想い続けることができれば、その想いはいつか成就する

その日その日感じたことを詩、エッセイ、短歌、日記でつづります。野菜も育ててます。

マインドセットと好奇心を翼にして

2025年02月21日 | エッセイ
 77歳、もうすぐ78歳になります。この歳になると、周りに過度に気を使うことの意味があまりないように思います。もちろん、人に大きな迷惑をかけないことは大前提ですが、それさえ守れば、もっと自分らしく生きていいのではないかと感じるのです。

 私は私、あなたはあなた。それぞれが自分の思うことを突き詰めてやればいい。幸いなことに、私はまだエネルギーが湧き続けています。エネルギーとは精神的なもの、つまりマインドセットです。だからこそ、エネルギーが次々と湧いてくるような環境を自ら整えることが大切なのです。

 仏教には「わがまま」という言葉がありますが、私はこれを「自分らしく生きること」と解釈しています。論語の孔子も「七十にして己の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」と言いました。今の時代なら「八十にして己の欲するところに従い、矩すら超える」と言えるかもしれませんね。

 人生は「なるようになる」。ケセラセラです。これまで歩んできた道が今の自分を形作っているのだから、悔いなく一生懸命やってきたと思えば、それでいいのです。残りの人生がどれほどあるかはわかりません。それは神様が決めること。私にできるのは、その間、やりたいことをやり、エネルギーを存分に発揮できる状況を作ることだけです。

 まだまだ、私には翼があります。飛べる限り飛び、学べる限り学び、やりたいことをやる。そんな気持ちで、今日も好奇心いっぱいに生きています。

 皆さんも、自分の翼を大切にしてくださいね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短編小説:「不要な治療」

2025年02月20日 | 小説
コロナ6年2月20日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 「おじいちゃん、また病院行くの?」

 孫の声に、健一は苦笑した。

 「仕方ないさ、医者が“通わなきゃダメだ”って言うんだからな。」

 もう八十を過ぎたが、健一はまだ元気なほうだった。足腰は弱くなったが、大きな病気もなく、食事も自分で作れる。だが、毎月のように病院に通わされる。

 「血圧が少し高いですね。薬を増やしましょう。」
 「念のため、精密検査を受けておきましょう。」

 そう言われるたびに、処方される薬は増え、検査の日が増えていく。正直なところ、薬の効果はよく分からないし、検査をしても「特に問題はありませんね」と言われることばかりだった。

 ある日、待合室で知り合いの老人がボソッとつぶやいた。

 「ワシら、いいカモなんじゃないかねぇ。」

 健一はその言葉に、ハッとした。

 考えてみれば、病院に通うたびに、医者は何かしら理由をつけて薬を出し、検査を受けさせる。でも、それで本当に自分の健康が守られているのか? むしろ、薬漬けにされて体の調子が悪くなっている気すらする。

 さらに最近、健一は新たな負担を感じていた。

 「DX推進費用として、患者負担になりますね。」

 受付でそう言われた時、思わず聞き返した。

 「DXって、デジタル化のことか?」

 「はい、電子カルテやマイナンバーカードの導入などで、医療の効率化を進めるための費用です。」

 「病院のためのもんじゃないか。それを患者が払うのか?」

 「決まりなので……」

 その後、さらに驚いたことがあった。DXの推進を決めた審議会について調べると、そこに患者の代表が入っていなかったのだ。参加していたのは医師会、製薬業界、厚労省、病院関係者……すべて医療を提供する側の人たちだった。

 「ワシら、ただの金づるか?」

 健一はため息をついた。自分のためになっているのか分からない薬を飲み続け、意味があるのか分からない検査を受け続け、そして今度は病院のデジタル化の費用まで負担する。しかも、それを決めたのは患者ではなく、医療業界の人間たちだった。

 「……おかしいことばっかりだな。」

 健一は孫を見つめ、静かに言った。

 「お前たちの世代は、こんなおかしな仕組みを変えていけるかねぇ?」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短編小説 本当のことって、なんだろう?

2025年02月18日 | 小説
コロナ6年1月18日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 小学6年生の優斗(ゆうと)は、放課後の図書室でタブレットを眺めていた。SNSのタイムラインには、「政府が国民の貯金を密かに没収!?」という派手な見出しが流れている。

