、少しずつ巣を広げていく。最初の一本が通らなければ、巣全体は作れない」

 清は優子の目をまっすぐ見つめた。「大切なのは、最初の一歩を踏み出す勇気だ。その一歩がどこに続くかは、歩いてみなければわからない。でも、一歩踏み出せば、次の道が見えてくる」

「蜘蛛の巣のように、人生も一本の糸から始まって、徐々に広がっていくんだね」と優子は言った。

「そうだ。そして面白いことに、蜘蛛の巣は螺旋状に作られているだろう?中心から外へ、外から中へ。まっすぐではなく、円を描きながら広がっていく。それでいて、すべての糸はつながっている」

 清は続けた。「今、環境科学を選んだとしても、それは医学への道を永遠に閉ざすわけじゃない。むしろ、一見遠回りに見えても、環境と医学を結びつける新しい道が見つかるかもしれない。蜘蛛が巣を作るように、一本の糸から始めて、徐々に自分の世界を広げていけばいい」

 優子は考え込むように窓の外を見つめた。

「おじいちゃんの若い頃に比べたら、今の世の中はもっと複雑で、選択肢も多くて、プレッシャーも大きいと思うよ」と清は続けた。「だからこそ、目の前のことだけじゃなく、遠くを見る勇気が必要なんだ」

「でも、どうやって正しい選択をすればいいの?」

 清は静かに笑った。「ミツバチの話を知っているかい?」

 優子は首を傾げた。

「ミツバチは花から花へと飛び回りながら、蜜を集めていく。ときには、蜜の少ない花にも立ち寄る。一見すると非効率に見えるだろう。でも実は、その『無駄』な動きこそが、花粉を運び、自然の循環を支えているんだ」

 清は優子の肩に手を置いた。「人生でも同じことが言える。回り道や寄り道が、実は思わぬ出会いや発見をもたらすことがある。完璧な選択なんてないんだよ。大切なのは、どんな選択をしても、そこから学び、成長する心構えを持つこと。それが人生のスパイラルを上昇させる力になる」

 清はポケットから小さな羅針盤を取り出した。若い頃に使っていたものだ。

「これをあげよう。道に迷ったときは、この羅針盤のように自分の内なる声に耳を傾けるんだ。羅針盤の針は、いったん揺れても、最後は必ず北を指す。それと同じように、君の心も、揺れることがあっても、最後は君が本当に進むべき方向を教えてくれる」

 優子は目に涙を浮かべながら羅針盤を受け取った。「でも、おじいちゃんの大切なものを...」

「大丈夫さ。この羅針盤は、もう十分におじいちゃんを導いてくれた。これからは君の番だ」

「ありがとう、おじいちゃん。試験、頑張ってくる」

---

 その日の夕方、優子は晴れやかな顔で帰ってきた。

「合格したよ、おじいちゃん!」

 清は嬉しそうに優子を抱きしめた。

「緊張しなかった?」

「ちょっとだけ。でも怖くなった時、おじいちゃんの言葉を思い出したんだ。近くじゃなく、遠くを見るって。そしたら不思議と落ち着いて、自然と体が動いたの」

 優子は続けた。「それに決めたよ、将来のこと。環境医学という新しい分野があるって調べたの。環境と健康の関係を研究する学問なんだ。最初は環境科学を専攻して、その後医学の大学院に進むつもりよ」

