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韓流ドラマ「馬医」について〈英訳付〉

2016年03月17日 | O60→70(オーバー70歳)
昨日、50回続いたテレビ東京の韓流ドラマ「馬医」が最終回でした。韓流ドラマを最後まで見通したのは「パン職人キム・タック」以来2作目です。あんまり長いので、次回作はもういいですが、「馬医」に私がひかれた理由をいくつかあげておきましょう。
⑴ 牛や馬を飼っていたので親近感がわいたこと。
⑵ 身分や地位に関わらず大事にすべきものがあること。
⑶ たしかな技術とチームの結束、師弟関係に心打たれたこと。
⑷ 勧善懲悪、正義は勝つというパターン、真の権力の使い方が心地よかったこと。
⑸ 女優さん全般が可愛いくて、悪役、脇役陣も手堅い演技をしていたこと。
⑹ 医療、医学の変遷についての学びになったこと。
⑺ これから医療制度について、そのあるべき姿を考えさせられたこと。
以上です。

Yesterday was the final episode of TV Tokyo's Korean drama "Horse Doctor," which ran for 50 episodes.

This is the second time I've watched a Korean drama to the end, after "Baker Kim Tak Goo."

It's so long that I won't get to the next one, but here are a few reasons why I was attracted to "Horse Doctor."

(1) I used to raise cows and horses, so I felt a sense of affinity with the characters.
(2) There are things that should be cherished regardless of status or position.
(3) I was moved by the solid techniques, team unity, and master-disciple relationship.
(4) I liked the pattern of rewarding good and punishing evil, where justice prevails, and the way true power was used.
(5) The actresses were all cute, and the villains and supporting actors gave solid performances.
(6) I learned a lot about the evolution of healthcare and medicine.
(7) It made me think about what the healthcare system should be like in the future.
That's all.



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抜き書き帳『永井荷風』(その6)

2016年03月17日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
抜き書き帳『永井荷風』(その6)

『西遊日誌抄』②

【154ページ】
7月14日 机上小包郵便あり。開き見るに銀製の巻煙草入れにして彼女の贈る処。「愛はすべてなり」との文字を刻したり。

【156ページ】
8月1日 正午日本領事館の素川子と会食す。氏語りていう。君近頃銀行内の評判宜しからず解雇の噂さえあるやに聞及べり。余が超俗的の態度はついにこの周囲の空気に合わさざりしと見ゆ。余は最初より解雇を予期して入社したるなれど今日素川氏の言を聞くや心大いに憂い悲しめり。

【177ページ】
3月5日 この日銀行よりいよいよ解雇の命を受けたり。
3月6日 雨の晴れ間に街々を歩き珈琲店(カッフェー)十九世紀亭にて音楽をきく。

[ken]7月、アメリカ在住中にお付き合いしていた女性から「銀製の巻煙草入れ」が届き、何とも複雑な心境の永井荷風さんなのです。当時、「銀製の巻煙草入れ」は高価で貴重な贈り物でした。日本では、刻みたばこの時代から伝統技術の粋を凝らして、煙管入れ、たばこ入れ、根付け、たばこ盆などが盛んに製作されてきた歴史があります。巻たばこの時代になってからは、ライターやシガレットケースが、愛煙家のこだわりとして手元におく習慣がありましたね。たとえば、カルティエやデュポン、ダンヒルのライターが思い浮かびます。
そして、8月になると永井荷風さんは日本領事館の素川子さんから、勤務態度についての忠告を受けますが、あくる年の3月には解雇されてしまいます。サラリーマンには向いていなかったし、初めから辞めることに前提に、斡旋してくれた父への手前やフランスへの興味を優先していたのですから、覚悟の上のことだったのでしょう。とはいえ、今後のことが何も決まっていないなか、孤独感は深く「心大いに憂い悲しめり」だったのですね。
(シガレットケース余話)
体重計や食産業を手がけるタニタは、1923年に金属製品の製造・卸として創業しています。そこで、タニタの最初に手がけた商品が「シガレットケース」でした。
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