 「えっ、これマジ?」

 友達の翔太(しょうた)が画面を覗き込み、「そんなわけないだろ」と鼻で笑った。

 「でも、コメント欄では『本当だ!』って言ってる人が多いよ?」

 優斗は眉をひそめた。最近、ネットでは何が本当で何が嘘なのかわからなくなることが多い。特に、こういう驚くようなニュースは、すぐに広まってしまう。

 図書室の奥で本を整理していた司書の森先生が、二人の会話を聞きつけて近づいてきた。

 「優斗くん、翔太くん、何を読んでるの?」

 「ネットニュースです。でも、本当なのか嘘なのか、よくわからなくて……」

 優斗がタブレットを差し出すと、森先生は画面を見てゆっくりとうなずいた。

 「なるほどね。こういうニュースは、一度立ち止まって考えることが大事だよ」

 「考えるって?」

 翔太が首をかしげると、森先生は静かに言った。

 「まず、このニュースを書いたのは誰かを調べてみよう。信頼できる新聞社や、公的機関の発表があるかな?」

 優斗は検索してみたが、大手の新聞やニュースサイトには同じ情報はなかった。

 「……うーん、有名なニュースサイトには載ってないみたい」

 「じゃあ、もう一つ。この記事の内容は、過去にもあったか調べてみるのはどう?」

 優斗と翔太は検索を続けた。すると、似たような話が何度も出てきていることがわかった。しかも、どれもデマだったと後で指摘されている。

 「やっぱり、これも嘘の可能性が高いってこと?」

 優斗がつぶやくと、森先生は優しく微笑んだ。

 「そうかもしれないね。でも、すぐに『これは嘘だ』と決めつけるのではなく、『本当のことを知るためにはどうすればいいか』を考えることが大切なんだよ」

 優斗は、少しドキッとした。今まで、ネットで見たものをそのまま信じてしまうことが多かった。でも、ちゃんと調べれば、自分で確かめることもできるんだ。

 放課後の図書室の窓から、夕日が差し込んでいた。優斗はタブレットの画面を閉じながら、心の中で思った。

 「これからは、もっと慎重に情報を見よう。ちゃんと本当のことを見抜けるようにならなくちゃ」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真実を見抜く力、そして変化に適応する力を育むために

2025年02月18日 | エッセイ
コロナ6年2月18日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 近年、私たちの社会は急速に変化し続けています。その変化の中で、フェイクとファクトが入り混じり、本物と偽物の境界が曖昧になる場面が増えてきました。インターネットでは真実と虚偽が交錯し、何が本当なのかを見極めることが難しくなっています。

 また、ステルス増税やステルス値上げ、さらにはダークパターンといった、意図的に分かりにくく設計された仕組みも増えています。例えば、サブスクリプションサービスでは、契約は簡単にできても解約が複雑だったり、気づかないうちに自動更新されていたりすることがあります。そうした仕組みに対し、消費者自身が賢くならなければ、知らぬ間に不利益を被ることになりかねません。

 かつて学校では「道徳」の授業がありました。他者への思いやりや正直であることの大切さを教えました。しかし、今の社会では、それだけでは不十分ではないかと感じます。なぜなら、単に「嘘をつかない」ことを学ぶだけでなく、「嘘を見抜く力」を養うことが求められる時代になっているからです。

 特に、税制や金融制度も年々複雑化し、理解することが容易ではなくなっています。暗号通貨や新たな金融商品が登場し、従来の常識が通用しない場面も増えてきました。このような状況では、単なる知識の詰め込みではなく、「本質を見抜く力」を育てることが重要です。

 義務教育においても、こうした能力を育むための取り組みが必要ではないでしょうか。もちろん、小学生にすべてを教えるのは難しいかもしれません。しかし、中学生、高校生の段階で、情報を鵜呑みにせず、自分で考え、判断する力を養う教育があってもよいのではないかと思います。

 また、社会が変化するスピードがあまりにも速いため、学校で学んだ知識が卒業時には古くなってしまうことも少なくありません。そうであるならば、固定された知識を覚えるだけではなく、「変化に適応する力」や「新しいことを学び続ける姿勢」 を育むことも大切です。

 情報が溢れ、複雑化するこの時代を生き抜くためには、「真実を見抜く力」と「変化に適応する力」の両方が必要です。これは、若い世代だけでなく、大人にとっても同じことが言えます。私たち一人ひとりが賢くなり、より良い社会を築いていけるよう、これからも考えていきたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短編小説 電気料金明細の小さな謎 

2025年02月17日 | エッセイ
コロナ6年2月17日(ウクライナ、ロシア戦争4年) 

   田中秀樹は50代半ばの会社員だった。定年を控え、老後の生活設計を始めていた彼は、日々の家計をきちんと把握しようと、毎月の支出を細かくチェックするようになっていた。
   ある冬の夜、秀樹は食卓に広げた請求書の山を眺めながら眉をひそめた。