「長い道のりになりそうだね」と清は言った。

「うん。でも、おじいちゃんが言ったように、一見遠回りに見えても、それが私の道なら構わないの。蜘蛛の巣のように、一本の糸から始めて、少しずつ広げていくつもり」

 清の目に涙が浮かんだ。優子は一見遠回りに見える道を選んだが、それは彼女らしい、独自の道だった。

「一歩後退して、二歩前進ね」優子は微笑んだ。「結局は前に進んでいるんだもの」

 その夜、清は久しぶりに車を運転した。優子を隣に乗せて、高速道路に乗り、遠くに見える街の灯りを見つめながら、彼は思った。

 人生も運転も、結局は同じこと。遠くを見つめながら進み、時には立ち止まり、時には回り道をしても、自分の信じる道を歩み続けることが、最も豊かな人生をもたらすのだと。

 優子が窓から見える田園風景を眺めながら、ふと言った。

「おじいちゃん、ほら、あそこを見て」

 夕日に照らされた田んぼの向こうに、螺旋状に伸びる一本の道が見えた。その道は丘を登り、遠くの地平線へと続いていた。まるで人生の道のように。

「あの道、どこに続いているんだろう」と優子は尋ねた。

 清は微笑んだ。「それは、歩いてみないとわからない。でも、きっと素晴らしい景色が待っているよ」

 車はゆっくりと螺旋状の道に向かって走り始めた。優子は羅針盤を握りしめながら、遠くの地平線を見つめていた。

(終)
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焦らず、惑わず、まっすぐに:人生という道を走るための運転術

2025年04月10日 | エッセイ
 車の運転と、ものの考え方というのは、どこか共通する部分があるように感じています。運転に慣れないうちは、どうしても自分の足元ばかりを見てしまいがちです。

 しかし、経験を重ねるうちに、周囲の状況、たとえば他の車の動きや道路標識など、より広い範囲に意識を向けることができるようになります。私も経験がありますが、高速道路を初めて運転した時は、そのスピード感と周囲を走るトラックの大きさに恐怖を感じてしまったほどです。

 しかし、徐々に慣れてくると、遠くの目標物を見るように意識することで、車線の中央を安定して走れるようになることに気づきました。

 すると、目の前の景色や周囲の音に過度に気を取られることなく、スムーズな運転が可能になるのです。

 これは、日々の物事を考えることや、自分の生き方にも通じるのではないでしょうか。目の前の些細な出来事にばかり気を取られていると、全体像を見失い、何が重要なのか分からなくなってしまうことがあります。

 人生経験を重ねるにつれて、私たちはより遠い将来を見据えることができるようになります。

 私自身、常に遥か遠くにある「他者の幸せ」と「自分の幸せ」、つまり「自他の幸せ」を意識しながら生きていたいと思っています。たとえ、近視眼的に二歩進んで一歩下がるような行動を取る場合でも、最終的な目標を見失わなければ、結果的に一歩前進することができます。

 また、目標というベクトルをしっかりと見据えていれば、たとえ一時的に左に逸れたとしても、修正がききます。これはまさに車の運転と同じです。

 大局的に物事を捉え、本質から考えることの重要性は、運転においても人生においても変わらないと言えるでしょう。
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湯呑み一杯の幸せ 詩

2025年04月08日 | 






庭の菜の花 そっと摘み取り
白き湯のみに 浮かべてみれば
冷たき水で命は踊る
小さな茶碗で 春を謳う
湯のみ一杯の 幸せ​​​​​​​​​​​​​​​​
そこにあり


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高齢者医療:全人的アプローチの必要性

2025年04月07日 | 健康
 
 私もついに先日78歳を迎えました。まさに今は老いと向き合う最中です。

 そこで、老人医療について少し考えてみたいと思います。私も年を重ねるにつれて感じることですが、人間は徐々に体全体が弱ってきます。理想的な最期というのは老衰であると思います。特定の病気があるわけではなく、全身の機能が次第に衰え、自然に人生を終えること。それが本来あるべき姿ではないでしょうか。

 人間の体は心臓、大腸、胃腸、消化器、循環器、神経系など、複数の器官・システムが連携して一つの生命体として機能しています。単一の器官だけでは成り立ちません。そして忘れてはならないのが、心(精神面)の存在です。体全体が一つの有機体としてまとまっているのです。

#現代医療の盲点

 ところが現在の医療は、全体観を欠いています。心臓に異常があれば心電図を測り、血圧が高ければ降圧剤を処方する。このように根本を突き詰めるのではなく、症状に対応するだけの対症療法に終始しがちです。生活習慣や栄養も含めた人間全体を広く捉える視点が必要なのに、現代医療ではしばしば一つの側面だけを個別に見て対処するというアプローチになっています。

 これでは人間の体の本質を理解することはできません。現代医療の欠点はまさにそこにあるのです。人間の身体は全体が有機的につながっており、神経系を含めたさまざまな要素が複雑に絡み合っています。

