コロナ5年7月18日(ウクライナ、ロシア戦争3年)
日頃から、生成AIの言葉を聞かないときはありません。私たちはまさにこの時代に生きているわけです。その進歩の先には、否応なしにシンギュラリティという、この時代が必ず来るはずです。
さて、私たちはこの時代をどう生きていったらいいのでしょう。全人類の英知をAIが超える時代の転換点です。ただし、AIが意識と感情を持つまでには大きな議論や規制がかかってくるはずです。
できる技術はあっても、そう簡単に人間のような感情や意識を持たせるまでには広い議論がなされるでしょう。私としてはそこは、倫理的な規制が入りノーとなるのではと想っています。また、できたとしても、医療や教育などある一部に利用されるんだと考えます。
結局は人間の制御のもとでの利用方法とならざるを得ないでしょう。そうでないと、何のためのシンギュラリティであるか分からなくなってしまいます。ここだけは、人間が譲らないようにしないといけません。
一旦、意識や感情を持つ彼らAIロボットに自由にさせたら、人類が滅びることにもなりかねません。ここは慎重に考えてAIを作り上げていかないと、後で、飛んでもないことになりかねません。
そこをちょっと、心配をしていますが、まあ、人類はそんなに浅はかではないはずです。所詮は人間が生み出しだAIです。人間が管理するはずです。そう信じています。
以下、参考的に今の新しい考えを列挙してみます。
シンギュラリティは、AI が進化する過程で人間の知性を超える転換点を指します。具体的な時期については研究者によって意見が分かれていますが、いくつかの予測があります。
- 2045年: レイ・カーツワイル氏をはじめとする多くの研究者が、2045年に技術的特異点を迎えると論じています。この時期には人類の何億倍もの知能を持ったAIが登場すると予測されています。
- 2030年頃: 神戸大学名誉教授の松田卓也氏は、シンギュラリティが2030年頃に訪れると予想しています。
- スチュアート・アームストロング氏は2040年説を提唱しており、2030年頃にシンギュラリティが到来すると考える有識者も存在します。
シンギュラリティの影響は雇用の減少や社会制度への変化などが考えられていますが、未来の展望はさまざまです。
私としては2030年ごろにはその技術は完成するだろうと予測してますが、それが、日常に波及していくには、政治や社会制度、法律、自然災害などもあり、まだまだ、その後、数十年は有にかかるだろうと思います。技術は完成したけれど、その後の歩みは遅々として進まないものと想います。人間と、機械は違うということだろうと思います。
もっと、人間そのものが進歩していかないと、大変なことになるのだろうと予想します。今後はAIが進歩すればするほど、人間そのものも進歩していくだろうと想います。人間とは何か、AIとはどこが違うだろうか等、人間そのものの良さに気づいていくものと想います。人間の尊厳、人類の尊厳その両面からのアプローチがますます重要になってくることでしょう。
AIの進歩は多方面に影響を及ぼして来ています。ましてや、シンギュラリティが、実現した暁には社会へのインパクトはより大きなものになるのでしょう。しかし、私たちの生活はそれだけではありませんので、より複雑にほかの生活と影響しあうようになるのでしょう。また、真偽の問題や、仮想と現実の混雑も大きな問題です。
ただ、細胞や生物学的にレベルにAIも進化してくると、また、大きな議論が沸き起こり、今後の大きな社会問題となってくることは必至の情勢です。そんな反動から、より一層人間とは何か、幸せとはどういうことなのか、などの人間ルネッサンス的なことが各地で起こってくるものと想われます。
やっぱりすべてのことを解決するには、ルソーではないですが、自然に帰り、自然とこの青い地球で共存していくことがベストなことではないでしょうか。
だから、私の考えは自然から学び、自然とどう協調して共存できることがもっとも大切なことだろうと考えます。人類は自然から生まれ自然に帰るのです。
いつでも、自然と共に、それが、唯一人類の生きる道だと思います。自然のコントロール下にすべてを置き行動することが最も大事なことだと想います。
「AI 自身が AI を開発するようになる」とい AI がみずからプログラムを作り、人間が介在することなく AI の開発を進めるようになると言われていますが、ここでも人間が制御する範囲内での活動になるよう、規制がかかるはずです。
従来は人が担ってきた作業が AI に置き換えられ、無人化や省力化が進むと考えるの妥当な考えです。事実そうなってくるでしょう。 現在でもスーパーマーケットやコンビニエンスストアのレジは、一部が無人化されているのを見かけることがあります。
AI がレジ担当者の役割を果たすようになれば、会計を人の手で行う必要はなくなるでしょう。 実用化に向けて実験が進められている自動車の自動運転も同様です。 AI が危険を予測し、法令に則って自動車を操縦できるようになれば、運転手という仕事はなくなる可能性があります。
AI が人の仕事を奪うという表現を耳にすることがありますが、シンギュラリティが現実のものになれば十分に起こり得る事態と言えるでしょう。 AI が業務の生産性を向上させ、企業は最小限の人員で利益を上げられるようになれば、人が担うべき仕事は現在よりも格段に少なくなります。
ですから、多分週休3日制ぐらいが、当たり前になる時代になるのではないでしょうか。そうすると、必然的に、生活保護との関連から「ベーシックインカム」の導入も検討され、ますます多様なライフスタイルが実現され、生きがいとは何か、QOLとはな何かなどの問題も盛んに取り沙汰されるようになるのではないかと想います。労働の意味が旧来と大きく変わってくると想われます。
これだけAIが進歩してきますと、これからはAIを動かす力、 AIとのかかわり方、 AIの性格を理解することの力がより大切になり、従来とは違った知恵というか能力が求められる時代がくるはずです。気づく力、直観力、調整力、人間関係はもちろんのこと、 AIとのかかわり方、芸術的な発想というかものの考え方など新しい人間の能力が、より重要になってきます。また、感性溢れた人間がより魅力的にも見えてくるでしょう。
まあ結論から言うとシンギュラリティというのはくるでしょうけども、自然の流れのなかで、自然に溶け込んでいくのではないかと思います。社会のふとことは深く、日常生活は今と、大きくはかわらないでしょう。やはり、人間が中心になり、主体となってAIと人間関係を作っていけるんじゃないかと思います。
心配するほどではなくて、ごくごく自然な流れの中で一緒に生活するような時代が来るんじゃないですか。私はそれほど心配してません。そんな世の中がいっぺんに変わるものではないと思っております。
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