変えられる物とそうでない物
ちょっと、止まって人生を考えてみたい。
人にはすぐ変えることができることと、できないことがある。
①<誰でも変えることのできないこと>
過去に起こったできごと(歴史)、気象などの自然現象、この世に自分が生まれたこと、
親子などの血縁関係
②<条件が満たされれば変えることのできること>
経済的な問題、能力、家族の協力等、婚姻養子関係、家の建て替え、住居の移転、学校の選択、職業の選択、所有物、地位、名誉、海外旅行に行く
③<誰でもすぐできること>
実際は精神が柔軟性に満ちてないとできないことが多いのだが…。
心の持ちよう、体を動かすこと、勉強、身の回りのこと、炊事洗濯
実際は凡人にとり、できるようでなかなかできないのが、③<誰でもすぐできること>である。
③は簡単にできるようであるが、囚われてしまって、それから逃れられないのがまた、煩悩を持つ人間の性でもある。
今までの自分は変えられるものではない。これを救うには仏様の心に寄り添うしかないのかも分からない。心を無にして自分を見つめる。いわゆるとらわれの心をすてさるのだ。心の修養を積むしかないのである。70にして己の欲するところにおいて法(のり)を超えずといった孔子の境地になることだろうか。
では、変えられることが、難しい、できない。と、悟ったらどうしたらいいのだろうか。
そうだ、すべてを受け入れ、変えられないことに不満を言わず感謝することである。最近、この感謝することを忘れた人間が実に多くなってきている。感謝を後ろ向きにとらえ、その中から創造性は生まれないと思っている人がいる。いや、感謝しつつその良さを引き出し創造につなげて行くことが賢者の目指すところである。過ぎたことを悔やんだり嘆いたりしてもその過去は戻ってこない。なら、笑っても一日怒っても一日である。笑って過ごした方が得策であるに決まっている。自分でどうしようもないことは受け入れ、それに感謝する生活こそ明日の創造的なエネルギーに繋がる生活になる。幸せの女神はいつも前向きに生きる人にほほえむのだ。
人間長く生きても、たかが100歳ではないか。その後の黄泉の世界は永遠に続くのだ。
<o:p></o:p>