# 身体は統合されたシステム

 年を取ると肩が痛くなったり、膝が悪くなったりと様々な症状が現れます。しかし、よく考えてみると、痛みのある部位だけが問題なのではありません。内臓に問題があれば肩に痛みとして現れることもあります。右脳に問題があれば左側の身体に症状が出るというように、人間の体は全体が連動しているのです。

 このような全体のつながりの中で人間を捉えなければ、真の健康を維持することはできません。今の医療は何か問題があれば消化器科に行って胃カメラで検査をするといったように専門分化しています。しかし、胃カメラで異常が見つかるような状態になった根本原因を正さなければ意味がないのです。

# 全人的医療へのシフト

 このように全体を見るという視点が、今の医療には非常に欠けています。日本の医療は確かに命を救う技術では最先端かもしれませんが、人間を全体として捉える視点をより重視してほしいと思います。

 私自身も年齢を重ねるにつれて、体のさまざまな部分に不調を感じるようになりました。そして、すべてがつながっているという事実を、身をもって実感しています。

   高齢者医療が今後向かうべき方向は、専門分化した対症療法から、人間を全体として捉える全人的アプローチへのシフトではないでしょうか。すべて体はつながっているのですから。

✳︎ 「ホリスティック」とは、ギリシャ語の「holos(全体)」を語源とする言葉で、日本語では「全体論的な」「包括的な」といった意味で使われます。
より具体的には、以下のような意味合いを含んでいます。
 * 全体性: 物事を部分に分解して考えるのではなく、全体として捉える考え方です。
 * 関連性: 個々の要素は互いに関連し合い、影響を与え合っているという考え方です。
 * 包括性: 身体、精神、環境など、あらゆる側面を考慮する考え方です。
医療の分野においては、ホリスティック医療という言葉があり、従来の西洋医学のように、病気や症状だけを部分的に見るのではなく、患者さんを心身全体として捉え、その人の生活習慣や環境なども含めて治療を行う医療を指します。
ホリスティック医療は、以下のような考え方に基づいています。
 * 病気は、身体、精神、環境など、さまざまな要因が複雑に絡み合って起こる
 * 治療は、病気や症状だけでなく、患者さん全体の健康を回復することを目指す
 * 患者さん自身の自然治癒力を最大限に引き出すことを重視する
ホリスティック医療では、西洋医学的な治療に加えて、鍼灸、漢方、アロマセラピー、マッサージ、心理療法など、さまざまな代替療法が用いられることがあります。
ホリスティックという言葉は、医療以外にも、教育、ビジネス、ライフスタイルなど、さまざまな分野で使われています。

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アサギマダラの幼虫

2025年04月06日 | 野山散策
アサギマダラの幼虫です♪食草、キジョランの葉を食べて育ちます。
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アメリカの保護関税と世界経済の転換点

2025年04月06日 | エッセイ

 アメリカが25%の関税を世界各国に対して導入した影響が、グローバル市場に大きな波紋を広げています。有効国・無効国の区別なく課せられたこの関税政策は、株式市場に顕著な変動をもたらしています。この1週間だけでも、アメリカの株価指数は約2000ドル、日本市場でも2000円程度下落しました。

 恐怖指数とも呼ばれるVIX指数は50%を超え、市場の不安感が極めて高いレベルにあることを示しています。このような高い数値は珍しく、リーマンショックやウクライナ危機などの世界的な危機的状況下でのみ見られる水準です。私たちは今まさに、経済の大きな転換点を目の当たりにしています。

 トランプ大統領は元々ビジネスマンであり、不動産業界で成功を収めた人物です。彼の関税政策は単なる取引戦術ではないかという見方もあります。一方で、アメリカ国内の分断も進んでおり、世界全体としても、EU、アメリカ、BRICS諸国という3つの大きな勢力が形成されつつあります。

 トランプ大統領は過去にも80%の関税を提案しましたが、今回の25%の全面的な関税導入は完全な保護主義への移行を示しています。今後1週間の株価の動向を注視しながら、この保護主義的経済政策の行方が明らかになっていくでしょう。

 世の中が大きく変化するときには、小さな調整では不十分です。大胆な舵取りがなければ、真の変革は起こりません。今回の世界的な関税保護政策の導入は、すべての国が自国の経済政策を見直す時代の到来を示唆しているのかもしれません。