   「なあ、美代子。うちの電気代、去年の同じ月より高くないか?使用量はそんなに変わっていないのに」

 妻の美代子は夕食の後片付けをしながら首を傾げた。

 「そうかしら?暖房を使う時期だから高くなるのは当然よ」

 「いや、それを考慮しても高い気がする。使用量はむしろ去年より減ってるんだよ」

 秀樹は電気料金の明細を細かく見始めた。基本料金、従量料金…そして目に留まったのは「再エネ発電促進賦課金」という項目だった。

 次の日の昼休み、秀樹は会社の同僚、若手の佐藤と老舗の定食屋で食事をしていた。

 「佐藤くん、君は電気代の明細ってよく見る?」

 「えっ?あまり見ないですね。自動引き落としですし」

 「再エネ発電促進賦課金って知ってるか?」

 佐藤は箸を止めた。「聞いたことはありますが…何か問題でも?」

 「昨日、去年と比べたらこの賦課金が随分上がってるんだよ。何年か前から少しずつ上がってきているようだ」

 「へえ、知りませんでした…」

 秀樹は懐からスマートフォンを取り出し、調べた情報を佐藤に見せた。

 「これ見てごらん。再エネ賦課金は2012年に始まったとき、家庭の標準使用量で月に数十円だったのが、今は月に800円を超えているんだ。しかも毎年上がり続けている」

 「そんなに上がってるんですか!」佐藤は驚いて目を丸くした。

 「しかも、この賦課金は私たち消費者が再生可能エネルギーの普及のために負担している実質的な税金なんだよ。直接的な税金じゃないから、増税と言われないだけで」



 その週末、秀樹は地域の公民館で開かれた「老後の家計管理」というセミナーに参加した。講師は元銀行員の財務アドバイザー、森山さんだった。

 質疑応答の時間に、秀樹は手を挙げた。

 「再生可能エネルギー発電促進賦課金について質問があります。これは実質的に税金のようなものではないですか?しかも年々上がり続けていて…」

 森山氏はうなずいた。「鋭い指摘ですね。これは典型的なステルス増税と言われるものです。直接増税と言わなくても、実質的に国民負担が増えるケースです」

 会場からざわめきが起こった。

 「電気料金だけでなく、似たようなケースは多くあります」と森山氏は続けた。「例えば、健康保険の自己負担増加や、各種控除の縮小なども同様です。税率そのものは変わらなくても、実質的な負担は増えているんです」

 帰宅した秀樹は、パソコンに向かい、ブログを書き始めた。「見えない増税—ステルス増税について考える」というタイトルで、自分の発見したことを詳しく書いた。

 翌週、そのブログは思いがけず拡散され、地元メディアの目に留まった。

 地元テレビ局の記者が秀樹に取材をしたいと連絡してきた時、秀樹は驚いた。

 「田中さん、あなたのブログは多くの人が同じ疑問を持っていたことを示しています。特に年金生活者の方々にとって、こうした少しずつの負担増は大きな問題です」

 取材当日、秀樹は緊張しながらも、電気料金明細を片手に、どのように賦課金が増えてきたかを説明した。

 「私たちが問題にしているのは、再生可能エネルギーが重要ではないということではありません。問題は、こうした負担増が分かりにくい形で進められていることです。私たち消費者にとって、情報が透明でないことが問題なんです」


 その報道をきっかけに、秀樹の住む地域では「家計における隠れたコスト」を話し合う市民グループが形成された。老後の生活を不安に思う多くの人々が参加した。

 秀樹は最初の集会で静かに語りかけた。

 「私たちが望むのは、ただ透明性です。増税するならそれを明確に示してほしい。私たちは理性的な判断ができる市民です。何かを隠されたまま負担だけが増えていくことに不安を感じているんです」

 数か月後、彼らの活動は国会議員の目にも留まり、エネルギー政策における情報公開の拡充が議論されるようになった。

 秀樹は夕食時に美代子に言った。

 「まさか電気料金の明細をきっかけに、こんなことになるとは思わなかったよ」

 美代子は穏やかな笑顔で応えた。

 「でも秀樹、あなたのおかげで多くの人が気づいたのよ。明細書の小さな謎が、大きな変化につながることもあるのね」

 窓の外では、冬の夕暮れが静かに訪れていた。秀樹は再び電気料金の明細を見つめた。小さな数字の変化に隠された大きな社会の仕組みを知った今、彼は老後の家計管理だけでなく、社会のあり方についても考えるようになっていた。

(完)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

啓蟄の朝 詩

2025年02月17日 | 
啓蟄の朝

 草の間に ひそやかに
 ふと見れば 葉のうえに
 てんとう虫の 赤き影

 冬の眠りを ほどきつつ
 春の光に 誘われて
 小さき命は 目を覚ます

 冬来たりなば 春遠からじ
 風のささやき 土のぬくもり
 芽吹く緑に 時は巡る

 ひとしずくの 陽の光
 てんとう虫は 羽をひろげ
 そっと空へと 舞い上がる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケ・セラ・セラと任運騰騰

