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『濹東綺譚』⑤
【398ページ】
翁は坐中の談話がたまたまその地の事に及べば、まず傍人より万年筆を借り、バットの箱の中身を抜き出し、その裏面に市中より迷宮に至る道路の地図を描き、ついで路地の出入口を記し、その分かれて那辺(なへん)に至りまた那辺に合するかを説明すること、掌(たなごころ)を指すがごとくであった。
【404ページ】
わたくしはちょうどその夕、銀座通を歩いていたので、この事(5.15事件)を報道する号外の中では読売新聞のものが最も早く、朝日新聞がこれについだことを目撃した。時候がよく、日曜日に当たっていたので、その夕銀座通はおびただしい人出であったが電信柱に貼付けられた号外を見ても群集はなんら特別の表情をその面上に現さぬばかりか、一語のこれについて談話をするものもなく、ただ露店の商人が休みもなく兵器の玩具に螺旋(ぜんまい)をかけ、水出しのピストルを乱射しているばかりであった。
[ken]たばこのパッケージにメモ書きをするのは、私もやっていました。しかし、最近はパッケージが光沢処理されたり、注意文言表示やニコチン・タール値が印字されたりしたことによって、白地のスペースも少なく、ボールペンでは書きにくくなりました。
それから5.15事件当日の記述は、歴史的資料としても貴重ですね。大事件なのに、群集の反応は「我関せず」の様子であったことがわかりました。そして、2.26事件を経て一気に軍国主義が進んで行くことになります。身近に召集令状が届く頃には、後戻りできない事態を招きました。平成28年の今、時代は当時とかなり似てきた着がするのは、私の取り越し苦労でしょうか。