山田敏夫の書斎には、古びた松尾芭蕉の句集と最新のスマートフォンが並んでいた。窓の外の小さな庭には、古い石の池が静かに横たわっている。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」
彼は芭蕉の有名な俳句を呟いた。一瞬の静寂に突如として生まれる波紋。変わらないものの中に、突然の変化が生まれる。それは芭蕉が説いた「不易流行」の真髄そのものだった。
戦後の廃墟で育った彼にとって、変化と不変は常に隣り合わせだった。焼け野原に芽生える新しい命。破壊された街に立ち上がる希望。技術の進歩と人間の根源的な感情の間を常に往来してきた。
スマートフォンに宿るAIは、まるで池に飛び込む蛙のようだった。静寂な日常に、突如として波紋を描き、世界を一変させる。しかし、その根底には変わらない人間の感性がある。
彼は思い出す。シベリアから帰還した兵士たちの物語を。戦争の悲惨さを乗り越え、それでも希望を見出した人々の姿を。技術は変われど、人間の core values ―生きる意味、愛、尊厳―は不変なのだ。
AIは膨大な情報を処理できる。しかし、一匹の蛙が池に飛び込むときの、あの儚くも力強い瞬間を理解できるだろうか?静寂を破る、ほんの小さな変化の美しさを感じ取れるだろうか?
山田は古い句集とスマートフォンを同時に手に取った。テクノロジーは流行、人間の感性は不易。二つは常に共存し、互いに影響を与え合う。
夕暮れの光が書斎に差し込む。池には小さな蛙が飛び込み、静かな水面に波紋が広がっていく。変わるもの、変わらないもの。その境界線上に、人間の本質がある。
「不易と流行」―芭蕉の言葉が、静かに、しかし力強く響く。