2025年02月16日 | エッセイ
コロナ6年2月16日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 「ケ・セラ・セラ」、なるようになるさ。
 「任運騰騰(にんぬんとうとう)」、運に任せて騰がるが如し。

 ひとつはスペイン語、もうひとつは禅の言葉。どちらも未来を案じすぎず、今を生きることを示している。

 けれど、言葉の響きを感じると、それぞれの文化の違いが浮かび上がってくるようだ。「ケ・セラ・セラ」はどこか明るく軽やかで、陽の光が降り注ぐ温暖な土地の風を感じさせる。一方、「任運騰騰」は、静寂の中に響く鐘の音のように、どこか重みのある言葉だ。

 人生はなるようにしかならない。そう思えたとき、人は肩の力を抜き、とらわれない心を持てるのかもしれない。

 「とらわれない心」。これを、わがままと呼ぶ人もいる。けれど、我が心のままに生きることこそが、本当の自由なのではないだろうか。

 高齢になって、つくづくそう思う。先のことを気に病んでも仕方がない。自然の摂理に委ね、流れのままに生きる。それが一番いいのだ。

 確実にエイジングは進んでいる。けれど、それを嘆いてもはじまらない。どうなるかは天に任せ、今日一日を精一杯楽しむ。そうすれば、残された時間もまた、充実したものになるのではないだろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日いち-2025年2月16日

2025年02月16日 | 家庭菜園
庭に植えておいた芽キャベツがずいぶん大きくなり、ゴルフボールぐらいになりました。この時期は1年のうちで最も寒い時期です。芽キャベツはこの時期が1番おいしいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『薬漬け大国から生活の質を重視する社会へ   ―スウェーデンに学ぶ、本当の健康長寿とは―』

2025年02月14日 | 健康
コロナ6年2月14日(ウクライナ、ロシア戦争4年)

 体の調子が良くないとき、あなたはどうしますか?すぐに薬に頼りますか?あるいは医者に診てもらって、大量の薬を処方してもらいますか?

 今の日本では、体調がすぐれないときに躊躇なく薬を飲んだり、医者に行ったりします。この傾向は日本特有のようです。

 日本は病院での寝たきり老人大国でもあります。平均寿命の延びが健康寿命の延びを上回るという現状は、薬漬け・医療漬けの期間が増えただけであり、QOL(生活の質)の向上には繋がっていません。これは人間の尊厳にかかわる重要な問題であり、医療費の無駄遣いといえます。

 これからは健康寿命に焦点を当て、その余命年数の統計を急ぐべきです。現在、健康寿命の統計値はありますが、健康な人があとどれくらい健康でいられるかという余命年数の統計がありません。これでは効果的な行政サービスの立案が困難です。

 高福祉・高負担で知られるスウェーデンは「寝たきりゼロ社会」を実現しています。そこでは胃ろうは虐待とされ、QOLが重視されています。介護士も公務員として身分が安定し、大きな権限を持っています。

 スウェーデンでは在宅看護が基本で、介護士が派遣されるのが一般的です。施設に入るのは臨終間際であり、日本のように施設での長期の寝たきりは少ないのです。認知症の場合も、薬に頼るのではなく、本人の必要とする援助を重視します。

 日本も今後、以下の点で改革が必要です:

1. 過剰医療を避け、QOLを最優先する考え方への転換
2. 介護職の待遇改善と権限強化
3. 健康保険制度の見直し(予防医療、健康維持活動への支援)
4. 在宅介護の推進

 病気は自然現象であり、人体の内部でバランスを取ろうとする過程です。薬に頼る前に、自然治癒力を信じることが大切です。それを強めるのは運動や栄養であり、その支援に政府はもっと力を入れるべきです。

 便利なITやAIに依存し過ぎず、自分で考える習慣を持つことが重要です。心の余裕を持ち、広い視野で物事を考えることが、真の健康な社会への第一歩となるでしょう。

PS
今回の動画は、過去2019年8月の動画を要約し、整理しまとめ直しました。改訂版となります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マリアージュの言葉 詩

2025年02月11日 | 
マリアージュ

茶の間のテレビから
何気なく耳にした一語
マリアージュ

その響きは
フランスの風を呼び
耳元で囁く
マリアージュと

赤ワインは情熱そのもの
肉の旨味を包み込み
白ワインは涼やかな風で
魚とワルツを踊る

二つの異なるものが、
ハイブリッドし
その瞬間
二人の未来は無限に広がる

日常の中で
ひとさじのマリアージュ
互いの良さを引き出し
新たなハーモニーを生み出す

言霊が宿るこの言葉に
私はただただ
感謝する毎日
マリアージュと
今日も口ずさむ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする