コロナ5年2月24日(ウクライナ、ロシア戦争3年)
まぁ今私がこうしているのも確かに自然の中で生かされているわけですね。私は好きな言葉に感謝と畏敬の念っていうのがあります。
もう決めてあります。お墓も決めてあります。死ぬ時はお墓に、感謝と畏敬の念を入れてくれって言ってあります。毎日がその連続であります。
そう、考えていくと、生と死は別物でなく、連綿と繋がっているわけです。肉体としての死は、新たな永遠の生になるわけです。この通過点に死があるわけです。
その奥深い所に畏敬なる物は永遠に存在してるのです。だから、感謝と畏敬の念を持ち続けるのです。
感謝する。すべてのことに感謝して、そして、神秘的なもの、科学で解明できないようなものに畏敬の念を抱く。どんなに科学が進んでもそういうようなものが残ります。
畏敬の対象になる物は、永遠につながります。そういうことが生かされていると言うことにつながってるかなとつくづく思います。
自分で生きているようで、好きなことをやっているようで、結果的には広い世界から見ていくと私たちは生かされているわけですね。
そうすると、私たちの命っていうのはなぜここに生まれてきたかって言うと、その生かされているお心、神の御心を感じて、それに応えようとする。それを自分で見つけようとする。それが人生なんだなとつくづく思います。
「自然の中で、生きる。自然の中で、生かされる。」
- 人は自然の一部であり、その恩恵を受けて生かされていることを忘れずに。
- 自然の摂理に感謝し、調和を保ちながら生きることが求められている。
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