《尾上縫事件》
【295ページ】
政宗は中山の右手でふすぶる煙草の煙がなにやら鬱陶しく思えた。
二人の話題は“尾上縫事件”だった。平成3 (1991)年9月上旬の当日の夕刊のことだ。
「料亭の女将に巨額のワリコー(割引興業債権)を売りつけたとはねぇ。カバン持ちまで買って出るなんて、僕はまだ悪い夢を見ているような感じだ」
【301ページ】
中山は煙草を灰皿に捨てて、池浦を凝視した。
「池浦と中村が引責辞任するのが良いと思う。政宗もわかってくれたが----」
【303~304ページ】
中山と高井の煙草を咥えるのが一緒になった。
「池浦、中村の上二人が辞任するのがいいんじゃないかと僕は考えてるの。高井さんの意見を聞かせて下さい」
「賛成です。黒澤さんはお人好しっていうだけのことですよ。わざわざ国会で話すこともないのにと思いましたけど」
【307ページ】
「大蔵省に行ったのは20年ぶりですよ。土田局長は『私が興銀に出向きます』と言ってくれたが、そうもいかない。金融通として知られる社会党の堀昌雄代議士にもお目にかかった。『黒澤残留はけしからん』とあちこちに書かれていたので、暴力団絡みの融資や損失補填をやった証券会社との違いを説明し、トップの責任について私見を述べた。堀さんはよくわかったと言ってくれました」
【314ページ】
黒澤 その通りです。しかし、世の中を騒がせ、銀行界の信用を傷つけたことは幾重にもお詫びし、反省しなければいけないと肝に銘じています。興銀に対する世間の期待値と低次元な事件との落差が、批判や非難につながったんじゃないでしょうか。
------“あの興銀がなぜ”ということですね。
黒澤 はい。トリプルAに格付けされて、いい気になり、誇りが驕りになっていた、と中山先輩に叱られましたが、その点は認めざるをえません。誇りとは、鼻の先にぶらさげるものではなく、苦しいときの心の杖なんです。だから、誇りを失ってはならない、と何度も行員を集めて話しました。
【318ページ】
中山が紫煙を吐き出しながら、「合田はどんな感じでしたか」と高井に聞いた。
[ken] 本節を読みながら、あらめて「銀行とは何なのか?」を考えさせられました。ちょうど、日本で銀行や生保が形作られる様子について、NHK朝の連続ドラマ「あさが来た」で放送されていますので、銀行本来の目的はどこにあったのかを知る機会になりました。株券や土地が動くことで、たったそれだけでお金が増えていったバブル時代の雰囲気も知っていますので、尾上縫事件は強く記憶に残っています。
また、とある生保会社の「福利で年8%」の年金共済は10年経つと元金が2倍になる、そんな商品に対して「どこかで、誰かが『土地ころがし』や『リスキーな外債投資』などをしない限り絶対に無理だ。こんな世の中はおかしいけれど、おかげで僕は持ち家取得で高利な住宅ローンをかかえ、身も心も縛り付けられることになった」と憤懣やるかたない想いにも苦しめられました。そうです、当時は「あの興銀でさえ」と言われたほどバブルに酔い、いくつかの銀行や証券会社が廃業に追い込まれたのです。
そして、現在、ゼロ金利はおろか「マイナス金利」という事態を招き、株価や為替相場の乱高下が収まることを知らず、日本は薄氷の上を歩いているような危うさにあります。どんな事態になろうとも、最悪シナリオを覚悟しつつ、これからの日々を過ごしていくことが肝要ですね。本節に登場する社会党の堀昌雄さんは、私が若い頃テレビの政治討論会などでよく拝見しました。オールバックの髪型で、どっしりとした品のいいおじさん風の容貌が懐かしく思い出されます。(つづく)