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年齢に負けない!三半規管を鍛えて健康寿命を延ばす秘策

2025年04月04日 | 健康

 年齢を重ねると、体の様々な機能が衰えてくるのは避けられません。

 特に、運動機能の低下は顕著で、筋力の衰えに加え、体のバランスを取る三半規管の機能低下を感じる方も多いのではないでしょうか。

 私もその一人で、日々の生活の中で少しずつバランス感覚の衰えを感じています。そこで、三半規管を鍛えるために、ある運動を習慣化しようと試みています。

 その運動とは、歩きながら首を回すというシンプルなものです。歩行中に首を右へ左へとゆっくり回すことで、体が左右に揺れます。この揺れに対し、まっすぐ歩こうと意識することで、三半規管が鍛えられるのではないかと考えています。

 この運動を1年間継続し、その効果を検証してみたいと思っています。健康寿命を延ばすためには、体の健康だけでなく、認知症予防のための脳の健康も重要です。

 健康な体と冴えた頭脳を維持し、毎日をいきいきと過ごすこと。そして、社会に貢献できる存在でありたいと願っています。

 このブログでは、私の健康維持のための取り組みや、日々の生活で感じたことなどを発信していきたいと思います。

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【医療の進歩と人間の本質】

2025年03月31日 | 健康
コロナ6年3月31日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 現代医療は確かに進歩しました。しかし、それは医療ケアの面での進歩であり、人間の身体そのものの本質を理解するという点では、必ずしも前進しているとは言えません。むしろ、昔の方が人間をトータルに見ていたのではないかと感じることがあります。

 特に東洋医学の考え方は、人間を全体として捉えるものです。しかし、現在の日本では、東洋医学は医師免許には含まれていません。それを考えると、私たちは改めて「人間はトータルな存在である」という視点を持つことが重要だと考えます。

 人間は自然界の一部であり、他の生物とも共存しています。この観点から見ても、人間を部分的に診るのではなく、全体を理解することが大切です。この点、中国や韓国では医師免許に含まれているようです。日本はなぜこの視点が落ちているのか?

【心と身体のつながり】

 人間には身体だけでなく、心の働きも大きく関わっています。心の在り方が全身の臓器に影響を及ぼすというのは、昔から言われてきました。西洋医学の視点では、自律神経の働きとして交感神経と副交感神経が関係していると説明されますが、もっと人の心は複雑ではないかと思います。心の持ちようが健康に大きく影響することは間違いありません。病気は病が半分、気が半分と言うんじゃないですか?

 近年の研究では、腸が脳に影響を与える「腸脳相関」という考え方も注目されています。つまり、脳だけでなく、腸の状態が私たちの思考や健康に深く関わっているということです。

【歳をとることと健康管理】

 歳をとると、すべての機能が衰えていきます。例えば、心臓に不整脈がある場合、それを循環器内科だけで診るのではなく、身体全体のバランスを考慮することが重要です。食生活や生活習慣が健康に与える影響も大きく、単に症状だけを見て対処するのではなく、根本的な原因を考えることが求められます。

 食べ物に関しては、特に現代の日本の状況に懸念を感じます。外国では禁止されている食品添加物が日本では許可されており、日本は「食品添加物大国」と言われることもあります。こうした問題も含めて、私たちは食生活を見直す必要があります。日本には医食同源という言葉もありますね。

【健康を守るために】

 健康を維持するためには、身体全体をバランスよく整える習慣が大切です。例えば、風邪をひいたとき、単にウイルスが原因と考えるのではなく、体の自然治癒力が低下しているからこそ発症したのだと捉えるべきです。

 特に血流の流れは全身の健康に関係します。血液が体の隅々までしっかり流れることで、栄養素が行き渡り、健康が保たれます。しかし、加齢とともに血流が悪くなり、必要な栄養が不足していきます。その結果、人間は最終的に寿命を迎えるわけですが、その過程でどのように健康を保つかが重要です。

 今回は気づいたことを述べましたが、結論として言いたいのは「人間は部分ではなく、全体として診るべきである」ということです。日々の生活の中で、自分の身体と心をトータルで考えながら健康を守っていきたいものです。

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