『日和下駄』④
【252~253ページ】
私達二人は三田通に沿う外囲いの溝の縁に立止まって----私達はやむをえず閑地の一角に恩賜財団済生会とやら云う札を下げた門口を見付けて、用事あり気にそこから構内(かまえうち)へ這入ってみた。
【270ページ】
「暑い時はこれに限る。一番涼しい。」と云いながら先生(森鴎外)は女中の持運ぶ(もちはこぶ)銀の皿を私の方に押し出して葉巻をすすめられた。先生は陸軍省の医務局長室で私に対談せられる時にもきまって葉巻をすすめられる。もし先生の生涯にいささかたりとも贅沢らしい事があるとすれば、それは葉巻だけであろう。
[ken]昨年末、突然襲った右わき腹の激痛に耐えられなくなり、タクシーで向かった先が芝の済生会東京中央病院でした。済生会は1911(明治44)年に「生活に困窮して医療を受けられない人々にも救いの手を差しのべるように」との明治天皇のお言葉(済生勅語)によって創設されています。2011(平成23)年5月30日には、創立記念日が明治神宮会館で天皇皇后両陛下ご臨席のもと、100周年記念式典が挙行されています。『日和下駄』が刊行されたのは大正4年4月ですから、すでに病院として開院していたのか、それとも開院準備をしていた時期であろうと推測されます。
また、森鴎外さんの葉巻好きは知っていましたが、こうして永井荷風さんが書くと目前に情景が見えてくるようです。それにしても、「事を始めるのに理由はいらない」と言いますが、「暑い時はこれ(葉巻)に限る。一番涼しい。」とする森鴎外さんの言葉には驚きました。