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明治学院大学の桜を見に行きました!〈英訳付〉

2016年03月31日 | 三田だより
▼今日、午後4時に仕事を終えて、満開の桜を期待し明治学院大学まで歩きました。結果は、桜の木が2本ほどしかなく残念でした。

Today, I left work at 4 p.m. and walked to Meiji Gakuin University in hopes of seeing cherry trees in full bloom.
I was disappointed to find that there were only two cherry trees.
▼前回は、一服する時間がなかった喫煙室に、初めて入ってみました。やたらに広いのですが、何か地下室のような雰囲気で、ちょっと窮屈な感じがしました。

The last time I visited, I went into the smoking room for the first time, where I did not have time to have a smoke. It was very spacious, but it felt a bit cramped, like a basement.



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たばこの混雑解消、良かったね!

2016年03月31日 | たばこの気持ち
JR田町駅西口の喫煙所が拡張されました。仕切りの植栽が追加され、スタンド灰皿も3台から5台に増えました。これまでの窮屈さが解消されました。
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折れてない極細ポッキー!

2016年03月31日 | O60→70(オーバー70歳)
▼この間、自宅で『金子光晴』(ちくま日本文学)の抜き書きをしながら、極細のポッキーを初めて食べてみました。
▼意外な美味しさに50本、手が止まりませんでした。それにしても「よく、一本も折れていないものだ!」と驚きました。
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抜き書き帳『永井荷風』(その20/完)

2016年03月31日 | 小説・映画等に出てくる「たばこ」
《荷風東へゆく》小沢信男
【465ページ】
訪客や隣家の騒音などの摩擦を避け、薄情け(うすなさけ)に遊び深情けは通り抜け。そんなこの人の街歩きぶりは、しかし、こんにちではべつだん異様でもないでしょう。要するに荷風散人は、散歩オタクしていたのではないか。

《年譜》
【471ページ】
1910 (明治43)年 31歳
2月、慶應義塾大学文科の教授となる。5月「三田文学」を創刊、随筆「紅茶の後」を連載。「冷笑」を佐久良書房より刊行。新橋の芸妓巴屋八重次 (藤枝静枝)を知る。

[ken]年代をさかのぼれば、永井荷風さんが慶應義塾大学の教授になったのは31歳でした。その年の5月には「三田文学」を創刊し、編集長として活躍されたのですから、才気あふれる人物であったことはたしかですね。あくる1911年には明治天皇がご崩御され、1912年から大正時代となり、その後も永井荷風さんは1959(昭和34)年にご逝去されるまでの間、文化勲章を受章するなど、日本文学の巨人であり続けました。
 今回の抜き書きは、そのボリュームもさることながら、密度の濃さや内容の豊富さ、そして身近な場所の登場により、記憶に残る読書の時間をいただきました。年代をさかのぼれば、永井荷風さんが慶應義塾大学の教授になったのは31歳でした。その年の5月には「三田文学」を創刊し、編集長として活躍されたのですから、才気あふれる人物であったことはたしかですね。
あくる1911年には明治天皇がご崩御され、1912年から大正時代となり、その後も永井荷風さんは1959(昭和34)年にご逝去されるまでの間、文化勲章を受章するなど、日本文学の巨人であり続けました。ありがとう、永井荷風さん!
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